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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・亜麻色の髪のドール・終章

春になり、周作が小学校を卒業する頃、私たち家族が帰国する日もやってきた。日本から私の帰国後の内示が届いたが、それは意外なものだった。
「航空教育隊第1教育群(防府南基地)」通常、在外公館警備官からの帰国者は次の任地を希望できる慣例だが、これは全くの希望外だ。私は、この人事に報復的な臭いと危険物を隔離しようとする意図を感じていた。
あの前線視察の後、私は防衛庁への報告を行わなかった。問題になっていると知ってからもあえて連絡をしなかった。こちらの経緯に関係なく組織として臭いモノには蓋をする幹部人事はいつものことだ。
休職扱いの理美は帰国後、一旦小牧に戻って復職の手続きをしてから発令されるようだが、こちらはまだ内示どころか調整もない。
人事サイドとしては前例がない在外公館警備官夫人になって海外へ赴任したWAFの取り扱いに苦慮しているのだろうが、防府北基地へ戻れるとは限らない。なぜなら防府北基地の航空機整備は民営化され、自衛官の配置はあまりないのだ。芦屋救難隊が最寄り部隊だが、それは希望的観測と言うものだろう。
この件を相談しようにも大使自身が移動になり、それどころではない。最早、私は近々元部下になる防衛庁出向職員に過ぎなかった。

その夜、私の内示の話を聞いて、理美も困惑していた。
「どうしよう、小牧の仲間に情報を訊いてみようか?」理美は顔を覗き込んだが、私としてはまだ明確な方針は決めていなかった。
「うーん、君は小牧に残るかァ?その方が安心だよな」私としては中途半端な距離でバラバラになるよりも、実家に近い小牧の方が安心である。理美の勤務実績から言っても残ることは可能だと考えていた。
「でもどうして今更、航空教育隊なの?」今度は不満そうな顔になった。
「人事的には教育幹部を教育隊に配置するのは普通のことだけど、防衛庁的にはあの前線視察を問題視しているのかも知れないな」そう答えながら私は、常識の塊だった小牧の人事部長の顔を思い出していた。
「でも、あれはもう2年前だよ」「人事的には本人を処断しなければ終わらないんだよ」私の言葉に理美は顔を強張らせ、しばらく黙り込んだ。
「何も悪いことをしていないのに、何故、罰せられるの?」「理由は幾らでも作れるよ。人と違うことをすれば規律違反とかね」それは有能だが個性的な同期たちが退職に追い込まれる時、用いられた常套手段だった。私的な意見発表が秘密保全違反、不可抗力のミスを故意の重大事件にすることなどは人事幹部にとってお茶の子サイサイなのだ。
「でも、1輸空隊司令が勧めてくれてここに来たんじゃない」「あの人は昔の航空自衛官、今の人たちとは気質も考え方も違うんだよ」私自身、そのの古い航空自衛官に育てられきた時代遅れの遺物なのかも知れない。私は胸の中で、自分も制服を脱ぐことになるかも知れないと思い始めていた。
「イザとなったら理美に働いてもらって、俺は専業主夫になるよ」「そんな悪い冗談やめてよ。ここで踏ん張らなきゃ貴方じゃないよ」私は不在だった3年間で航空自衛隊の体質が大きく変わってしまっていることを感じ、これが冗談でない気がしていたが、理美の励ましで立ち向かう勇気が湧いてきた。

帰国した私は空幕へ申告に赴くとそのまま事情聴取を受けた。空幕の小会議室の席に座らせられ、机の向こうには人事部と防衛部の佐官が座った。
「あの内戦への参加は誰の指示だったんだ?」「大使からの口頭命令でした」「なぜ空幕に事前確認をしなかった?」「了解事項だと説明されましたし、現地では外務省職員ですから」この答えは予想通りだったのか2人は表情を変えない。しかし、人事部の佐官が皮肉に笑いながら次の質問をして来た。
「外務省職員がどうして航空自衛隊の作業服を着ていた?おまけに帽子は浜松の警備だけに特例で認められているベレー帽だろう」「それは・・・」私は「なるほど」と変なところで感心してしまった。
「では、どんな服装ならよろしかったのですか?」「空幕は参加を認めていないのだからその質問に答える必要はない」流石は航空幕僚監部だ。私のような現場の人間に太刀打ちが出来る筈がなかった。
「それで内戦はどんな状況だったんだ?」ここで攻め手が防衛部に替わった。
「車両で移動中に山道で待ち伏せされて銃撃を受けました」この答えも新聞で報じられているのだろう。それほどのインパクトはない。
「それで君は応戦したのか」「いいえ、1発も射っていません」「負傷はしなかったのか?」「はい、とっさに伏せましたから、肘をすりむいた程度です」まさか亡き妻のお告げがあったとは言えなかった。
どうやら私の起こした問題は服装関係の規律違反になりそうだ。これも聞いたことがある。上司から叱責を受けた時、たまたまエアコンが寒いからと夏服にジャンバーを羽織っていて服装規則違反。1月に昇任する予定で年末にジャンバーの階級章を付け替え、それを着ていて階級詐称の服務規律違反。「幹部は常に模範的行動を取らなければならない」と言う建前を人事幹部はトコトン利用するのだ。こうして私は服務規律違反者として全国に回報されることになった。

