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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・亜麻色の髪のドール・スリランカ編

今年も正月2日の初詣帰りに義父母が寄ってくれた。私は年頭の挨拶の後、在外公館警備官の話をした。
「スリランカって、セイロンですよね」義父は頭の中で地図を思い浮かべているようだ。
「そうです、インドのすぐ南の島です」私の説明に義父はうなづいた。
「紅茶で有名ですよね」「はい、セイロンティ―ですね」義母はやはりお茶の先生だった。
「また、どうしてそんなところへ?」義父は不安、疑問を隠さずに訊いてきた。
「大使館の警備と在留邦人の安全確保が仕事です」「だからってモリオさんが行かなくても」義母も心配そうな顔で理美の顔を見た。
「モリノさんは浜松では警備の仕事でしたよね、そっちの専門家なんですか?」「まあ、警察で言えば機動隊の隊長みたいなもんです」私の説明に義父は納得したようにうなづいたが、義母はまだ不安そうな顔で今度は子供たちの顔を見ている。
「スリランカは治安が悪いって時々ニュースでやってますけど、本当に大丈夫なんですか?」「まあ、散発的内戦状態ではありますが、やり甲斐がある職場って言うことでしょう」私の自衛官としての答えに、義父母は顔を見合わせた。
「理美も連れて行くんですか?」「もちろん。私も子供たちも家族で一緒に行きます」ここで理美が話に加わった。例年の正月とは違う大人たちの固い会話に子供たちも黙って正座をしている。義父は理美の決意を聞いて自分を納得させるように大きく息を吐いた。
「まさか、自分が娘を出征させることになるとは思わなかった。しかし、それが娘と御主人の仕事なら親としても覚悟をしなければいけないんでしょう」私は義父の顔を直視した。
先日、この話を電話で訊いた私の両親はパニックになり、「うちの輸送機が中東へ行く時、インド洋の米軍基地に寄るからその連絡調整の仕事だ」となだめ取り繕ったのだ。
「でも、何かあったら家族だけでも日本に帰して下さいね」「子供だけね、私も自衛官、モリオ1尉(昨日、1尉にはなったばかりだ)の妻ですから」義母の願いを理美が拒絶した。その顔には自衛官としての決意があり、義母は哀しそうな顔で娘の顔を見返した。すると義父が正座の膝を向けて理美と向き合った。
「理美、今のお前は立派だぞ」「お父さん・・・」理美は驚いたような顔をした。
「職業人としても、妻としても、見事な覚悟だ」義母も驚いた顔で義父を見詰めている。私は感激して涙が出そうだったが、正月の涙は不吉だと思いジッとこらえていた。
「私、お父さんに褒められたの久しぶりです」「そうかァ」「そうですよ」理美の一言で急に座が明るくなり、子供たちまでホッとしたように笑った。
「中学校以来じゃあないかなァ」「ツッパリ娘だったからなァ」「本当、心配しましたよ」義父母と理美の楽しげな会話が演技であることを私は感じていた。
「また、御心配をお掛けします」「それが親の仕事だから仕方ないですよ」理美の言葉に笑って答えた義母は、そっと涙をすすった。
「武運長久も祈って来なくちゃあいけなかったな・・・」義父は一人そう呟いていた。

コロンボ空港には夜遅くに到着した。
スリランカ航空のエアバス機の機外へ出ると、夜とは言え流石に暑く、3月の日本とはかなりの温度差を感じる。
昼過ぎに成田空港を飛び立ち、時差を追いかける形でのコロンボ空港まで9時間の空の旅であったが、聖也は熟睡して来て元気なものの、周作は興奮気味で殆んど寝ておらず、こちらの方が疲れた顔だった。
「流石に暑いね」聖也の手を引きながらタラップを降りる理美は後ろから声をかけてくる。ここコロンボ空港には日本の空港のような伸び縮みして機体に接続する通路はなく、国際線でもタラップで乗降するようだ。
「お父さん、暑いです」私のすぐ後ろを降りてくる周作も理美に同調した。
「やっぱり赤道に近いからな」私の返事にも周作はピンとこないのか反応しなかった。
「お父さん、もう夏になったの?」今度は聖也が質問してきた。
「スリランカはずっと夏なんだよ」「エ―ッ、冬も春も秋もないんですか?」その答えに周作は驚いたような口調で答えた。スリランカの紹介ビデオは見せたはずなのに、どうやら象だ大トカゲだ、大リスだとそんなモノばかり見ていたらしい。

「モリオさんですね」彼はにこやかに笑いながら声をかけると握手をしてきた。
「モリオです、お世話になります」「山本です」山本と名乗った大使館員は私と同年輩だろうか、スリランカ勤務が長いのか、日本人の割には日に焼けている。
「奥さん疲れたでしょう」「御世話になります」山本は荷物運びで稼ごうと近づいてきた現地人の赤帽を追い払いながら、理美が両手に持っていたカバンの片方を取って先に立って歩き出し。理美はまた片手で聖也の手を取り、周作に「ついておいでよ」と声をかけた。
「奥さんも航空自衛官だとか?」「はい」「それは頼もしい」山本は荷物を積んだ車を押す私の前を理美と子供たちと並んで歩いて行った。周作は、興味があるのかキョロキョロと周りを見回してばかりいる。
「おや、軍人が警備していますね」空港の建物の出入り口にはAK―74自動小銃を肩からかけた兵士が二人立っていた。
「弾倉をつけているけど実弾を持っているのかな?」「流石ですね、テロが散発していますから」私の言葉に山本は振り返りながら感心したような返事をした。
やがて政府関係者専用駐車場に停めてあった日本製のワゴン車についたがナンバーは大使館のモノだ。山本は早速、車の周囲と下部まで覗きこんで点検した。
「今夜はホテルがとってあります」山本は後部ドアを開けると荷物を積みながら言った。
「そうですか、有り難うございます」「ホテル?」助手席の私が返事をすると後席で聖也が理美に訊いた。周作は外の風景に夢中で話を聞いていなかった。

翌朝、ホテルでの朝食は、イギリス風にパンとサラダ、フルーツに紅茶で子供たちも喜んで食べた。やがて、この日も山本が迎えに来てくれた。
日本大使館は、コロンボの大通りから一本裏手の通りにあり喧騒を離れ静かだった。
「Goodmorning・Sir」「Welcome・Sir」入門ゲートでは部下になる現地人の警備職員たちが私の姿を見つけて整列し、姿勢を正して敬礼してきた。
私は上番警衛隊員を点検する要領で素早く、彼らの服装態度や目つき、体型まで確かめたが、テロが散発していると言う割には緊張感を感じられなかった。
「日本はテロの対象にはなっていないんですか?」私はゲートから大使館の建物へ向かう通路で山本に訊いてみた。
「数年前に、日蓮宗の坊さんがデモに参加していて爆弾で死んだことはありましたが、日本国としては対象外になっています」山本は業務的に答えた。
「それにしても前任の海上自衛隊の方はノンビリしていましたけど、航空自衛隊の方は随分仕事熱心なんですね」「海の人は陸の上では働かないそうですからね」山本の褒め言葉には、どこか皮肉なニュアンスが感じられた。
南洋の樹木を使った不思議な日本庭園を抜けて大使館の建物に入ると壁には、英国風の内装には不似合いな日本画が飾られている。廊下のつき当たりが大使室だった。
「本日、着任したモリオ警備官をお連れしました」山本が日本人の秘書官に声をかけると、受付の現地人女性が大使室のドアを開けて入り、出てくると日本語で「どうぞ」と言った。
理美が「どうしよう?」と一緒に入室することを迷っていると秘書官が「奥さんもどうぞ」と声をかけ、その言葉を聞き子供達まで緊張した顔をした。
近藤在スリランカ大使は、温和な初老の紳士だった。
スリランカ大使は、主要国の大使とは違い、外務官僚としては必ずしもエリートコースとは言えず、大使も余りやる気は感じられなかった。
申告を終えると大使は私と後ろに並んでいる家族にソファーを勧めた。
「まあ、現地の人を刺激しない程度にやって下さい」大使は土産に理美の母を通じて買ってきた日本茶と和菓子を受け取ると、そう指導した。
「ところで奥さんも女性自衛官だそうだね」大使は私よりも理美に興味があるようで、顔を向けて理美にばかり話しかける。
「航空自衛隊の女性自衛官は、こんな美人揃いなのかね?」大使は、そう言うと遠慮なく理美の顔を見た。その言葉に理美は困ったように微笑んだ。
「政府専用機の乗務員は航空自衛官だそうだから、政治家の先生方も喜ぶだろうな」大使は「主要国には駐在している防衛駐在官がスリランカにはないから、奥さんにも制服を着て働いてもらうかも知れない」と冗談めかして話した。

公館警備官の宿舎は勤務の特性上、大使館の敷地内に家具付き一戸建てだった。つまり駐在所のお巡りさんみたいなものだ。
「お父さん、庭で遊んでもいいんですか?」周作と聖也は、宿舎の前の広い庭に目を輝かせる。
「庭木を痛めないようにな」「花も折っちゃあ駄目よ」両親が揃って注意すると子供たちもついて家に入ってきた。
「凄―い、広い家だァ」「広―い」子供たちは今度は家の広さに大喜びした。
理美は子供たちをリビングに残して家の中の点検を始めた。
「風呂は一応バスタブがあるね・・・水もチャンと出る」そう言いながら蛇口をひねって念入りに点検するところはさすがに航空機整備員だ。
「トイレが広いなァ・・・何これ?」理美の独り言の質問に、私もトイレに入って見た。するとそこには便器の横に蛇口がついた大きな低い洗面台のようなモノがある。
「これがいわゆる尻の穴を洗う奴だろう」「これが・・・ウォッシュレットみたいなものね」私の意見に理美も納得した。スリランカでは用便の後、肛門を左手で洗うため「左手では握手やあまり他のモノに触らないのがマナーだ」と本に書いてあった。
私と理美が各部屋の確認を終え、台所の点検を始めるとリビングのテレビをつけて視ていた子供たちが報告にきた。
「テレビの言葉が判りません」「子供のテレビがありません」周作は言葉が英語とシンハラ語なのに気がついていたが、聖也は番組でアニメや子供向け番組がないことを言った。
「そうかァ、ビデオが届くまでは子供たちが見るものがないね」「本を読んでいなさい」こんな場面では理美の方が厳しい。
「そのうち、子供たちの方が先に英語とシンハラ語を覚えて、テレビを見るようになるよ」私の話に周作と聖也は顔を見合わせてキョトンとしている。
理美は航空機整備員らしく念入りに炊事道具から家具の開け閉めまで点検していたが、イギリス式の家具の使い勝手や飾ってある絵のセンスがあまり気に入らないようだった。

午後からは、山本書記官に日本人学校へ周作の転校手続きに連れて行ってもらった。
日本人学校はコロンボ市の外れの住宅街の大きな川のほとりにあり、敷地は全周フェンスではなくコンクリートの高い塀で囲まれていて城のようだ。
「やっぱり治安が悪いですかね、随分、厳重な作りになっていますが」私は、塀で外から中の様子が見えないことを確かめて山本に尋ねた。
「目のつけどころが警備のプロですね、いやあ、本当に心強い」山本は前を見たまま質問とは違う反応を示し、私も黙って前を向いた。
やがて日本人学校の校門についた。校門には制服を着た警備員が配置されているが日本大使館の車であることを確認するとフリーで入門させた。
「しかし、警備員の勤務には余り緊張感がないなァ」と私が心配そうに独り言を呟くと「それもプロの意見ですね」と山本はまた感心してくれた。その口ぶりでは前任者は本当に仕事熱心ではなかったようだ。

学校には大使館を通じて私たちの必要な情報は伝えられている。
「モリオさんは愛知県の小牧からでしたね?」新5年生の周作の担任になる教師が校内を案内してくれたが、私は教師に名古屋訛りがあることが気になっていた。
「はい、そうです」私の代わりに理美が答えた。
「私は犬山市内からです」教師は嬉しそうに説明した。
「御両親も愛知県の御出身ですか?」「両親とも岡崎です」「三河のゴンジュウです」理美の返事を横から茶化すと教師は可笑しそうに笑った。
「ゴンジュウかァ、懐かしいなァ」教師が繰り返してもう一度笑い直すと、私たちの後ろについている山本書記官も意味が判らないままつられて笑う。日本大使館員でも山本たち外務省職員の子供は将来を見据えて日本人学校ではなくインターナショナルスクールへ入れている人が多いと言う。
「下のお子さんは?」「来年の入学になります」「随分と大きいなァ、周作君も大きいしね」教師は周作と聖也の身長を目で計りながら微笑みかけた。
「周作君は何かスポーツをやるの?」「スイミングと柔道です」教師の質問には周作が自分で答えた。
「学校にはプールがあるけど市内にスイミングスクールはないなァ、柔道の道場もないね」教師の説明に周作は少しがっかりした顔をした。
「サッカーは?」「サッカーはイギリスの植民地だったんだから本場だよ」隣りからの聖也の質問に教師は優しく答え、それを聞いて聖也は嬉しそうに笑った。
「ところで先生、ビデオか面白い本を貸していただけませんか」私の頼みに家族は一斉にうなづいた。
「そうかァ、スリランカの番組は子供達には判りませんよね」教師は、そう言うとそのまま図書室に連れて行ってくれた。
その日は、春休み中に読む本と視るビデオを山ほど借りて帰った。
日本人学校コロンボ日本人学校
即日、勤務に入った私は警備員たちに見えるところで武道の稽古をすることにした。
警棒を使った短剣道、少林寺拳法の突き蹴り、立ち木に帯を括りつけての柔道などを気合を入れながら繰り返すのが警備官デビューのデモンストレーションだ。
私の気合を聴いて数人の書記官が建物から見物に出てきた。
「モリオ警備官は、武道家なんですか?」「はい、段位は締めて17段ですよ」一番若い書記官が好奇心丸出しの顔で質問してきた。
「得意種目はなんですか?」「少林寺拳法は全自衛隊大会で優勝しました。あとは自衛隊体育学校の格闘課程卒で、指導官の資格も持っています」私は航空自衛隊の作業服の胸に縫い付けてある格闘指導官徽章を指差して説明した。
「凄いですねェ、ここの警備員にも教えないといけませんね」年長の書記官はおだてながらけし掛けてきた。
「彼らのやる気を見てからですね」私は一応、外務省に出向という形になっており、余所者としての遠慮をするくらいの常識はもっている。しかし、すでに警備員たちが興味深々と言う顔でこちらを見ているのに気づいていた。
「大使も頼りになるボディガードが出来て心強いでしょう」一番若い書記官がおだててくれた横から一番年配の書記官が話を継いだ。確かに警備官の業務内容には要人の警護がある。ただ、政府要人が訪問することもないスリランカでは要人とは大使のことなのだろう。
私は日本国内でも要人警護の経験はあったが、武器を持てず、逮捕権限もない用心棒は、身代わりの人の盾以外の何物でもなく、それよりはやり甲斐がありそうだ。
「奥さんも何かやられるのですか?」「彼女は茶道と花道が専門ですね」「奥さん、和服が似合いそうですよね」若い書記官は変な納得の仕方をした。
こんな話が盛り上がってしまって、練習どころではなくなった。
「日本文化の紹介のために武道教室を始めてもらいましょう」また若い書記官が話を混ぜっ返した。実は昨日、日本人学校へ行って以来、私も子供に教えてもいいとは思っている。
「だったら柔道場の畳や道着が必要になりますよ」「それは無理ですね」私の具体的かつ真剣な答えに彼は「権限外です」と肩をすくめて舌を出した。

やがて一番若いスリランカ人の警備員が「昼休みに武道を習いたい」と言ってきた。
「昼休みでは時間がないし、暑いから夕方では駄目か」と訊くと「夕方では警備官に迷惑がかかるから」と答え、前任者は勤務時間外の仕事を嫌がったと付け加えた。
「俺が良いって言うんだからOKだよ、君の都合がつけば夕方にしよう」と言うと彼は人懐っこい笑顔でうなづいた。
それから彼が日勤後の夕方に武道を教え始めた。基本は徒手格闘だが、それに柔道の投げ技と少林寺拳法の関節技を加えた総合格闘技になった。
スリランカ人は脚が長く、蹴り技は重心のバランスが日本人とは違うのと、関節が柔らかいので技の効きが悪く、やや手間取ったが、若いだけに上達も早かった。
「陸軍では、こんなことは習いませんでした」彼はスリランカ陸軍に徴兵され、タミル人ゲリラとの内戦にも参加したことがある。しかし、スリランカ陸軍ではボクシングの基本を訓練したくらいで、日本の徒手格闘のような色々な技は習わなかったと言った。
「日本大使館で武道を習えば警備員として良いセールスポイントになる」と意外に計算高い動機を語ったが、それもこの国民の逞しさと言うべきかも知れない。

周作は、日本人学校に転校したが、持ち前の人懐こさで友達を作り、毎朝、理美の車で元気に通っている。しかし、聖也は遊ぶ相手もなく、大使館の敷地の中で理美を相手にサッカーなどをするだけだった。
「聖也をインターナショナルスクールのエレメンタリースクール(幼稚園)へ入れようかなと思って」ある日、理美が官舎に戻った私に相談してきた。私もサッカーチームに入れても好いかと思ってはいたが理美の方が上をいっている。
「問題は英語だな、インターナショナルスクールは授業も日常会話も英語だろう」「日常会話なら少しづつ私が教えているけどね」確かにさりげなく聖也が使う英語に気づいてはいた。
「だけど、君のはアメリカ英語だろう、ここはイギリス英語だからなァ」それは仕事で警備員と話す時も、アメリカ式に巻き舌を使うと通じなくなることがある。
「それに大使館の人の子供さんも何人か通っているんだって」「そうかァ、なら安心だな」私が同意すると理美は安心したように笑った。
「だけど小学校は日本人学校に行かせるんだよな」日本人学校は3月の入学、インターナショナルスクールは9月の入学なので半年、学年が違ってしまうのだ。
「そのつもりだけど同級生がインターナショナルスクールへ行くって言ったらねェ・・・」「逆に聖也には、始めから日本人学校へ行くって言っておいた方がいいな」「はい」私は先にスリランカ勤務をしている書記官の子供も転勤になれば、どの道別れなければならないのだから、周作と同じ日本人学校に行かせておくべきだと考えた。
「それじゃあ、書記官の奥さんに訊いて手続きをするよ」「そうだね」この分だと聖也が一番英語に熟達するかも知れない。その前に本場サッカーを習うのが楽しみだった。
インターナショナルスクールヌワラエリアのインターナショナル・スクール
スリランカでは5月中旬の太陰暦の4月8日に、1週間に亘りウェサック満月と言う祭りが行われる。私は警護任務で政府の式典に出席する大使に同行した。制服の中には実弾を込めた拳銃を装着して、公用車で会場に到着してからも大使につかず離れず辺りを警戒していた。
式典に続いて行われたパーティーの会場では、各国の警護官たちは壁際に立ち、遠くから警護対象を見ているしかない。そんな時には情報収集も行うようだ。
「ジャパン?」「「イエス サー」私は、英国空軍式の軍服を着たスリランカ人らしい将官から声を掛けられた。挨拶の後、簡単な自己紹介をしたが、この将官はコロンボ空港と同居する空軍基地の基地司令だった。
「ジャパンは今までネービーだったけど、何時からエアフォースに代わったんだね?」「今年の3月からです」私は返事をしながらも大使から目を離さない。
「ジャパン エアフォースの制服は初めて見たが、アメリカと同じデザインかな?」確かに海上自衛隊の制服は帽章が違うくらいでアメリカ海軍とほとんど同じだ。
「いいえ、アメリカ軍はセンターベンツですが、ジャパンはサイドベンツになっています」私は、その場でクルリと周り、上着の裾のスリットを見せた。
「アメリカよりもセンスがいいな」司令は感心してくれた。
「生地もこっちの方がいいぞ」司令は私の制服の袖をつまみながら誉めてくれる。但し、この制服は第1種夏服だった。
外国軍の軍人には世界の王者のように振る舞う米軍に対して内心では反発を感じている者も多い、完全に飼いならされているのは実は自衛隊だけなのかも知れなかった。
「服地はやはり英国製が最高級でしょう」「英国製はな」私が米軍とは違う落ち着いた紺色の英王室空軍と同じ色とデザインの制服を見ながら誉め返すと、「自国製」ではないことに司令は複雑な顔をしてうなづいた。
「この徽章は何だ?」次に司令は、私の左胸の防衛記念章の上に着けている格闘指導官章を指差して訊いてきた。
「マーシャルアーツ(徒手格闘)とバイヨネットファイティング(銃剣格闘)のインストラクター(教官)の徽章です」私の説明に司令は興味深そうにうなづいた。
「ジャパンは、BUDO(武道)の本場だからな」司令が質問を続けようとした時、大使が会場内を出て行こうとするのが見えた。
「すみません、仕事です」「そうか、また会おう」私は司令に挨拶をして壁際を速足で移動し、大使の先に立って会場から出た。
「おっ、流石はプロフェッショナルな仕事だな」私が先回りしたのを見て、大使が感心したように声をかけてくれる。この口ぶりでは前任者は本当に警備の素人だったようだ。
「財政支援を要望されるだけの政府要人とのパーティーは好きじゃないんだ」と少し酒が入った大使は公邸に戻る車の中で繰り返していた。

「おかえりィ」官舎に戻ると理美が出迎えてくれたが、子供たちは寝ていた。
家に帰るにも警備の詰所を通らなければならず、家と職場が同じ、つまりは基地内に住んでいるようでどうも気が休まらない。
幸い理美もWAFとして基地内に住むことには慣れているので、その点は普通の主婦よりは心配はないが、子供たちはどうなのだろうか?
「聖也のエレメンタリースクールの手続き終わったよ」「そうか、早いね」理美からこの話を聞いて、まだ2週間にもならない。スリランカ政府の仕事ぶりから考えると驚異的な早さだった。
「大使館員だと身元調査が簡単だからね」私が感心していると理美が種明かしをした。
「そうかァ、ここじゃあ自衛官の前に外務省職員だからなァ」私は制服を脱ぎながら日頃言っていることとの矛盾に自嘲した。
「でも、貴方は制服の方が格好いいよ」「君こそ、制服姿が見たいよ」制服を受け取った理美がクローゼットを開けると理美の制服がかかっている。
「あった、これこれ」私は理美の横から手を伸ばし2等空曹の階級章がついた3種夏服を取り出しクリーニングのビニール袋を剥がした。
「何をするの」「モリオ2曹へ特命、今夜は常装を着用せよ!」突然の言葉に理美は戸惑った顔をしたが苦笑してうなづいた。
理美は着替えに寝室に入り、やがて2等空曹になって出て来た。
「うん、やっぱり君も制服の方が素敵だ」久しぶりの理美の制服姿に胸がトキメいた。
「こんなことしながら言うと制服フェチみたいだよ」理美は呆れながら言う。確かにそうだが「それも悪くない」と内心で思った。私は黙って歩み寄ると後ろから抱き締めた。
「モリオ2曹、今日は帰らなくても良いんだろう・・・」設定は職場での不倫だった。
大根役者の私が言った台詞に理美も笑いながら応じる。
「駄目ですモリオ1尉、奥さんが・・・」こんな呼び方も久しぶりだ。腕の中で理美は笑いをこらえている。
「いいじゃないか、妻は気がつきはしないよ」そう言って首筋にキスをし、手が胸に伸び、ボタンにかかった。すると突然、「制服が汗になるよ」と理美が真顔で言い返した。
しかし、私は制服を着せたまま理美を抱き上げてベッドへ運び、仰向けに寝かすと制服のボタンを外して裸にした。考えてみると理美の制服を脱がすのは初めてだ。そして、その夜の営みは妙に燃え上がった。

ある休日、大使夫人のパーティ―に理美が同行することになった。
「しかし、妻は正式には大使館での任務を付与されていません・・・」大使からの指示を受けても私はすぐに了解は出来なかった。理美には在スリランカ大使館の配置がなく、したがって航空自衛隊は休職扱いになっている。ただ、赴任に際して航空幕僚監部人事部から「臨機応変に」と言われてはいた。
「ここでは私の命令が絶対なんだよ」大使は珍しくムッとした顔で念を押してきた。
「日本の国内法よりもスリランカでは大使命令の方が優先されるんだ」それには「日本政府の目が届かなければ」と言う前提がつくのだろう。
「わかりました」「それから奥さんは制服でな」大使は退出しようとする私に声をかけた。
今後こんなことが繰り返されるのなら、本当に自衛官服務規則よりも大使命令が優先するのか防衛庁、航空幕僚監部に訊いてみたかった。

「制服、久しぶりィ」(本当は数日前の夜にも来ていたが)こうして公用で制服に袖を通す理美は、やはり嬉しそうだった。
「お母さん、格好いい」「敬礼!」子供たちも第1種夏服姿の母の周りでハシャイでいる。
しかし、私は家族の様子を眺めながらも、理美が制服を着て公式のパーティ―への同行することにまだ不安を感じていた。これで若しも何かがあった場合、理美の扱いは公務になり得るのかは不明なのだ。悩んでいる私とは別に化粧など理美の支度は整った。
家族全員で家を出て公用車駐車場へ向かう。駐車場は建物の横のガレージだ。ガレージでは運転手に当たっている職員が車のほこりを払っていた。
運転手役の職員は私たちを見て、にこやかに挨拶してきた。
「モリオ警備官、奥様をお連れしますよ」「はい、お願いします」「奥さん、流石に凛々しいですね」「有り難うございます」職員に誉められて理美ははにかんだように微笑んだ。
私が話をしている間に理美が助手席のドアを開け、職員も慌てて運転席に乗り込んだ。
「モリオ2曹、大使夫人に同行します」助手席に乗り込む前、理美は開けたドア越しに姿勢を正し、挙手の敬礼をして申告し、その様子を職員は感心して見ていた。
「しっかりな」これが家の玄関ならば抱き締めてキスをするところだが、ここでは控えて敬礼を返した。子供たちが手を振ったところで理美を乗せた公用車は走り出した。
モリノ理美2曹
「警備官の奥さんも空軍の軍人なんですね」警備員詰め所に顔を出すと、通過した大使用公用車に乗っていた制服姿の理美を見た警備員たちは、興味深々と言う顔で質問をしてきた。
「うん、テクニカル・サージェント(2等空曹)だよ」サージェント(下士官)と聞いて元陸軍兵士の警備員たちは驚いた顔をした。
「空軍ではどんな仕事を?」「航空機整備員だよ、腕のいい」理美の意外な経歴を知って警備員たちは黙ってしまった。それからしばらく航空自衛隊の女性自衛官の話で盛り上がった。
その時、この日の勤務員の中で一番のベテランが真面目な顔で質問をした。
「これからは奥さんにも敬礼をした方が好いでしょうか」これには私も即答は出来ない。それは今、悩んでいるところなのだ。
「まあ、制服を着ている時には敬礼で挨拶してやってくれ、本人が敬礼を忘れないように」私の答えに警備員たちも納得したようにうなづいた。

「パーティ―会場で、みんなからジャパン・エア・フォースって注目されてしまって、大使の奥様よりも目立たないようにするのに苦労したよ」家に戻って先日の私と逆の形で着替えながら理美は報告した。
「しかし、制服で行けって命じたのは大使だからなァ」その前に理美に行かせたことも大使の命令だった。私の返事に理美もうなづいた。
その夜は、理美も気疲れしたのだろう、制服フェチにはなれなかった。

翌日の英字新聞に写真入りでパーティ―の記事が載っていたが、和服姿の大使夫人の後ろに立つ理美の制服姿が意外なほど目立っていた。
「これって日本では報じられないよな」「でしょう、スリランカにはあまり関心ないから」朝、食卓で新聞を広げながら2人で話し合ったが、これが防衛省、空幕に伝わったら確認の連絡が入るかも知れないと少し心配になっていた。
しかし、理美は日本の前にスリランカで目立ち始めてしまった。大使夫人の公的行事には毎回、理美に制服での同行が指示されるようになり、それが他国の大使夫人の間でも評判になってきた。
「キャプテン・モリオ、君の奥さんも軍人なんだね」大使の警護で同行した行事でも、他国の軍人が声をかけてきた。
「階級は何なんだ?」「職種は何だい?」と言う毎度の質問のほかに「上官が部下を口説いたのか?」「何歳なんだ?」と芸能レポーターのような質問をしてくる者もいる。
「何よりも中々の美人だ」「今度は奥さんに代わってもらえよ、俺も会いたいから」と誉めてくれる奴もいるが、こうなると危なくてイケナイ。
「理美にも護身術くらい教えないとなァ」私は理美の大使夫人の警護任務が続きそうなことから、そんなことを考えていた。

一方、私は理美だけが大使夫人に同行することを、ほかの外務省職員の奥さんたちから妬まれることを心配していたが、それは取り越し苦労だった。
職員の奥さんたちにとって大使夫人に同行することは、確かに夫を売り込むチャンスではあるが、その分、気苦労も多く、若い世代の奥さんたちからは敬遠されていた。
さらに言えば理美の夫である私は自衛隊からの出向であり、抜け駆けの対象にはならない。こうなると理美の警護任務は今後、本格化することを覚悟しなければならないだろう。