理美はウルトラCの転属希望を出した。それは航空教育隊第1教育群女性自衛官教育大隊の班長要員だった。
幸い青木はすでに定年退官しており、当時の空士たちの多くは任期満了で退職している。問題は官舎でどこまで理美の噂が残っているかだが、その前に妻がハーフの聖美からWAFの理美に代わっていることの方が噂のネタになるだろう。
空幕での事情聴取を終え、私は一足早く子供たちを連れて防府へ赴き、理美は発令を待って実家に預けていた荷物を送って後に続いた。

防府での私の配置は第2大隊第6中隊長だった。しかし、そこは学生を受け入れる予定のない中隊で、したがって基幹隊員もいない。まさしく座敷牢、独居房への幽閉のような配置だった。
それでも私は朝夕、理美と一緒に自転車で通勤し、午前は掃除に草刈り、午後は戦時国際法や戦史の研究に励み、夕方は長距離走か水泳で汗を流していた。
色々と耳に入る噂話を要約すると今回の人事処置は私に教育を担当させると「これが実戦的だ」と言って改革を始められ、そうなれば実戦経験がある者の言うことには反論ができないので、それを避けるためにとった予防策とのことだ。いかにも防府らしいやり方に、この部隊の体質が全く変わっていないことを痛感した。
一方、理美は教育職一筋の空曹をおだてて使い、イザとなると「戦場では・・・」の殺し文句で相手を黙らせ、着々と地盤を固めていた。やはり幹部としての素養は理美の方がありそうだ。

周作は中学校、聖也は小学校に入ったが、ひとクラス十人以下の日本人学校に比べ、大人数の学校に戸惑ったものの、相手が日本人ばかりの分、すぐに溶け込んだ。
ただ、周作はスリランカで習ったクイーンズ・イングリッシュ(イギリス英語)と日本の中学校で教えるアメリカ式英語の違いにショックを受け、英語嫌いになってしまった。
実はアメリカ式英語が通じるのは野球をやる国とほぼ同じで、海外ではクイーンズ・イングリッシュの方が正しく、アメリカ式英語は低級な方言とされている。
このため、アメリカでもブルジョア階級、エリート層は子弟をイギリスへ語学留学させて、クイーンズ・イングリッシュを学ばせているのだ。
聖也のサッカーも、海外では個人のテクニックは1人か仲間と練習し、チームでは試合形式のプレーで連携を中心に練習するのと違い、団体で基礎から始め、細かいところまで大人が型にはめるのに困惑していた。
また、サッカー自体がドリブル突破中心の海外とパス回し中心の日本の違いも大きかった。
その意味では日本の学校教育は根本から考えるべきかも知れないと思った。

防府に赴任して半年後の定期健康診断の後、基地の衛生隊に呼び出された。
「モリオ1尉、一度精密検査を受けて下さい。どうも血液検査の結果が良くないんです」医官はそう言うと検査結果を記した紙を机の上に載せ問題の項目を示した。確かに最近、身体がだる重く、体重が落ちて一向に戻らなかった。そして、背中に原因不明の刺すような痛みが続いている。それは整形外科を受診しても回復せず、相変わらずの掃除をしていても辛かった。
「スリランカでの疲れが取れないのかなァ、俺も年か・・・」と私がぼやくと「ただの夏バテだよ」と理美は笑っていたのだが。