「キャプテン・モリオ、今度、ウチの警備隊員に格闘技を教えてくれないか?」あるパーティ―でいつものように壁際に立っていた私はスリランカ空軍コロンボ基地司令から声を掛けられた。
「エッ?」確かにスリランカ空軍の中に入ることは、在外公館警備と並んで私に課せられている情報収集には有益である。
その一方で、スリランカ軍は内戦の当事者であり、日本を含む欧米の人権団体からは「人権侵害を行っている」との謂れのない批判を受けていてスリランカ大使館員・自衛官がこれに協力することには政治的判断が必要だと思った。
「私の一存では何とも・・・大使の許可が必要です」私は即答を避けた。
「それは大丈夫だ。もう大使の許可は取ってある」その言葉に視線を大使に戻すとこちらを見て微笑んでいる。私は自衛隊の格闘技術が防衛秘密の対象でないことを頭の中で考えてみた。
「判りました。スケジュールは後日調整と言うことで」「ああ、担当者を日本大使館まで行かせよう」そう言うと基地司令は右手を差し出して握手を求めてきて私もその手を握り返した。その様子を大使は会場の中央から眺めていた。
「閣下、本当に宜しかったのですか?」私は公舎へ向かう車の中で先ほどの件を大使に確認してみた。
「別にいいだろう、むしろ君がスリランカ軍内に食い込んでくれればウチとしても助かる」大使は日本国内のことよりも、現地での業務を優先する傾向があるようだ。
「それでは週1回程度と言うことで調整します」「うん、そうしてくれ」酒が入った大使に長時間の話を求めることは節度として遠慮した。

翌週、事前の電話連絡の後、コロンボ基地の訓練担当者と言う私と同年代の空軍大尉と、もう少し若い軍曹が大使館を尋ねてきた。私は参加者のバランスを取るため理美も警備官室での調整に同席させた。
警備官室のテーブルを挟んで向かい合って座った所へ、理美が制服姿で盆にのせた紅茶を持って来て配り、私の隣の席に座った。
「コロンボ基地訓練担当課長のキャプテン・セ―ラです」「日本大使館警備官のキャプテン・モリオです」先ず、同じ階級の士官同士で挨拶を交わし、テーブル越しに握手をした。
「こちらは訓練担当下士官のサージェント・ニサンタです」「サージェント・モリオです」セーラ大尉が随行している下士官を紹介した後、私が理美を紹介すると2人は顔を見合わせて、制服姿の理美を見つめた。
「サージェント・モリノは奥様ですか?」「はい」私の返事に2人は納得したようにうなづいた。そして、ニサンタ軍曹が「ラッキー」と言う顔で手を伸ばして理美と握手し、4人で席についた。
「スリランカ陸軍の格闘訓練は陸軍出身のウチの警備員から聞いていますが、空軍ではどんな訓練をやっていますか?」私の質問にニサンタ軍曹が答えた。
「内容に大差ありませんが陸軍ほど真剣にはやっていません」「それは日本空軍も同じですよ、空軍軍人はどこでも兵士の前に技術者ですからね」軍曹の隣で気まずそうな顔をしていたセ―ラ大尉は、私の答えに安心したように笑ったが、今度は隣の理美の方が気まずそうな顔をしていた。
それは自分も航空機整備員であることを優先して、自衛官としての訓練を軽視してきたことへの反省なのだろう。
「それではボクシングの基本をやって後は試合形式の練習と言うことですね」「はい」「練習の頻度は」「警備兵だけは週1回です」「なるほど」だとすればスリランカ空軍の方が航空自衛隊よりも訓練に熱心と言うことになる。
スリランカ空軍の状況を確認して今度は私の方から説明を始めた。
「日本の格闘訓練の特色は型と言うモノを重視します」「はい」私の説明に2人はノートを開きメモを取り始める。
「始めに理想的な動きを繰り返し練習することで体に覚えさせて、それから試合に移ります」「それはBUDO方式ですね」「はい、練習方法は同じです」セーラ大尉は格闘訓練が武道だと聞いて興味を持ったようだった。
「日本軍の格闘は空手ですか?柔道ですか?」「拳法です」「KENPO?」私が日本語で「拳法」と答えたため、2人は顔を見合わせて知識を確認し合った。そこで私が極めて大雑把な説明をした。
「殴る蹴るがある柔道だと思ってもらえば、イメージは近いです」自衛隊の徒手格闘の元になっている日本拳法は柔術の流れをくんでいるので、殴り合い蹴り合いの中で相手を捉え、投げ倒して制するというのが必勝パターンだった。
この後、訓練に経験者の警備員を同行させること、シンハラ語の通訳を付けること、芝生のグランドを使うことなどを申し合わせて、その日の調整は終わった。
「訓練にはサージェント・モリオは来ないんですか?」調整が終わって理美が茶の準備に退席した時、ニサンタ軍曹が残念そうに訊いてきた。
「彼女は航空機整備員ですから格闘は専門外です」私の答えに2人はまた顔を見合わせた。
「しかし、美しいです」「とても上品でウチの女性兵士にも見習わせたい」2人が口々に理美を誉めてくれるので私はウッカリ口を滑らせた。
「彼女は華道の教授の免許を持っていますよ」「KADO?」また2人は身を乗り出した。本当は理美の専門は茶道だが、母親仕込みで華道師範の免許も持っている。
私は理美が庭の花を使って生けた警備官室の作品を指差して華道の説明をした。
「これはいい、ジャパニーズ フラワー アレジメントですね」セ―ラ大尉とニサンタ軍曹が立ち上がって作品を眺めているところへ理美が日本茶を盆にのせて入ってきた。今度は先日、岡崎から届いた羊羹が薄くスライスして皿に分けてある。
「サージェント・モリオ、素晴らしい作品ですね」「サンキュウ サー」大尉に誉められて、茶と菓子を配りながら理美ははにかみながら礼を言った。
「サージェント・モリノもウチの女性兵士にKADOを教えて下さい」「エッ?」軍曹の申し出に理美は驚いて私の顔を見たが、私は笑って誤魔化した。
「色々と道具が要りますから、無理でしょう」理美の答えに2人は花を生けてある日本製の花器を眺めながらうなづいた。
「これはジャパニーズ スイート(日本の甘味)です」全員が席に着いたところで理美は日本茶と羊羹を乗せた小皿を配りながら説明した。
「オ―、スイート(甘い)。ビュウテフル」「イエス、ナイステイスト(美味しい)、サ―」2人は皿に添えてある楊枝の使い方が判らなかったのか、指で羊羹を摘まんで食べ、満面の笑顔になった。
スリランカ人は激辛のカレーも好きだが、甘い物も好きなことを最近、知ったのだった。

私は日本の防衛省航空幕僚監部からディエゴガルシア基地における航空自衛隊輸送機の支援状況の確認を命じられ出張した。
ディエゴガルシアまでは贅沢にもチャーターした民間セスナ機で1泊2日の強行スケジュール、実際には米軍関係者への顔見せだった。
「JASDFのオフィサーが来ると言われたから、自分で操縦して来るのかと思ったよ」基地ターミナルへ出迎えてくれた迷彩服の米空軍大尉は、笑いながら握手してくる。
「私は空を飛ぶよりも地面を這うのが専門でして、ドギィ(犬ころ)と呼んで下さい」私は陸軍を意味する米軍の隠語で返答し、そのジョークに大尉は笑ってくれた。
「今日、タイからJASDFのハ―キュリーズが来るよ」「リアリィ(本当ですか)?」大尉は司令部へ向かう車の中で説明してくれた。
航空自衛隊第1輸送航空隊のCー130ハーキュリーズ輸送機は、小牧を出発し、那覇、フィリピン、タイ、ディエゴガルシアを経由して中東へ荷物を届け、逆の経路で日本へ戻る。それには中国とベトナム、フィリピンが領有をめぐって争う南沙諸島上空の飛行許可を、どこに求めるかと言う政治判断を回避したいと言う外務省の指示があった。
私は海軍基地に居候する形の空軍輸送隊本部の隊長に挨拶に行った。
「在スリランカ日本大使館公館警備官の航空自衛隊・モリオ1尉です」パイロットスーツを着た空軍中佐の隊長は私の肩書に少し戸惑った顔をした。
「防衛駐在官ではないのか?」「外務省に出向と言う形を取っています」私の答えと1尉と言う階級で隊長は状況が飲み込めたようだ。
「英語はクィーンズ・イングリッシュだね」「周りがイギリス英語ですからうつりました」「スリランカだから頭を丸めているのか?」「これは趣味です」隊長は「珍客到来」とばかりに矢継ぎ早の質問をしてくる。私がそれに一々答えていると、横から案内役の大尉が壁の時計を見て「隊長、JASDFのハーキューリーズが到着します」と声をかけた。
「オ―ッ、またJASDFのお客さんだ」そう言うと隊長は大尉が差し出した帽子を受け取り一緒に出るように手でうながした。
3人で外に向う廊下でも話は続いた。
「私はスリランカに来る前は、第1輸送航空隊司令部に勤務していました」「リアリィ?だったら隊司令の佐藤1佐を知っているか?」それは前隊司令だ。
「はい、佐藤1佐が私を公館警備官にしてくれたんです」私の説明に隊長はうなづいた。
「彼とは5年前のロディオで一緒になったんだ」「そうですか」ロディオとは4年に1回世界中のC―130を使っている空軍がアメリカに集まって、飛行、輸送、整備技術を競うハーキューリーズ・オリンピックと呼ばれる大会である。
「JASDFの第1輸送航空隊はプロフェッショナルな部隊だった」「有り難うございます」確かに第1輸送航空隊はここ数回、優勝を続けているはずだ。
ここまで話したところで隊長は隊長車、私と大尉は先ほど乗って来たワゴン車に分れた。

到着した1輸送航空隊のCー130は駐機場に停止すると飛行後点検を終え搭乗員たちが降りて来た。やはり機長も副操縦士、航法士も顔見知りだった。
機長は出迎えた隊長と握手をすると、その横で待っていた私に歩み寄り、敬礼している手を下ろす前に掴んだ。随分、強引な握手だった。
「モリオ1尉、久しぶりだなァ」「御苦労様です」「そうかァ、モリオ1尉はスリランカだったね」機長の横から副操縦士が声をかけてくる。
「そうなんです、日本語が懐かしくて会いに来ました」「俺たちに英語をやらせた罰ですよ」航法士は私の発案で始まった朝の英語スピーチのことを持ち出した。
その間にも整備員たちは機体の周りを点検し、ロードマスターは現地に向う搭乗者たちに列を作らせエプロンを横切って外来宿舎へ誘導して行った。
私とパイロットたちが話していると、機上整備員が機長に報告にきた。
「機長、飛行後点検異状ありません」「了解」機長が答えると整備員が私に気がついた。
「おっ、久しぶり」「あっ、お久しぶりです」整備員も私の顔を見て懐かしそうに笑って敬礼し、話に加わってきた。
「モリオ1尉、今度は奥さんをここへ派遣して下さいよ」「何で?」整備員の話は冗談ばかりではなさそうだった。
「電機の故障が起きた時、人手が足りなくて・・・モリオ2曹がいてくれたら助かります」「でも、彼女は救難機専門だよ」「電機屋には変わりないでしょう、助かりますわ」航空機整備WAFの草分けを自任する理美が聞けば大喜びしそうな申し出だったが、この真剣な訴えに私は1つの提案を返した。
「俺も空曹時代は電機整備員だぜ83空隊所属の・・・イザとなったら手伝うよ」「エ―ッ、マジっすか?」初耳だったらしく整備員と副操縦士は顔を見合わせている。
「絶対、根っからの教育隊だと思っていました」「モリオ1尉が整備した飛行機じゃあ怖くて飛べませんよ。奥さんが優しく整備してくれたのならいいけど」副操縦士がつけたオチで一同が爆笑してその場はおさまった。

夜、外来宿舎は機長、副操縦士、航法士と4人同室だった。
整備員やほかの搭乗員たちは米軍のクラブで騒いでいるようだが、パイロットたちは翌日もフライトなので酒は飲めなかった。
「モリオ1尉がここで飛行安全を祈願してくれていると思うと安心して飛べるなァ」機長の冗談のような呟きに私はそれを実践しようと心に誓った。

翌朝、1輸空のC―130は最終目的地・ヨルダンに向けて飛び立っていった。
朝食の後、見送りのため機長たちと駐機場に行くと、飛行前点検をしている横で故障がなければ仕事のない専門職種の整備員たちが声をかけて来た。
「モリオ1尉、お久しぶりです」「皆さんもお変わりありませんか?」その中には演習の時の徒手格闘大会で優勝した猛者もいた。
「訓練班長が代わって今年も徒手格闘の試合があるのか心配しているんですよ」彼は高校のボクシング部出身で蹴り技、投げ技は苦手だったが、流石にパンチとフットワークはずば抜けていて防具の上から相手を殴り倒して優勝したのだ。
「こっちでスリランカ空軍に徒手格闘を教えているから助教にくるか?」「それは好いですね。ここから連れて行って下さい」彼は変に乗り気になってしまった。
「その前にスリランカ軍の格闘訓練はボクシングだそうだから、その方が得意だろう」「おっ、いいですね」彼は目を輝かした。
「モリオ2曹はお元気ですか?」別の整備員が声をかけて来た。
「かげさまで元気ではりきってますよ」大使夫人の警護をしていることは言わなかった。
「でも飛行機に触れなくなって寂しがってるでしょう。整備員はやっぱり飛行機が好きですからね」彼の言葉に理美が胸の中に抱えているモノを見た思いがした。
私も航空機整備員から教育隊へ転属した時、味わった不思議な喪失感を思い出した。そして、それを埋めてくれていたのは理美が来て話す航空機整備の話だったように思った。航空機整備と縁が切れていないことが嬉しかったのだ。
「モリオ2曹がいなくなって灯が消えたみたいだって救難隊の連中が言ってますよ」「そうかァ?ほかにもWAFはいるだろう」私は彼の大袈裟な誉め言葉に謙遜して答えた。
「モリオ2曹には花がありますからね」「花道の先生だからなァ」私は先日のスリランカ空軍訓練担当者との席の話を思い出して苦笑しながら答えた。
「そうじゃあなくてェ」「相変わらずですね」私の冗談に整備員たちも笑った。
やがて飛行前点検が終了してチーフの整備員か機長に「異常なし」を報告すると、機長たちと握手を交わし、彼らはC―130に乗り込んで行った。
私はC―130を見送ると迎えに来たセスナでスリランカに帰った。
料金を考えれば2日間貸し切るよりも2往復させた方が安いのかも知れないが、緊急事態で帰ることを考えればディエゴガルシアで1泊させてもらいたかった。
何より燃料がもったいない。どのみち役所に通用する話ではないが・・・。

「小牧の人たち、元気だった?」大使館に帰ると理美は興味深そうに訊いてきた。ここでは会う日本人は大使館員と日本人学校の教師だけ、日本からの知っている来客には格別の思いがあるだろう。
「今度は君に来てもらいたいって、整備作業を手伝って欲しいんだとさ」私の話に理美は一瞬表情を変えた。
「飛行機かァ、しばらく会ってないね」理美は懐かしい旧友のことを言う口ぶりだった。
私も帰路、それが実現出来ないか考えていた。しかし、それが公務扱い出来ない以上、ディエゴガルシアへ行くのは自費になり、米軍基地に入る手続きも難しいだろう。
「俺も元整備員だって言ったのに誰も信じてくれないんだよ」「ふーん」「コパイ(副操縦士)なんてそんな飛行機怖くて乗れないってさ」「へー」私のボヤキ節に相槌を打ちながら理美がポツリと呟いた。
「私も航空基地の空気が吸いたいから、貴方と一緒にコロンボ基地へ行こうかな・・・」「うん、それなら実現性はあるな」私の答えに理美は嬉しそうに微笑んだ。

私のコロンボ基地での格闘教育は言葉の壁はあったが、助手役の警備員・デサナヤケの意外な演技力もあって順調に進んでいた。
整列して気合いを掛けながら突き蹴りを繰り返す独特の練習は人目を引くらしく関係がない将校、兵士たちも立ち止まって見学して行く。
時々、基地司令も視察に来て満足して帰って行くが、私は蹴り技に関して技術的な課題を抱えていた。
「どうも間合いが違うなァ」徒手格闘の技には、相手の蹴り足を受け止めて股間の急所を蹴り返す技があるが、脚が長いスリランカ人では相手の蹴りが遠くなり、重心も高いため、下半身が安定せず、どうしても蹴りが上手く急所にいかないのだ。私はデサナヤケと練習をしながら研究をしたが改善方法は見つからなかった。
「どうせなら足をかけて転ばしたらどうでしょう」突然、デサナヤケが言い出した。確かにこの調子では、実戦で急所を蹴って致命傷を与えるより先に相手に反撃される危険性がある。ならば長い脚を使って片足立ちになっている敵を転ばすのも一手だった。
「なるほど、試してみる価値はあるな」「でしょう」早速、練習をしながら確認したが、やはり距離が遠いのがネックになって上手くいかない。おまけに言えば試している私の脚が短いのもある。
「スリランカ軍がボクシングにしていたのも理解出来るなァ」「私もキックは苦手です」デサナヤケは残念そうに相槌を打った。
欧米で蹴りがある格闘技が発達しなかったのは、このバランスの問題のような気がしたが、日本の少林寺拳法では古代インドの武術が佛教と共に中国に伝わり、発展したのが少林寺拳法だと教えている。私はその古代インドの格闘技を見てみたいと思っていた。
その前に私の私費からデサナヤケに払っている基地での格闘訓練の手当は日本大使館かスリランカ軍の公費で何とかならないのだろうか。

日本では秋のお彼岸の前、聖美の命日が近づいてきた。我が家では毎年、沖縄の祖先供養にならって私がお経を上げた後、供えていたお菓子を食べて家族みんなで楽しく過ごす時間をもっていた。
「聖美さんの命日、今年はどうしよう?」「やり方は同じだろうけど、折角、佛教国に来ているんだからなァ」私と理美は顔を見合わせて頭を傾げていた。
「いっそ、スリランカのお寺へお参りに行くかァ」「それならキャンディの佛歯寺へ行ってみたい」話がどうしても観光になってしまうのは相変わらずだった。
「それじゃあ、そうしよう」話は決まった。キャンディなら1泊2日で十分だ。しかし、私は外泊申請をする前に治安情勢の変化について確認しなければならなかった。

「キャンディなら佛歯寺も良いですけど、植物園がお薦めですよ」私の外泊手続きを受け付けたスリランカ人の女性事務員が教えてくれた。
「でもお弔いのためのお寺参りだからね」「日本では慰霊のためにお寺へ行くのですか?」どうやらスリランカ佛教は日本の葬式佛教とは担当業務=存在理由が違うらしい。
「日本では念佛と言ってね・・・」私は一応、禅宗の坊主だが、何故か日本の念佛信仰について説明を始めてしまった。
「今の心を佛に向けて生きていけば、それで救われるんだよ、日本では」「フーン、出家や修行をしなくても良いんですか?」彼女は理解出来ないようで難しそうな顔をして訊き返してくる。
「人生そのものが修行なんだよ、日本では」佛教の本場であるスリランカでは、日本の佛教を語るのに、何にしても「日本では」を付けなければならないような気がした。
「確かに人生で幾多の苦難を乗り越えることを修行と言うのは判りますが、出家して佛道に生きることでその苦難からも救われると言うことが釈尊の教えだと思います」私も坊主の端くれだがスリランカ人の佛教理解の深さに舌を巻いた。何よりこれ以上の説明をするだけの英語力を私は持ち合わせていない。
「キャンディの植物園ね」「はい、素敵ですよ」私はボロが出る前に話を切り上げて警備官室に戻った。

キャンディのホテルがとれた土、日曜日に家族で出かけた。古都・キャンディまでは車で4時間ほどかかる。
スリランカは面積的には九州と四国を合わせたほどで、距離はそれほど離れていないが、日本のような高速道路網がないので一般道を行くしかないのだ。ただ、スリランカはイギリス式に車が左側通行なので日本と同じで運転は楽だった。
「お母さん、キャンディって飴玉を売ってるの?」聖也の子供らしい質問に両親は微笑んだ。しかし、周作は外の風景に夢中で話を聞いていない。これは集中力があると言うのか、のめり込むタイプと言うのか少し心配ではある。
「お菓子屋さんには売ってるんだろうけど、だからキャンディって言うんじゃないよ。現地の人が山って言う意味でカンナって言ったのをヨーロッパ人が勘違いしたんだ」「へーッ」私の女性事務員からの受け売りを聖也よりも理美が感心してくれた。
「キャンディは昔、スリランカの王様が住んでいた都なんだよ」「お城があるの?」「お城じゃあなくてお寺があるね」私の説明に聖也は「王様」のイメージを膨らませたようだった。しかし、佛歯寺が王宮跡に建てられたことを後から現地の英文の看板で知った。
「あっ、日本のバスだ」突然、周作がすれ違った対向車のマイクロバスを見て叫んだ。
「何?」「バスの横にXX幼稚園って書いてあったよ」それは日本から輸入した中古マイクロバス車だ。スリランカでは塗装を直さずに輸入するようで幼稚園や温泉などの名前がそのまま書いてあることは珍しくない。周作の話に、字が読めない聖也も一緒に外を見始めた。
その時、私と理美は一つ心配なことに気がついた。
「ところで旅行は好いけどシンハラ語は大丈夫か?」「エ―ッ、貴方は駄目なの?」現地の店などに入れば英語が通じない可能性はある。道に迷って尋ねるにしても現地の言葉が判らないと心配だった。
「アユボ―ワン(こんにちは)とストゥ―ティ―(ありがとう)くらいなら判るけどなァ」「私だってそのくらいは判るよ」私の強がりに理美が反論してきた。しかし、反論されても心配の解決にはならない。
「まあ、観光地だから英語が通じるだろう」「多分、京都くらいにはね」私は自分を安心させるためにそう言ったのだが、理美もそれに乗ってきた。
バナナ・トラックバナナ満載のトラック
佛歯寺は広大な敷地によく整備された庭園があり、敷地の中には王朝時代の政庁の建物が点在して、流石は王宮跡に建てられただけのことはあった。ただ、佛陀の歯を納めている本殿はタミル人ゲリラによって爆破され、再建されたものだ。このためか銃を持った警備の兵士たちが多数、配置されている。
「お父さん、象さんだよ」周作と一緒に先を歩いて行った聖也が振り返って報告する。その間に周作は象の檻の方へ歩いて行っていた。
「日本の神社には御神馬っているけど、こっちは御神象だね」「お寺だけに御佛象だろう」「ゴブツゾウじゃあ、日本語として変だよ」理美の意見に私が反論すると、理美がさらに反論してきた。
「スミマセン、日本のお坊さんですか?」その時、後ろから声を掛けられた。振り返るとそこには数人の日本人観光客らしい中年の女性たちがいた。私は作務衣に絡子を掛けて、坊主刈りの頭だけにどう見ても坊さんだ。そして、出家得度を受けた正式な坊主ではあるが宗教法人=寺院は営んでいない。
「はい、そうです」私が返事をすると女性たちは嬉しそうに取り囲んできた。
「佛教の聖地で日本のお坊さんにお会い出来るなんて光栄です」「はァ」思わぬ反応に私と理美は顔を見合わせた。女性たちは寺院の檀信徒の団体旅行でスリランカに来たのだと言った。
「どちらのお寺なんですか?」「現在はコロンボ市内です」「エ―ッ、スリランカに留学しているんですか?」「はァ、仕事もしています」話がドンドンおかしな方向へ進んで行く。しかし、私は嘘をついていない。
「お仕事ってこちらのお寺ですか?」「いいえ、日本の大使館員です」それでも私は嘘はついていない。しかし、理美は隣で呆れていた。
「すごーい、やっぱしスリランカは佛教国だから大使館に坊さんもいるんだァ」女性たちが変な納得の仕方をしたが、それを否定しなかったことは嘘になるのであろうか?だとすれば私は佛陀の前で「不妄語戒」を破ったことになる。
それでも、その日は聖美の写真を持って佛陀の歯に参り、お経も唱えてきた。これで聖美も安心しただろう。楽しい思い出が一番の供養なのだから。
佛歯寺佛歯寺のイルミネーション
翌日は大使館の女性職員のお薦め通り、キャンディの植物園へ行った。
植物園は南洋の植物を中心に日本では目にすることがない樹木が並び、確かに見応えがあった。子供たちも放し飼い状態で、自由に走り回っている。ただし、コブラは心配だった。
「やっとスリランカの花が判ったね」「うん、やっぱり原色で南洋の花だな」花の庭園、蘭の温室を眺めながら理美が呟いた言葉に私はうなづいた。庭園、温室の端には池があり、色鮮やかな蓮の花(スリランカの国花)が咲いている。
「でも蓮の花が綺麗だね」「スリランカは佛国土だから、極楽浄土の風景なのかもな」「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」理美の念佛を聞きながら私は先日の事務員との問答を思い出していた。
広い園内を回っていくと広場の中央にひときわ大きな木があった。
「この木何の木、気なる気になる・・・」その木を見つけて周作が大きな声で唄い始めた。それは日立のCMに出てくる巨木のような形と大きさだった。
木の下まで行って見上げると空を覆うほどの大きさで、太い枝が四方に広がり、生い茂った葉がスリランカの強い日差しを遮って薄暗く、精霊の1人や2人は棲んでいそうだ。
「この木があのCMの木ですか?」周作と聖也が並んで質問をしてきた。
「あれはバウバウの木って言うハワイの木のはずだけどなァ」「エ―ッ、私はマダガスカルって聞いたことがあるよ」私たちの意見が分かれてしまったが、どちらも自分が正しいと言い切るほどの自信はない。しかし、子供たちは両親の答えを待っているので私が回答した。
「この木何の木って歌ってるくらいだから、歌っている人も判ってないんだよ。だからこの木もあの木でいいんだよ」私の迷回答に理美も同調して笑いながらうなづいた。
両親にこう言われてしまっては子供たちも反論は出来ない。と言うことで我が家では、スリランカのキャンディ―の植物園のこの木を、あのCMの木と言うことにした。
キャンディ植物園「この木、何の木」の木
「スリランカは実在の西方佛国土です」こんな手紙をキャンディで子供たちと撮った写真を同封して岡崎の両親に手紙を送った。すると「貴方たちがいる間に一度旅行に行きたい」と言う義母からの返事が届いた。
「でも、お父さんが長く休めるかなァ、私、家族旅行なんて行ったことないんだよ」それを読んで理美は自営業の子供ならでは話をした。
「でも、今は弟たちもいるし大丈夫だろう」理美には2人の弟がいて1人が経理、もう1人が営業担当で父の会社を手伝っているのだ。
「父の性格を考えるとねェ、果たして弟たちにまかせられるか・・・」私は両親の旅行が実現することを願ったが、理美はあまり期待していないようだった。
「でも下見を兼ねて家族旅行をしておかないとな」「うん、シンハラ語も覚えてね」スリランカの観光名所と言えばキャンディのほかには巨岩の上の王宮・シ―ギリアロックやイギリス人がスコットランドを真似て作った街並みのヌワラエリアなどがある。しかし、北部はタミル人ゲリラの支配地域があり、大使館が近づくことを禁じている。
「ところで貴方の御両親には手紙を出したの?」いきなり理美が余計なことに気がついて訊いてきたので私は即答した。
「パス、スリランカに来たこと自体を喜んでいないんだから」私の答えに理美はしばらく難しい顔で考えていたが、一言反論した。
「それはいけないよォ、貴方の親だけど子供たちのお祖父ちゃん、お祖母ちゃんでもあるんだから」結局、周作の手紙と聖也の象の絵に同じ写真を入れて愛知の親に送った。

スリランカは年中泳げるが雨季が明けて気候が安定した時期に家族で海に行った。
「でも、外洋だからねェ」「確かにサメの1匹や2匹いそうだなァ」車の前の席で両親がそんなことを話していると、聖也はそれを聞いていて「怖い」と言ったが、周作は海に行くことで有頂天になっていて話を聞いていなかった。
この兄弟の父親はどちらも私なのだが性格が全く違う。と言って聖美と理美の性格ともあまり共通点がない。強いて言えば空曹時代の私と幹部になってからの私にそれぞれ似ていると言えるかも知れない。
「そう言えば君のビキニを買ってかないと」私は何としても理美のビキニを見たかった。基地のプールではスポーツ水着専用だったので、このままではビキニ姿を見ないで終わってしまう。私の言葉には必死の迫力があったはずだ。
「もう、何を言ってるのよ、30代も半ばになってェ」そう言って理美は助手席でソッポを向く、いつものならそこで諦める私だが今日は食い下がった。
「4捨5入すればまだ30だよ。なッ周作」「聖也もお母さんのビキニがみたいだろ」周作には4捨5入で念を押し、聖也には同調を求めると理美は溜め息をついた。
作戦成功で子供たちが後ろで「ビキニ」「ビキニ」と騒ぎだした。
「今日は執念を感じるよ」「そりゃ、ラストチャンスだもん」「もう、スケベ親父」そう言って理美は手を伸ばして私の頬をつねった。すると今度は「スケベ親父」「スケベ親父」コールになってしまった。

ビーチの近くにあるショッピングモールへ入るとスポーツ用品店を探した。するとそれは3階にあったが何故か店名は「サムライ」と言う。
そこで私は「何か日本の武道グッズを売っているのか」を訊いたが、店長は「サムライ」が日本の言葉と言うことも知らなかった。
それから理美がビキニの水着を選んでいる間に私は店長相手に日本の武道について質疑応答していたが、周作が「柔道場はないか?」と尋ねるとやはり「ない」と言う答えだった。
「もう、これが最初で最後だよ」と言いながら理美は若い店員さんと相談して、黒い無地のビキニを選んだ。しかし、それはハイレグでもない普通のデザインだった。
「お父さん、よかったですね」「うん、長年の夢がかなったよ」理美が会計を済ませている間、夢が叶って感激している私に周作が声をかけてくれた。
ビーチで理美の背中にサンオイルを塗ることを期待して胸が高鳴ってきた。

その日、コロンボのビーチにはビキニ姿の麗しい日本人女性か現れたが、理美は海に浸かって中々浜に上がって来ず、上がると直ぐにバスタオルを肩にかけている。
日頃鍛えている理美ならビキニでも十分鑑賞に堪えると思ったが、カメラを向けるとワザとオカシナ顔をするので仕方なく目に焼き付けた。
お・栗原景子イメージ画像(栗原景子さん)
「モリオ警備官、大使がお呼びです」珍しく秘書官から呼び出しの電話が入った。
「どうぞ、お待ちです」「モリオ警備官、入ります」秘書官の取り次ぎの後、私は入り口で自衛隊式に挨拶をして大使室に入った。大使は部屋の奥の大きな机の向こうでこちらを見ていて、私は真っ直ぐその前に立った。
「モリオ警備官、参りました」「楽にしてくれ」大使の指示で私は自衛隊式に休めの姿勢になった。
「今度、在スリランカの各国大使館の駐在武官がタミル人ゲリラ掃討作戦の視察に行くことになった」「はい」私は単なる軍事関係の情報かと思っていた。
「我が国は防衛駐在官がいないから君に行ってもらうこととする」「はァ?」「これは外務省、防衛庁からの指示だよ」「はい」返事をしながらもまだ状況がつかめない。各大使館の駐在武官は大佐クラスで1尉の私とは階級的にかなり開きがある。そんな中に1人紛れ込んで仕事が出来るのか不安になった。しかし、戦場を見てみたいと言う自衛官の本能も働いている。私は姿勢を正すと「判りました」と答えた。
「細部の予定はこの紙に書いてある。秘書官室でコピーをしてくれ」「判りました」「暮々も気をつけてな」「はい、有り難うございます」私は大使の手から数枚の書類を受け取ると心配に対する礼を言って退室した。

夕方、官舎に戻り夕食を終えた後、今日言われた指示を理美に話した。
「理美さん、来週は2泊3日の出張だよ」「エッ、またディエゴガルシア?」理美=モリオ2曹にもスリランカ国内で警備官が行く出張は考えつかないようだった。
「よその大使館の武官と一緒に政府軍が制圧した地域を視察に行くんだ」「エ―ッ、戦場へ行くの?」予想しなかった話に理美も流石に驚いたようだ。不安げな顔をした理美を安心させようと私は話を続けた。
「制圧した地域だから戦闘は終わってるだろうけどね」「でも、相手はゲリラでしょ、何時、何処から攻撃してくるか判らないじゃない」理美も警備幹部の妻歴が長くなって、そこらのWAFとは知識のレベルが違っている。下手すれば警備音痴な航空自衛隊の幹部に勝っているだろう。
「大丈夫、各国の武官が大勢行くんだから危険なことはないよ」「でも武官って1佐クラスなんじゃないの」危険については私の説明で納得したのか、理美の興味はそちらに移ったようだ。
「うん、中には大使を兼ねてる国もあるよ」軍事政権の国の大使は、やはり軍人で武官を兼ねている場合もある。
「1尉が一人紛れ込んだら、作業員に使われるよォ」「スリランカ軍の軍人がついているから大丈夫だろう」私も自分の説明に自信はない。階級社会の軍隊では国力がどうであれ大佐は大佐、大尉は大尉なのだ。おまけに比較的年齢が若い私はその点でも低く見られそうだ。
「服装は乙武装でしょう。ところで迷彩服あったっけ?」「あッ、それだ。航空自衛隊の作業服しかないや」私は赴任に当たり航空幕僚監部に「航空迷彩服を1着受領したい」と申し出たのだが「前例がない」と断られ、ならばと陸上自衛隊の駐屯地の売店へ買いに行く暇もなかった。
「市街地なら灰色の作業服でもいいけど密林の中では迷彩服じゃないとねェ」「密林でゲリラに攻撃されたら、この作業服じゃあ目立って即アウトだね」「でも軍人に見えなくて助かったりして」理美の意見は慰めなのか励ましなのか判らない。しかし、動きやすいのは着なれた作業服であることは間違いなかった。

その夜、私はベッドの中で理美を強く抱き締めた。
それは結婚以来、危険が予想される任務に向かう前夜とり行う、今生の名残を噛み締める儀式だった。理美も私の覚悟を察していたのか黙ってされるままにしている。
私は黙って口づけると、そのまま唇を首筋から肩、胸へと這わしていく、理美も素直に反応し「貴方・・・」と喘ぐようにかすれた声を出した。

翌週の月曜日の早朝、私は公用車で集合場所の陸軍のコロンボ駐屯地に向った。時間が早いこともあり大使には金曜日の夕方に申告はしてある。こんな危険を伴う任務も事務的に処理するところはやはり外務官僚的と言える。
「それじゃあ、行ってくるよ」「気をつけてね」「お父さん、行ってらっしゃい」航空自衛隊の作業服を着て浜松時代のベレー帽を被った私は、公用車の助手席に乗り込むと窓を開けて家族に声を掛けた。出撃のキスは官舎の中で済ませてきた。走り出した車の中から振り返ると子供たちが手を振っている横で理美が敬礼していた。
「モリオ警備官、今回の出張は少し危険ですよね」「うん」運転の職員は乗せているのが私だと気楽なのか雑談をしてくる。
「恐くはないですか?」「いや、戦場に行けるのが楽しみだよ」私の返事に彼は驚いてこちらを向いたので脇見運転になった。
「流石は軍人さんですねェ」「自衛官だよ」私の返事に彼はまた脇見運転をした。
「ゲリラが何処からどう攻めて来て、政府軍がそれをどう迎え撃って撃破したかを現地で確かめるのは自衛官として本当に勉強になるよ」「そうですかァ、私は戦場と言うだけで恐ろしいですけどね」前を向いたまま答えた彼の横顔は何故か少し強張っている。
「君だって毎日、交通戦争を戦ってるんだろう」「はい、コロンボ市内は激戦地です」私のジョークに今度は前を見ながら笑ってうなづいた。
「前の警備官は絶対にそんなことは言いませんでしたけどね。出張は面倒臭い、警護は気疲れするが口癖でしたよ」「海の人は陸では働かないそうだからね」前任者は海上自衛官だったと聞いているが、最近は警備記録の書類などを見ても本当にやる気がなかったような気がしていた。
「でも奥さんも流石に自衛官ですよね。ウチの女房だったら私が戦場に行くなんて言ったらパニックになりますよ」「うん、彼女も修羅場を潜って来たからね」救難機の整備員だった理美は救難と言う過酷な任務を目の当たりにしてきたのだ。
「今の自衛隊でもそんな危険な任務があるんですか?」「それはあるさ、自衛隊だもん」私の答えに彼はまたこちらを向いて脇見運転をした。こうして同乗していると専門職ではないとは言え、運転担当者としてはやや適性にかけるような気がしていた。

「ジャパンはエラク若いカーネル(大佐)だな」集合場所の控室で待っていると、大使の警護で顔を知っている武官がからかってきた。
「ウチは駐在武官がいませんから代わりです」「そうか」下位の者としては相手が冗談を言っても冗談で返す訳にはいかない。
そう言われて集合している各国の軍人たちを見渡すと中には警備官の大尉も混じっている。部屋の隅で大尉同士が談笑しているのを見つけ、私もそこに加わることにした。
「おや、ジャパンもキャプテン(大尉)が代理かい?」「ウチにはカーネルはいないんだよ」警護任務で知り合った某国陸軍の大尉は、私の顔を見ると笑って話しかけてきた。
「ウチのボスは暑い中、戦場を歩き回りたくないってさ」そう説明して彼は肩をすくめる。私は内心、スリランカに防衛駐在官がいないことを感謝した。
そんなワガママな上官が同じ大使館にいては子飼いの部下としてマンツーマンで世話をしなければならないのだろう。下手をすれば理美が奥様に使われるかも知れない。
「しかし、こうしてみると結構、キャプテンクラスもいるなァ」「どこも同じだろう」彼の返事には妙に実感がこもっている。私たちは顔を見合わせて肩をすくめ苦笑した。

やがてスリランカ陸軍の大佐と少佐が部屋に入って来た。
「それでは集合をお願いします」大佐は会場を見渡して英語で声をかけ、少佐がスペイン語で同じことを言った(多分)。
「武官の皆様はこちらへお願いします」大佐は最右翼に大佐の武官7名を並ばせ、その横で少佐が我々警備官の大尉、12名を並ばせた。
「それでは武官の皆様はどうぞ」大佐はそう言うとニコヤカに話しかけながら先に立って部屋を出て行き、後に残った我々に少佐は英語の号令をかけ列を作って引率した。
大佐と大尉ではこれほど待遇が違うのを知り、私は隣のシンガポール海軍のバン大尉と顔を見合わせて溜め息をついた。
建物を出ると大佐たちはマイクロバスの入り口の前に列を作り、順番に乗っている。しかし、我々はそのままマイクロバスの後ろに、エンジンを掛けたまま駐車しているトラックの後ろへ引率されていった。
「えーッ、これで現地まで行くのかァ?」その時、列の後ろから文句を言う声が聞えた。振り返るとアラブ系の陸軍大尉が少佐に向かって質問の形で抗議していた。アラブでは軍の将校には王族が多いと聞いている。彼もそうかも知れない。
「大丈夫、現地まではヘリだ」「そうか、それはよかった」その答えにアラブ系の大尉はニッコリ笑ったが私としては逆に安全を心配した。
「ヘリなら理美に整備させたいな」そんなことを考えながら手分けしてカバンを荷台に積み、順番によじ登って荷台の堅い席に座った。
「スリランカ軍の整備の腕は大丈夫なのかな?」「うん・・・判らんな」隣に座ったタイ空軍のスリヤ―パン大尉が同じ空軍同士と言うことで私に話し掛けてきた。彼の心配もやはり空軍軍人らしく整備員とパイロットの腕のようだ。
「墜落の情報も撃墜されたのか整備不良なのか原因ははっきりしないからな」「そうかァ、ブッダ(佛)に祈ってるしかないね」彼の話に答えた私のジョークに佛教国のタイ国軍人の彼は愉快そうに笑った。その時、ガタンとトラックが跳ね、私は舌を噛みそうになった。
トラックは駐屯地の舗装していない道を走り抜け訓練場に向かっているようだ。やがて外から幌越しにヘリのエンジン音が聞えてきた。
「3機いるな」国籍不明のアフリカ系の陸軍大尉がエンジン音を聞いて自慢げに言ったが、それくらいは私にも判った。大佐で1機、我々大尉は2機に分かれて乗るのだろう。
「まさかヘリまで階級で機種が違うのかな?」「スリランカ軍にそんなにヘリがあるのか?」スリヤ―パン大尉と私の掛け合いに周りの大尉たちは顔を見合わせて苦笑した。

ヘリコプターは旧式のイギリス製だった。スリランカ軍の銃はソ連製だが迷彩服はアメリカ製であり、特定の輸入先はないようだ。
「エラク古いヘリだな、ウチでもこんなのは使ってないぞ」「そうかい?」タイ空軍も新鋭機を揃えているとは思えなかったが大尉の言葉に私もうなづいた。
トラックから下り、また手分けしてカバンを下ろして並んでいるとマイクロバスからは陸軍の兵隊たちが荷物を運び出している。武官たちは遠巻きにスリランカ陸軍の飛行前点検を眺めて批評し合っていた。
「2列に並べ」少佐は命令口調で私たちに指示を与えた。大使館に赴任以来、団体行動をしていないので、何だか教育隊に入り直した気分になる。ほかの大尉たちも同様なのか黙って列を作った。
やがて我々は飛行前点検を終えたヘリに分かれて乗り込んだ。予想通り1番機に武官、2番機と3番機に我々が乗り、少佐は2番機に乗るようだ。私はスリヤ―パン大尉と共に3番機に乗った。
私は席に座りベルトを締めるとエンジンの調子を確かめようと耳を澄ました。しかし、異常がないようで直ぐにヘリは舞い上がった。

理美は大使館の庭の隅の官舎の前で洗濯物を干していた。
スリランカでは洗濯物は石や屋根に広げて干すようで、日本のように日差しと同時に風にさらすと言う習慣はない。したがって洗濯竿は私が郊外から竹を切ってきて作ったのだ。
その時、大使館前の並木の向こうから数機のヘリが舞い上がるエンジン音が聞えてきた。
「うーん、聞いたことがないエンジン音だなァ」理美は手を止めてエンジン音のする方向を見たが、大きく茂った並木の影になって機影は見えない。実は陸軍の駐屯地の場所もよく知らなかった。
「あれに乗ってるんだね、いいなァ」理美の専門はプロペラ機だったが、同じ救難隊のヘリコプターにも親しみはある。懐かしさが胸に湧いてくる。
理美は黙って姿勢をただすとエンジン音に向かって敬礼をしたが、その瞬間、昨夜の激しかった営みを思い出して1人照れたように笑い、余韻を確かめようと敬礼した片手で首筋に触れてみた。
モリノ理美 (12)イメージ画像
大使から私の留守中は理美が警備員の交代に立ち合い、日誌を確認するように指示をうけていた。理美は2等空曹の制服を着て庭を横切り警備詰所へ向かった。
「グッドモーニング。マーム」「ノープロブレム(問題なし)。マーム」理美の姿を見つけた警備員たちはいつも以上に張り切って敬礼をし、挨拶をしてくる。
「グッドモーニング、エブリーバーディ」理美も敬礼を返しながら声をかけた。こうして敬礼を交していると理美も自分が自衛官であることが再認識出来るようだった。
警備員詰所で日誌を確認していると横から昨夜勤務だったグルゲが色々説明してくるが、特別なことはないようだ。理美は日誌の警備官の欄に英語でサインをして、その上隅に赤字で「代」と書いた。
これは自衛隊で代印を押す時のスタイルだが、サインがどちらも「Morio」なので訳が判らない。グルゲも興味深そうに理美が付け加えた漢字を見ている。
「この印は?」「代理と言う意味のチャイニーズキャラクタ―ですよ」理美の説明にグルゲは興味深そうにもう一度サインを見なおした。

3機のヘリは北部の集落の外れの空き地に着陸した。家は土台を残して完全に破壊されていて、戦闘の激しさを物語っている。我々はヘリまで出迎えた現地指揮官の中佐と数名の将校に案内されて集落の中に進んだ。
我々にはベテランの大尉が付いて案内、説明をしながら引率している。政府軍の兵士たちは集落の広場中央にある井戸の住民を収容するテントを張っているが、その外を銃を構えた警備の兵士が警戒、監視をしているのは、ここが戦場であることを雄弁に語っている。私は警備の兵士うちの数名が住民にも銃を向けているのに気がついた。
「これは酷いなァ」廃墟になっている住居を見ながらスリヤ―パン大尉が呟いた。
「同胞の街にここまでやるものかね」それにシンガポール海軍のバン大尉も同意した。その声が聞えたのか案内の大尉が振り返って説明を始めた。
「これは政府軍の攻撃ではなく、タミル・イーラムの虎(反政府ゲリラ)が逃亡する時、破壊して行きました」反政府ゲリラ=タミル・イーラムの虎は住民の成年男性の家族を人質にして、兵士として参戦させているとも聞いている。しかし、ゲリラ戦は住民を味方にして、物心両面の支援を受けることが基本のはずだ。
その意味では、すでにゲリラ側がかなり追いつめられているのが推測された。
大尉の説明の後、各国軍の大尉たちが質問を始めたが、内容はゲリラ側の装備、戦術や戦闘の様相などが中心だ。そこで私も警備小隊長当時からの研究をもとに質問をした。
「住民の中にゲリラが潜入している可能性はないのか?」私の突然の質問に案内、説明役の大尉は顔を強張らせ、各国の大尉たちは顔を見合わせた。
「それは勿論、警戒していますが、先ずは保護が先決です」大尉は返事を濁したが警備の兵士が住民も警戒をしているのは明らかだ。
「住民の身元調査は始めているのか?」「それは現実的に不可能です」私の専門的な質問に周囲の大尉たちは黙ってしまった。

その夜はヘリで移動した別の街の駐屯地の建物に泊まった。
「キャプテン・モリオ。君は空軍のくせにゲリラ戦に詳しいんだね」隣の簡易ベッドに腰をおろしてスリヤ―パン大尉が訊いてきた。
「基地の警備小隊長をやっていたことがあるからね」「そうか専門家なんだ」大尉は納得したようにうなづいたが、次にその向こうのベッドのバン大尉が質問してきた。
「この内戦は政府軍が優勢だと言っているが、実際はどうなんだ?」「ゲリラ戦は住民を味方にして支援を受けながら行うものだ。逃亡するのに集落を破壊して行くようでは勝ち目はないね」今日、訪れた幾つかの集落は、どこも学校、病院までゲリラによって破壊され、住民が死傷しているところも少なくなかった。
「タイ軍もカレン族ゲリラと戦闘中だろう」私は逆に質問してみた。
「あれは陸軍がやっているんだ。俺は空軍の整備士官だからノータッチだよ」「基地の中の安全地帯にいる訳だ」逆隣りのベッドのアラブのカイサル陸軍大尉がかけた皮肉な言葉にスリヤ―パン大尉は振り返って睨んだ。
老人ホーム
翌日は、スリランカ島北部の最激戦地を訪れた。この地域はまだ政府軍も完全に制圧出来ておらず危険を避けて警護車両を先頭に、佐官はジープ、尉官はトラックに分乗して陸路での移動だった。
「結局、トラックかァ」すっかり打ち解けたスリヤ―パン大尉は板の堅い隣りの席でボヤキながらため息をついた。
「仕方ないよ、上空で撃たれれば落ちて終わりだけど、トラックなら逃げることが出来る」「空軍の移動はバス、宿泊は建物、寝るのはベッドだからな」私が慰めと励ましで掛けた言葉にアラブ系のカイサル大尉がうなづきながら皮肉を返した。
「空軍は空を一っ飛びするんだ。陸軍みたいに何百キロも歩かないからな」スリヤ―パン大尉も負けずに返したが、間に挟まった私は黙って笑っていた。
「ジャパンの空軍もやっぱりバスか?」カイサル大尉が今度は私に話を振ってきた。
「うん、陸軍の連中は弱い兵隊が乗る車って呼んでいるけどね」「そうだ、判ったか空軍!」私の返事にカイサル大尉は「わが意を得たり」と言う顔で私たち空軍の顔を見渡した。
「ところでジャパンの戦闘服は珍しい色だな」カイサル大尉は私が着ている航空自衛隊の鼠色の作業服を見ながら訊いてきた。
「確かにな・・・戦闘服は緑か迷彩が定番だが、それは何の色なんだ?」今度は向かい側の席のシンガポール海軍のバン大尉が訊いてきた。そう言うバン大尉は米軍と同じ柄の迷彩服を着ている。
「滑走路のコンクリート色なんだ。あとは市街戦のための建物の色だね」「なるほど」私の説明に周囲の軍人たちが納得したようで、私の服装をまじまじと眺めてきた。
「その徽章は何だ?」「マーシャルアーツのインストラクターだよ」カイサル大尉の質問に私が答えると周囲の大尉たちは驚いた顔で徽章を見ようと身を乗り出した。カイサル大尉は強さを競うアラブの陸軍だけに格闘技には興味があるようだ。
「ジャパンは空軍でもマーシャルアーツをやるんだな」「流石は武道の国だ」周りの大尉たちは口々に囁き合っていたが、私がコロンボ基地でやっている格闘指導の話にはならなかった。

政府軍キャンプでの昼休み、昼食の後、車列はゲリラの行動地域に入っていった。村落から村落は深いジャングル地帯だ。この地域の村落ではゲリラが住民の女子供を人質にして男をゲリラに加え、たとえ政府軍が村落を制圧しても住民がゲリラに通じているので安心できないと言う。
その時、轟音とともにトラックが急停車し何人かの大尉が床に転倒した。続いて乾いた銃声がジャングルの奥から聞こえ、大尉たちは後ろの席の者から飛び降りた。
車両から降りると先頭の警護車両のジープから黒い煙が立ち上っているのが見える。銃弾は前方の3台のジープへ集中し、時々トラックに向けて撃って来るが、精密に狙って命中させる様子はない。警護車両から下車した政府軍も発砲音を目標にして応戦しているが、こちらも相手の姿が見えない盲撃ちだった。
しかし、流石の私も銃撃を受けた経験はなく、時々、頭上をかすめていく銃弾の音と熱い空気の塊に恐怖を感じた。
草むらに伏せた大尉たちが腰から拳銃を抜いて弾倉を装填して弾を込めはじめたので、私も倣った。その時、トラックのタイヤに数発の命中弾があった。
「ゲリラか・・・待ち伏せされたな」隣りでヨーロッパ人の大尉が舌打ちをする。
「捕虜にされるのは嫌だな」「待遇も劣悪そうだしな」その向こうのラテン系の大尉が呟くと周りの大尉たちも顔を見合わせてうなづいた。
しばらくの銃撃戦の後、ゲリラ側の銃声が止んだ。その様子を見てスリランカ軍の少佐が兵3名を連れてジャングルの奥へ入っていく。私は見送りながら「ゲリラの逃走は反復攻撃のため」と言う行動原則を思い返していた。
スリランカの茶畑
理美が警備官室で過去の警備記録を確認していると机の電話が鳴った。
「奥さん、駐在武官一行がゲリラの攻撃を受けたそうです」電話口で日本人秘書官が押し殺した口調でそう言った。
「モリオ警備官の安否は現在確認中です」理美は救難隊の頃、パイロットや救難員から「安否確認」とは「絶望的な時、遺族へ予告を与えるための言葉」と習っていた。理美は返事もせずに受話器を握り締めていた。秘書官から連絡してくると言うことは大使に直接連絡が入ったのだろう。つまり公式にはまだ情報は入っていないと言うことだと判った。
「何か判れば電話しますからそこにいて下さい。いいですね」「はい、お願いします」秘書官の強い口調にようやく理美は返事をした。
強張った右手の指を左手で外しながら電話を置いた理美は立ち上がって窓に歩み寄った。窓の外には大使館の庭の向こうにスリランカの青い空が広がっている。庭木に南国の鳥がとまっているのが見えた。
理美は無意識のうちに手を合わせて祈っていた。
「聖美さん、どうかあの人を守って下さい」聖美に導かれてモリオの妻になり、周作の母になった日を思うと目頭が熱くなる。その時、理美の胸に「聖美が迎えに来たのでは」と言う不安がよぎった。
夫と聖美の結婚生活はあまりに短く、その後を引き継いだ自分は幸せ過ぎた。それは本来、聖美が受けるべき幸福であり、もし自分が聖美ならそれを取り戻そうとするかも知れない・・・理美の胸に不吉な想いがよぎる。胸の中で笑顔だった聖美の面影が、急に寂しげな眼差しになった。
「あの人をまだ連れていかないで下さい」理美はもう一度、手を合わせると目を閉じて声に出して祈った。
理美の祈りが懇願になった時、聖美の声が心に響いてきた。
「大丈夫、あの人は絶対に貴女のところへ帰ってくるよ」その声が直ぐ後ろから聞こえているように感じ、理美は振り返ったが誰もいない。
「貴女は妻なんだから信じて待っていなさい。貴女たちの幸せが私の願いなのさァ」「はい・・・すみません」理美は一瞬でも聖美を疑ったことを謝り、涙をこぼした。
「やっぱり聖美さんには勝てない・・・」理美は敗北感に打ちのめされる思いだった。
「貴方だからあの人を支えられているのよ。感謝してるさァ」聖美はそんな理美の胸の内を察して激励の言葉をつけ加えた。
麻野理美3曹 (2)イメージ画像
ケリラを追った少佐たちが戻るまで私たちはトラックの影で待機していた。トラックの荷台は武官たちが乗り込んで座っている。その時、隣りに座っているカイサル大尉が自分の拳銃を眺めながら訊いてきた。
「ジャパン、弾は何発持って来たんだ?」「ウチのは7発入り弾倉でそれが3本だよ」私は答えながら恥ずかしくなる。案の定、大尉は嘲笑うように唇を歪めた。
「7発?それは軍用拳銃じゃあないな。私物か?」自衛隊のザビエルP―220拳銃は世界の陸軍では構造、機能に問題があるとして採用されず警察用になっている。それなのに自衛隊は安価であることで採用したのだ。
「まあ、どちらも9ミリルガ―弾だからイザとなれば貸してやるよ」「そう言わずにくれよ」私の厚かましい返事にカイサル大尉は「日本人のくせにセコイ奴だなァ」と噴出した
「貴方、伏せて」「えっ?」突然、耳元に響いた聖美の声に私は戸惑った。
「危ない、伏せて」聖美がもう一度が繰り返したところで、私が「その場に伏せ」と日本語で叫んで地面に伏せると、周囲の大尉たちも条件反射的にそれにならった。次の瞬間、谷の対岸から機関銃の銃声が響き銃弾が車両に命中した。
「ゲリラめェ、今度はこっちからかァ」私の横に伏せたスリヤ―パン大尉がかすれた声で忌々し気に言った。
「アッラー」反対側のカイサル大尉はカミに祈っている。武官たちはあわてて荷台から下り、トラックの影に身をひそめた。
射ってくる銃火の数から見てゲリラは3名程度だ。その時、密林の奥から政府軍の兵士が駆けつけて反撃を始め、ゲリラ側の銃弾はそちらに向かいだした。しばらくの交戦の後、またゲリラは撤退したのか銃撃戦は止んだ。
「ジャパン、カミのお告げでもあったのか?」銃撃戦の後、突然、伏せるように言った私に大尉たちが不思議そうな顔で訊いてきた。彼等の顔は単なる興味、好奇心以上の真剣なモノを感じさせる。
私が曖昧にうなづくと周りの大尉たちは「それはゴッドだ」「ブッダだ」と違う問題を議論し始めたが、流石に「イスラム教徒ではない」と思ったのかカイサル大尉は黙っていた。
「ジャパン、君の宗教は何だ?」「佛教だよ」私は彼らの質問に答えた。
「やはりブッダだ」佛教国タイ空軍のスリヤ―パン大尉が勝ち誇ったように言うと、周囲の異教徒たちは「オーマイゴッド」と自分のカミに祈っていた。
スリランカの山道
しばらくして、出発した村から迎えのトラックが2台やってきた。
「目的地の村落から『予定時間を過ぎても到着しない』『ゲリラの活動が見られ危険』との連絡がありました」前のトラックの助手席から軍曹が下り、自軍の大佐に敬礼をすると報告をした。
スリランカの山道はトラック1台がギリギリの幅しかないため数百メートルごとにすれ違うための停車場が設けてある。破壊されたジープやトラックで封鎖された道では前に進めず、軍曹は「バックで停車場まで戻る」と言い、後ろのトラックの助手席からも軍曹が下り誘導を始めた。
我々もそれについていくしかない。そうしなければドライバーはさらにここまでバックで戻って来なければならなくなる。
我々は荷台から自分たちのバッグを下ろすとそれを肩にかけて歩きだした。武官たち6人分の荷物も兵士たちだけでは持ち切れず自分たちで運ぶことになった。
結局、視察研修はここまでで中止になり、我々はヘリコプターでコロンボに戻った。

大使館に戻ると警備のゲートに理美が待っていた。
「貴方ァ」公用車でゲートを通り過ぎると警備員詰所から制服姿の理美が飛び出してきた。
「止めてくれ」私はドライバーに頼むとドアを開けて車外に下り立った。私は立ちすくんだように動かないでいる理美に歩み寄ると抱き締めた。
「よかった、無事でよかったァ」「うん、心配かけたな」ドライバーと控室の警備員は、そんな姿を微笑んで見ていた。

「モリオ警備官、大変だったな」大使室に報告に入ると大使は労いながらソファーを勧めてくれた。
「はい、御心配をおかけしました」私も返事をしてファーに腰を下ろすと秘書室の女性が紅茶を入れてきた。このソファーに腰を下ろすのは着任の挨拶以来だが、今日の報告は長くなりそうだ。
「ゲリラの攻撃はどうだった?」「神出鬼没であらゆる方向から銃撃してきました」大使の質問に私は見てきた事実を答えた。
「車列を狙われたって?」「はい、待ち伏せされました」それからしばらくは車両の損害、負傷者の有無など素人の管理者的な質問が続いた。そんな質問のネタが尽きたところで大使が身を乗り出して本質的なことを訊いてきた。
「それでは内戦はまだ長引きそうだな」「いいえ」大使は私の断定的な即答に意外そうな顔をする。私は大使に判るように説明を始めた。
「ゲリラ戦は住民の支援があってこそ成立します。タミル人ゲリラは住民を迫害しているようです。これでは遠からず戦闘は維持できなくなるでしょう」「しかし、インドから武器供与を受けているのは既成事実だぞ」「はい」「住民も人質になっているらしいじゃないか」「はい」大使はあくまでも長期化するとの自分の予測を押し通そうとしているようだ。
「住民が内戦の長期化を止めるためにゲリラの情報を政府軍に提供するようになれば、そこまでで終わりでしょう」私の軍事的な見解に大使は黙ってしまった。外務官僚である大使の軍事に関する認識はその程度のものなのだ。
「しかし、軍事は最悪の事態を想定しなければなりませんから、長期戦に備えなければなないでしょう」私は場を和らげるために大使の意見を肯定する結論を出した。

その夜、何も知らない子供たちは土産がないことにガッカリした。私はひたすら謝ったが、そんな姿を見て涙ぐんだ理美に子供たちも黙ってしまった。子供たちは自分のワガママを理美が哀しんだと思ったのかも知れないがそうではないのだ。
その後、夕食を食べながら留守中の報告会になり、子供たちは普段通りに勉強をし、テレビを見て、シャワーを浴び、いつもの時間に眠った。子供たちが眠った後、私たちもシャワーを浴びた。
「貴方、肘を擦りむいてるよ」「うん、腕まくりをしたまま匍匐前進したからな」私の背中を流してくれながら理美が気がついた。
「後で薬をつけないと・・・沁みる?」「うん、舐めて」「馬鹿・・・」理美はクスッと笑った後、背中にもたれかかってきた。
モリノ理美 (2)イメージ画像(出所不明)
パジャマに着替え、ソファーに並んで酒を飲んだ。
「貴方、聖美さんが・・・」「うん、助けてくれたよ」私は銃撃を受ける直前、聖美が与えてくれた警告のことを話した。理美は真顔でそれを聞いた後、ソファーの前に座り私の顔を見上げた。
「私、一瞬だけど聖美さんが貴方を取り戻そうとしたのかって不安になったの」理美はクリスチャンが聖職者に罪を懺悔する時のような顔になっている。
「そうか・・・それは君の立場なら当たり前だよ」そう言って両手をとり、理美をもう一度隣に座らせた。
私はこれを2人の性格の違いではなく、家族を守る現実の世界にある理美と優しさと愛情だけの存在になった聖美の立場の違いだと理解した。
「理美には守るべき現実の生活があるんだ。それを奪うモノがあればそれを何とかしようとするのは当たり前だよ」そう言って肩に腕を伸ばすと理美は一瞬体を固くした後、そのままもたれかかってきた。
「私たちの幸せが聖美さんの願いだって・・・」「そうか、聖美らしいな」私の胸に在りし日の優しく包み込むような聖美の微笑みが浮んだ。
「どうすればあんなふうに優しくなれるのかな」私の肩で鼻をすすりながら理美は呟くように質問をして来る。私はその顔を見て答えた。
「現実の社会に生きている間は無理だね。優しさだけでは守れないモノもある」そこまで言って強く引き寄せると、理美はそれに任せて寄り掛かってきた。
「理美は理美、聖美は聖美、どちらも家族を大切に思ってくれてるんだ。感謝しているよ」「うん・・・」理美はゆっくり深くうなづいて涙をこぼした。
モリノ理美 (16)
しばらく酒を飲んでいたが、気がつくと私はそのまま眠っていた。理美は私に毛布をかけてソファーの隣に眠っている。私は理美の寝息を確かめると立ち上がって寝室のドアを静かに開け、枕元のランプを点け、ベッドの掛け布団を上げてソファーに戻った。そして、しばらく理美の寝顔を眺めた後、そっと抱き上げた。
「貴方・・・」抱き上げられた瞬間、理美はボンヤリと目を開けたが、そのまま首筋に腕をまわして目を閉じた。理美の体から落ちた毛布をまたいでベッドに運ぶと優しく、静かに寝かせた。

朝、目を覚ますと理美が私の顔を見ていた。
「よかった、夢じゃなかった・・・」そう言って理美が胸に溶け込んでくる。
今朝の目覚めのキスは念入りになった。

それからしばらく私は日本から持ってきたワープロに向かい、今回の戦闘の詳細をレポートにまとめていた。このレポートは第1には大使に対する報告であるが、第2には戦訓として防衛庁に送りたいと思っていた。しかし、そうするには外務省の公文書と認めてもらわないとならない。ようするには大使の胸一つだった。
数日後、外務省と防衛庁の文書様式の微妙な違いに悩みながら完成したレポートを提出すると、大使は困惑した表情を見せた。
「やはり防衛庁に報告するのかね」「ハッ?」思いがけない大使の質問に私は咄嗟に返事ができなかった。
「防衛駐在官は外務省と防衛庁の兼務だが、君たち在外公館警備官は防衛庁から出向した外務省職員なんだよ」「はい」それは事前教育で説明を受けている。
「しかし、戦闘の詳細については防衛庁にこそ役立つ情報かと思いまして」私の言葉に大使は首を振った。私はそれに戸惑いながら大使の顔を見返した。
「実は今回の出張は私の一存で決めたんだ。防衛庁はノータッチだし、その権限もない」これは外務官僚の立場で言えば問題のない処置だろう。しかし、私は自分を危険に晒した今回の出張がこれほど安易に決められていたことを知って言葉が出なかった。
「よその大使館は参加してウチが断ることは出来ないだろう」「はい、確かに」現地でのバランス感覚は理解出来るが、自衛官としては納得できない。
「折角、やる気のある人が来てくれたから頑張ってもらったと言うことだ」大使は私をおだてて話を締め括ろうとする。私も状況と同時に前任者が消極的な態度を取っていた理由も理解した。
「判りました。非常にいい経験になりました。有り難うございました」私が礼を言って頭を下げると大使は少し驚いた顔をしたが、安心したように作り笑いして、レポートを未決書類の棚に入れた。

「それって酷いじゃない」夜、子供たちが眠った後、2人で酒を飲みながらこの件を話すと理美は怒りを露わにした。
「確かに俺は外務省職員なんだから、防衛庁に断る必要はないだろう」「でも何かあったらどうするのよ」「外務省職員として殉職するんだよ」私の返事に理美は顔を強張らしたが、その一歩手前まで行ったのは間違いなかった。
ここでしばらく2人とも黙ってしまい、グラスの酒を口に運んでいた。そのうちに理美の目尻が赤みを帯びて表情も緩んできた。
「でも、戦闘中に応戦しなくて好かったよ」「外務省職員って銃を発砲出来るの?」私のボヤキに理美が鋭い質問をして来た。自衛隊の海外派遣でも武器使用を巡って国会では不毛の論議が繰り返されている。外務省職員なら許されるのかは難しい政治問題だ。
「自衛官でさえ正当防衛や緊急避難でしか許されないもんなァ」「戦闘に参加したら政治問題になるよ」言っている内容は理美の方が上を行っている。私はつくづく理美を幹部にしないのは勿体ないと思った。
先日、聖美が「貴方だからあの人を支えられている」と理美を励ましたことは聞いているが、私は聖美、理美とかけがえのない妻を2度も得た我が身の幸せを噛み締めた。私はそんな思いを胸に理美を抱き寄せた。
「でも君を攻撃するのは好いんだろう」「もう、結局そうなるんだから」理美は呆れたように溜息をつくとグラスの酒をもう一口飲んで、ソファーの机に置いた。私は胸に素直に溶け込んできた理美の髪の匂いを嗅ぎながら背中に手を這わした。
「それも政治問題か?」「私は自衛官、専守防衛だよ・・・」そう答える理美に私は態度で宣戦布告する。
口づけるとそのままソファーに抱き倒してパジャマのボタンを外して乳房を掴んだ。
「ベッドへ・・・」理美は驚いたように呟いたが、私は黙って愛憮を続けた。理美はそれ以上何も言わず私の頭を両手で抱いてされるままに任せた。

数日後、私は大使に呼ばれた。
「モリオ警備官、困ったことになった」大使はそう言うと机の上に日本から届いた新聞を広げた。そこには先日の戦闘の記事がカラー写真入りで載っていて私も写っていた。
日本の新聞にスリランカのニュースが報じられること自体が珍しいのだが、外国大使館の武官が襲われたとなれば、外国経由で情報が伝わっても不思議はない。
「拝見してもよろしいですか?」「記事はコピーしてある」私が新聞を読もうとすると大使は新聞の下にあったコピーを手渡した。
礼を言って速読すると内容的には事件の概略程度で私の参加については触れていない。記事には書いてないが写真は見る者が見れば自衛官と判るだろう。
それはヘリコプターでコロンボ市内の陸軍の駐屯地に戻った時、取材に来ていた外国人記者たちが撮影したモノのようだ。その時は幸いにインタビューは受けなかったが、迷彩服の各国軍人の中に一人だけ灰色の作業服で、ベレー帽と襟の1尉の階級章もハッキリ写っている。
「それでは先手を打って先日の報告を手直して東京に送りますか」「それはいかにも航空自衛隊の発想だな。どうせ日本人はスリランカには関心はないから大した問題にはならんだろう。むしろ君の方が気をつけてくれ」ようするに本土へ送る手紙などに気をつけろと言う指導だった。
しかし、防衛庁では調査隊が常に自衛隊、軍事関係の新聞記事やニュースをチェックしている。そこでこの写真が目に留まれば追跡調査されるのは間違いないだろう。先日の大使の言葉ではないが、私の籍は外務省に移っているのだから自衛隊が気づいても何も出来ないはずで、私も何かを言われるまではオトナシの構えでいることにした。

春、と言ってもスリランカでは季節感がないが、聖也が日本人学校に入学する。
「折角だから着物にしなよ」「うん、そうしたいけど後をどうするかだね」理美が言う通りスリランカでは着物のクリーニングをどうするかが悩みの種だ。大使館でもレセプションなどで大使夫人や職員の奥さんが着物を着ることがあるが、その時は公費で日本に送りクリーニングをしている。しかし、私用では自費になるだろう。
スリランカの正装・サリーをクリーニング出来るのだから着物もやれないことはないとは思ったが、和装とは生地が違うので絶対とは言えなかった。
「私も制服じゃあどうかと思ってね」私は航空自衛隊の制服のつもりだったが、両親揃って自衛隊の制服なら目立つことは間違いない。
「それってペアルックかァ?」「そうなるねェ、ウフフフ・・・」折角の理美の和服姿だが、それは別の機会の楽しみにすることにした。

聖也の入学式は4月20日、日本人学校のホールで行われた。新入生は5人だけ、聖也以外はコロンボ市内にある日本企業の駐在員と日本企業に勤めるスリランカ人の子供ばかりだ。
確かに4月下旬とは言えスリランカに着物では暑く、他の奥さんもワンピースが殆どで第1種夏服が正解だった。
私は幹部の儀礼肩章をつけ儀礼刀も下げて完璧な礼装にしたかったが、理美が空曹の通常礼装なのでそれに合わせた。
式では「君が代」の斉唱から始まるが、日本大使館の国旗掲揚で聴きなれている新6年生の周作と新入生の聖也が、それと判るくらい大声で唄っていた。
ただ私はスリランカ国歌「スリランカ・マータ(母なるスリランカ)」の方が好きで、こちらも家族で声を張り上げたため、スリランカ人の出席者から拍手喝采を受けた。
「スリランカ マーター(母なるスリランカ) アバ スリーランカ ナモー ナモー ナモー マーター(私たちのスリランカ 偉大なる 偉大なる 偉大なる 偉大なる母よ) スンダラ スィリ バリニー スレンディ アティ ソーバマナ ランカー(美しくとても綺麗なスリランカ=輝ける島) ダーニャ ダナヤ ネカ マル ハラトゥル ピリ ジャヤ フーミヤ ランミャー(米や宝、花や果実に満ちあふれ 勝利の地は美しく輝いています) アパハタ サパ スィリ セタ サダナー ジイワナイェ マーター(私たちに楽しいことや美しいもの 素晴らしいものを与え 生かしてくれる母) ピリガヌ メナ アッパ バクティ プージャ ナモー ナモー マーター(私たちは敬意を捧げます 偉大なる 偉大なる母よ) アパ スリー ランカ ナモー ナモー ナモー ナモー マータ(私たちのスリランカ 偉大なる 偉大なる 偉大なる 偉大なる母よ) アパ スリー ランカ ナモー ナモー ナモー ナモー マーター」

夏のボーナスをもらったある日、家族で買い物に出た私には1つのプランがあった。大使館のスリランカ人の職員から市内でも有名な宝石店を教えてもらっておいたのだ。
その店P・B グナダサ&サンズは教えられたGULE通りにあった。私は店の前で立ち止まるとウィンドを覗いている理美に声をかけた。
「折角、スリランカに来てるんだから宝石を買おう」「えッ、どうして突然?」「だって君に婚約指輪を贈ってないよ」結婚直後、理美は聖美の形見の真珠の指輪を見つけ、「これがいい」と言われたままだった。今回の入学式で理美がそれをはめているのを見て、私はこの機会に買いたいと思ったのだ。
「でも、聖美さんは真珠の指輪だったんでしょ」「あの時はあの時の経済状態だったけど、今は今の経済状態なんだよ」理美の遠慮に似たためらいに私は反論をしたが、聖美が真珠を選んだのはそれだけではないことを思い出した。
「聖美はそれが誕生石だったんだよ」「でも私は9月だからサファイアだよ」どうやら理美は聖美よりも高価な物を贈られるのを避けようとしているようだった。
「だからスリランカで買うのさァ。スリランカはダイアモンド以外の宝石は土の中からザクザク出るからね」「だったら自分で掘って探すよ」ここまで来るとジョークだろう。私は子供たちを連れて先に店に入っていった。
「象さん買うの?」子供たちは店のウィンドウに飾ってある宝石をはめ込む象の置物を見つけて無邪気に訊いたがそれは予算が残った時だ。
店主のグナダサさんに「日本大使館の職員のアヤガマさんの紹介だ」と説明すると紳士的に応対してくれたが、「英語しか話せない」と申し訳なさそうに謝った。理美には予算目一杯でサファイアの指を買った。
グナダサさんが「イギリスのチャールズ皇太子がダイアナ妃に贈った指輪もスリランカ産のサファイアだった」と説明したが、私とダイアナ皇太子妃は生年月日が同じなのでこれも何かの縁かも知れない。
しかし、それをはめながら理美は「スゴーイ、日本の半額以下だよ」と言い訳のような台詞を口にしていたが、やはり目を潤ませていた。その時、「その石は涙の色ですか?」と周作が似合わないことを言って、さらに泣かせた。
スリランカの象さん
日本から調査幹部の同期の手紙が届いた。時候の挨拶、日本の社会情勢、流行などの差し障りのない話題に続いて本論になった。
「モリオ1尉、君がそちらの内戦に参加したことを防衛庁では問題視している。事実関係を外務省に問い合わせているが明確な回答がない。個人的に教えて欲しい」文面から見て彼は同期としての心配と言うよりも調査幹部の職務として訊いているようだった。そもそもこのような手紙をよこすほど親しい間柄ではないのだ。しかし、事実を伝えれば大使の面子が潰れ、外務省と防衛庁の間で軋轢が生じるかも知れない。そうなればこちらでの私の実務にもいい影響はないだろう。私は大使にこの件を確認することもためらわれた。
とりあえずここにいる間は、大使の職務命令に従ったのだから問題はないにしても、大使が防衛庁からの出向者をどこまで守ってくれるかも分らない。私は自分自身が貰いモノの子犬が成犬になって玄関脇つながれている番犬のように思えた。あまり吠えると飼い主に嫌われて捨てられるかも知れない。

翌日、私が手紙の件を申し出ると大使は文面に目を通した後、一言だけコメントした。
「これは私信であって公的な照会ではない。公務上の秘密に属する事項を回答する必要はない」これは予想通りの答えだった。私も現在は外務省職員である以上、防衛庁よりも外務省に忠誠を尽くさなければならないと自分自身を納得させた。

先日の戦闘参加を経験して私の仕事への考え方は、両極端な方向に進みだした。
訓練に関してはコロンボ基地での格闘指導を含め、より実戦性を追求するようになり、一方、日常の勤務は前任者同様、肩の力を抜いて淡々と勤めるようになった。
そんな時、思い起ってコロンボ市内の僧院を訪ねてみた。
「私は日本大使館に勤務する日本の僧侶です」法衣に袈裟を掛けて挨拶する私に応対した僧侶は困惑した顔をしていた。
「出家した僧侶がどうして職業を持っているのですか?」質問は先ずそこからだった。
「仕事はしていますが佛戒を保ち、佛道を追及しています」私の答えに僧侶は首を振った。
「佛戒では世間の利得、雑事に関わることを戒めています。職業を持っていて、それは保てないでしょう。出家とは家庭だけでなく職業からも離れることです」私は得度した時、師である祖父から戒律を受けていたが、このような項目はなかった。むしろ「職業を修行とせよ」と示されたのだ。
「それから家族がいるそうですが、奥さんと肉体的な関係はないのですか?」これも全く話にならない。日本では「不邪淫戒」と言って不倫や姦淫などのフシダラ、ヨコシマな関係を禁じているが、南方佛教では僧侶が異性と接触することを戒めているのだ。
答えに詰まっている私の顔を見て僧侶は、淡々とこう言った。
「日本の僧侶は大乗菩薩戒と言う戒律を受けるそうですが、それは我々の佛戒とは違います。したがって我々は日本の僧侶を佛教僧とは認めていません」「もし、この国で佛教僧として修行をしたいのなら、仕事を辞めて、奥さんと離婚して、あらためて出家得度して、我々の佛戒を受けなければなりません」私は山口や奈良、福岡、名古屋で参加していた坐禅会のようなつもりで訪ねた自分の迂闊さを悔やんだが、その一方で南方佛教の本質に触れ大いに関心を持った。

聖也はスリランカでもサッカー一筋だったが、周作はイギリスの国技・クリーケットにはまって市内のチームにも入っている。
日本ではクリ―ケットは野球の原型になった古いスポーツで、野球にとってかわられたと思われているが、多くの点でルールやプレーが違う。何よりも野球のように打ちにくい変化球を投げたり、盗塁したりはしない。あくまでもド真ん中への速球を力一杯打って走る、力と力の勝負、騎士道のスポーツだ。したがってクリ―ケットの競技者は野球のことを「卑怯なスポーツ」と呼んでいた。
つけ加えれば野球をやるアメリカ、キューバや東アジアを除くイギリスの旧植民地の国々を中心に競技人口は野球よりもはるかに多く、ワールドカップも盛大に行われている。
試合を見に行っても、投手が助走をつけて全身で転がるように投げる直球を、ラケットと呼ぶバットで思いっきり打ち、ベースまで全力疾走する競技は、野球のような小細工と打ち合わせばかりのスポーツに比べ、テンポがよく、紳士的で気持ちいい。
ただ、日本では競技者がいないので、周作には「向こうで自分が広めるつもりで頑張れ」と言っておいた。
クリーケット
クリーケット・スリランカナショナルチームのユニフォームとボール、ラケット

理美の下の弟が結婚すると言う通知が届いた。上の弟は小牧へ転属した頃に結婚したが、理美は勘当中であっため連絡もなかった。しかし、今回は「夫婦で結婚式に出席できないか」と言う話だった。
「うーん、家族4人で航空券代は幾らになるのかなァ・・・」理美は悩んでいた。こちらに来る時は公費だったので我々は料金そのものを知らないのだ。おまけにスリランカ国内では貧しいスリランカ人と裕福な外国人では公共料金に格差があり、それは郵便料金から医療費、列車の旅費、博物館の入場料にまで適用されるのだ。
「周作は今年までは子供料金だけど聖也と2人で大人分だよ」そもそも1日1便しかないランカ・エア(スリランカ航空)では移動だけで1日ずつ、最低でも3泊の休暇が必要になる。
「第1、貴方の長期休暇が取れないよね」「えッ?」理美は欠席の理由を私の仕事の都合にするつもりのようだ。
「確かに事前教育で『3年間は帰国できないつもりで赴任しろ』と言われていたな」私の返事に理美は、「でしょッ」と我が意を得たりと言う顔でうなづいた。
「でも折角、招待されたんだから君たちだけでも帰って親戚に会ってくればいいよ」「いいのよ、どうせ私は勘当された不良娘だから」「海外に掛け落ちしたって噂されるかもな」「うん、噂が好きな県民だからね」私のふざけた台詞に理美は真面目に反応した。
結局、祝電を打ち、お祝いを送ることにしたが、思いがけない返事が届いた。

「新婚旅行はサーフボードを持ってスリランカへ行きたい」下の弟は遊び人のサーファーで休日には太平洋の波を楽しんできたそうだ。その手の話にうとい私は知らなかったが、スリランカはサーファーの間では波乗りの人気スポットになっているらしい。
「げッ、あの子が来るのォ」理美の第一声は姉とは思えないものだった。
「大体、嫁さんってどの娘なんだろう・・・」その口ぶりでは弟はかなりの問題児だったらしい。
「お父さん、お母さんが来る前に、弟が下見に来てくれるならいいじゃないかァ」私の呑気な助け船に理美は大きく首を振った、
「あの子はわがまま放題に育ったから扱いづらいのよ」私は両親が過去の出来事に激怒して1人娘を勘当した理由はそこにあったのかと思った。
「でも君は自衛隊に入ってからは大人になった弟に会ってないんだろう」これは私のモリオ家のパターンだったが理美はそれにも首を振った。
「貴方に再会する前は浜松から特外で帰ってたから会ってたよ。毎回、連れてくる彼女が違って心配してたんだ」そう言って理美は溜め息をついた。
「理美は立派に更生しているじゃないか」と思っても言えるはずがなかった。

「婚約指輪はスリランカで買うから、そこんとこヨロシク」弟からさらに葉書が届いた。こうして見ると、義弟は確かに自由奔放な性格らしい。
「ヨロシクってどう言う意味かなァ?」私は矢沢永吉風の文末に引っ掛かって訊いてみた。
「さァ、代金を払えって言う訳じゃあないと思うけど・・・・」理美も心配そうだった。宝石ならグナダサさんの店で買えばいいが、結婚祝いに代金も払えとなると少し困る。
我が家は奈良への家族連れ入校で貯金をつかい果たし、聖美の事故の保険金は沖縄に墓をつくる時(沖縄の大きな墓は中古住宅一軒並み)に大半を送金し、共稼ぎとは言え今回の海外赴任の準備でもお金がかかり、それほど余裕はないのだ。
「折角、航空券代を使わなかったのになァ。来るならボーナスの後にして欲しいね」「まあ、勝手に心配しても仕方ない。歓迎準備だけは進めておこう」理美の不満そうな口ぶりに私はかえって義弟に会うのが楽しみなってきた。

弟と嫁さんが年末年始にやってきた。ただ、スリランカの正月は太陰暦なので特別のことはないが、2人が仕事を休む都合なので仕方ない。私たち家族でコロンボ空港に出迎えた。
「英幸、ウェルカム(ようこそ)」「あっ、姉貴、アローハァ」義弟・英幸はいきなりハワイ式の挨拶をして嫁さんに脇腹を肘で突っつかれた。弟は理美と同じく母親似(ハンサム)で、サーファーと言うとおり色黒だが、営業をやっているだけに髪型はキチンとしていた。ハワイにはサーフィンに行っているらしい。
「お義兄さん、お義姉さん、はじめまして。美幸と申します。よろしくお願いします」義弟の隣では半袖のワンピースを着た女性が丁寧に挨拶をした。彼女は愛知県によくある顔立ちだが、意外にも色は白い。
「彼女には、会ったことがないよね」理美が妙な言い方をするので、私が肘で腕を突っつくと「何よォ!」と反抗した。どうも弟が来て、理美まで私の妻から麻野家の娘に戻ってしまったようだ。
私はこの姉弟を観察するのが楽しみで仕方なくなった。
「遠方から大変だったでしょう。ところでサーフボードは?」手紙に書いてあった割に荷物にサーフボードがない。
「嫁さんがやらないから今回はお預けだよ」弟はそう答えて本当に不満そうな顔をした。道理で嫁さんは色が白い訳だ。これは慣れ染めにも興味が湧いてきた。

その日は市内観光の後、ホテルのレストランで弟夫婦と私たち家族の会食をした。私が理美の指示で家族の料理も運んでいると弟が声をかけてきた。
「姉貴のところはカカア天下なのかァ?」「何で?」「旦那さん、さっきから働きぱなしだろう。姉貴は子供とくつろいじゃって」その言葉に嫁さんも不思議そうに私と理美の顔を見た。
「うーん、レディーファーストを日本語に訳すとカカア天下なのかなァ」「それは違うよ」私の意見に理美は首を振った。
「スリランカのマナーはイギリス式だからレディ―ファーストなんだよ」「私、初めて見ました」理美の説明に弟の隣りで嫁さんが目を輝かせた。
「イギリスは女王陛下だけど、スリランカの大統領も女性(当時)なんだよ」「へえ、そうなんですかァ」考えてみれば当時の南アジアの旧イギリス植民地諸国ではインドのガンジー首相、パキスタンのブット首相など女性の政治指導者が多かった。
弟はいつまでも身を固めないことを心配した両親の命令で、この嫁さんと見合い結婚したが、変なところでレディ―ファーストを習ってしまい、立場が逆転するかも知れない。
そんな2人を見ながら「でも、カカア天下ってのは間違ってないよな」とささやくと、理美に「馬鹿ッ!」と怒られてしまった。

スリランカでは基本的に毎食カレーが出る。ただし、インドには「カレー」と言う名前の料理はなく、同じようにルーがかかっていても、各種香辛料の組み合わせでそれぞれ違う料理になる。
レストランでは、ライスかナン(パン)をのせた皿に好きなルーをかけるのだが、理美が嫁さんに「スリランカのカレーは世界で一番辛いんだから気をつけてね」と説明しているのを聞いて、弟が「よし、それに挑戦する」と言いだした。
「大丈夫か?」「俺、タイの激辛カレーに挑戦したことがあるから大丈夫です」弟はそう言って私にどれが一番辛いのかを訊いてきた。そこで私が「これだよ」と自分のカレーを見せると弟は呆れながらうなづいた。
「いただきます」私たち家族に合わせて新婚夫婦も手を合わせた。しかし、そこから私たち家族が指を洗うボールを使いながら手でカレーを食べ始めたのを弟たちは呆気に取られ見ていた。
「気にしなくていいよ、貴方たちはスプーンを使いなさい」理美に言われて2人はようやく安心して日本式に食べ始めた。
「美幸さん、そのカレーに入ってるオガ屑みたいなの何だかわかる?」理美の質問に嫁さんは戸惑った顔でスプーンのカレーを見た。
「それはスリランカの鰹節です」「です」周作と聖也が説明すると若夫婦は顔を見合わせた。
「スリランカに鰹節があるんですか?」「日本の技術協力か何かで?」2人の質問に「いや、伝統的な食材だよ」と私が説明すると2人はまた顔を見合わせた。
食べ終わったところで私が、スリランカ・カレー講座の最後を締めくくった。
「インドにはビーフカレーはなく、パキスタンにはポークカレーがありませんが、スリランカには全部あります。何故でしょう?」2人はしばらく顔を見合わせて考えていたが降参した。
「インドのヒンズー教では牛は聖なる動物、パキスタンのイスラム教では豚は食べてはいけない動物、スリランカの佛教は関係ないからです」私の説明に若夫婦だけでなく家族も拍手してくれた。

官公庁の年賀行事で仕事を抜けられない私を残し、理美の運転で弟夫婦と子供たちはキャンデーに2泊、中部のヌワラエリアに1泊してスリランカを半周する旅行を楽しんだ。(この点、海外日本人学校はカレンダー通りで助かった)
おかげでウチの家族も巨岩・シ―ギリヤロックやヌワラエリアの紅茶工場を改築したホテル、スコットランド風の街並みを観光できた。
そして、夜の飛行機に搭乗する前、約束通り2人をグレナダさんの店に連れていったが、取り越し苦労とは別に私は意外な収穫を得た。
グレナダさんは実はスリランカ佛教協会の重鎮で、コロンボ市内の日本から帰国したばかりの長老を紹介してくれたのだ。

コロンボ空港へは愛知式土産と言う大荷物もあるので大使館のワゴン車で行ったが、航空自衛隊の3種夏服姿の私は、警備している空軍の兵士たちから何度も敬礼された。
「お義兄さんは、やっぱりエライんですね」その様子に弟が感心したように言ったので「そんなことないよ。彼等は教え子だからね」と答えた。
すると今度は嫁さんが、「教え子ですか?」と質問してきたのに「うん、ここの基地で武道を教えているんだよ」と答えた。
コロンボ空港の見送りは日本の空港ように送迎ロビーがないので立ち話になる。荷物を預けて搭乗待ちロビーに入れば喫茶コーナー(本当に紅茶)やレストラン、売店もあるが、旅客と見送りの人々、それに商品を抱えて土産物を売る露天商、荷物を運ぶ赤帽たちで雑然とした中で話すのはどうも落ちつかない。
「帰ったら寒いから風邪をひかないように」「上に着るものは手で持って行かないとね」私たちのアドバイスに2人はうなづいて、カバンからコートを出した。
「そう言えば新婚さんを2人きりにしなくて悪かったね。家族旅行みたいにしちゃってさ」私が謝ると理美もようやくそれに気がついて、急に申し訳なさそうな顔になった。
「いや、楽しかったよ」「どうせ、ツアーで行っても団体行動でしたから」若夫婦は私たちの顔を見ながら笑いかけてくれた。
「叔父さん、叔母さん、バイバイ」その時、子供たちが2人に声を掛け、弟が「俺たち、叔父さん、叔母さんかァ」とぼやくように言った。
そこで、私たちが「早くこの子らの従弟を頼むわよ」「女の子が希望だね」と追い討ちをかけると若い2人は赤くなって下を向いた。

グレナダさんに紹介された長老・ヤラガムワ・ダミッサーラ師は日本でスリランカ佛教の布教に当たってこられた方で日本語も流暢だった。
何よりも日本の佛教についての造詣が深く、私が僧院で僧侶たちと一緒に瞑想に参加することを許してくれた。
ただ、私が修行してきた日本の坐禅と南方佛教の瞑想は作法が違い、坐禅前後の柔軟運動のような動作や時間を計る線香、巡行と言う歩いて回る係もなく、したがって眠気覚ましに背中を叩く警策もない。黙って気がすむまで坐る、まさに瞑想だった。
な・ダミサラ・セ―ラ師


  1. 2013/01/26(土) 09:40:25|
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