「検査入院して下さい」医師は、カルテを見ながらそう宣告した。
「少なくともいくつかの内臓が機能していないか低下しています。さらに詳しい精密検査が必要です」「はい」そう答えながらも私は迷っていた。不祥事扱いで防府に配置されてまだ半年、このタイミングで入院すれば「ならば退職しろ」と言わせる口実を与えることになりかねない。
「入院はどのくらいになりますか」私の質問に、一瞬、医師は顔を曇らせた。
「貴方は幹部自衛官だそうですからはっきり言います。癌の疑いがあります」「エッ」私は一瞬息を呑んだ。胸に理美と周作、聖也の顔がよぎった。
「都合がつき次第入院して下さい。癌病棟です、手配はしておきます」「お願いします」私は頭を下げながらもこのことをどう理美に伝えようか迷っていた。同じ基地に勤務する理美に病気のことを隠し通すことなどは出来ないだろう。

やはり病気は癌だった。おそらくはスリランカへ赴任中に発病し、すでにかなり進行していて、手術は不可能。余命は一年以内と宣告された。
検査を終え退院した夜、久しぶりに2人で寝た布団で理美は私の胸にすがりついて泣いた。それは病院で自衛官らしく気丈に振舞っていた分も取り戻すかのような泣き方だった。
私には黙って理美の急に痩せた背中をさすることのほか出来ることは何もなかった。

検査結果を大隊長に報告すると、そのまま群司令室に連れて行かれた。
「モリオ1尉、どうしたい」群司令は向かい側のソファーで私の報告をうなづきながら聞いた後、こう言った。その顔には何故か安堵したような表情があるように見えた。
「自衛官であることが私の人生のすべてです。どうか若い隊員に遺言をさせて下さい」私の訴えに大隊長は驚いた顔で私と群司令を見比べたが、群司令はゆっくり首を振った。
「気持ちはわかる。しかし、先がないと分かっている者に教育を担当させる訳にはいかない。途中で力尽きて倒れられても迷惑だ」この言葉に私は涙が溢れて止められなくなった。しかし、同時に理美が言った「ここで踏ん張らなけりゃ貴方じゃない」の言葉と気合を入れていた顔を思い出していた。
「モリノ2曹はいくつだ?」「35です」「そうか、若いな。これからだな・・・」「モリオ1尉は夫婦とも愛知の出身だったな」「はい」群司令は一瞬天井を見上げた。
「2人で愛知へ帰って故郷で死んではどうだ?」この群司令の率直な、何よりも現実的な質問に私は胸を貫かれる思いがした。

結局、私は転属を拒否し、相変わらずの幽閉生活を送っていた。両親は自衛隊を退職して愛知へ帰ってくるように言ったが、私はそれを拒んだ。私にとって親が住む土地へ帰ることは一足先に三悪道へ堕ちるようなものであり、何よりも私は最期まで航空自衛官でいたかったのだ。

病気のことを岡崎の麻野家に電話で報告した。
「病気なんてウソだろう?声は元気そうじゃあないか」義父の口調は何故か厳しかった。
「ウソならその方が好いですけど・・・申し訳ありません」それは理美を遺して死んでいくことへの想いを込めた切実な一言だった。私の答えに義父が向こうで受話器を持ち直したのが判った。
「それで身体はどうかね」「まだ自衛官は出来ています」義父の問いに答え私は「倒れるまで自衛官でいます」と付け加えた。
「無理をしてはいかんよ」「無理も何も、今更手遅れですよ。ハハハ・・・」そう言って笑った私を義父は厳しくたしなめた。
「何言ってるんだ。最後まで希望を捨ててはいかん・・・それから夫婦はいつも一緒でな」「はい、死んだって理美を離すわけないでしょう。いつも取り憑いていますよ」「それを言うなら見守ってだろう」「そうでした。ハハハ・・・」義父の修正に私がまた笑って答えると、義父は電話口で鼻をすすった。

「国旗降下!」当直幹部である私の号令で、ラッパと共に降ろされる国旗に敬礼しながら、私は掲揚台の向こうで敬礼している学生たちの姿を見ていた。
「自衛官としての経験してきたことを形見として彼らに伝えたい」それが可能な場にいながら、それを出来ないことが歯噛みするほど無念で、国旗降下の度に残された時間が無くなってくることを思うと、ヒサシにかざした手が震えてきた。
「モリオ1尉、死ぬのは怖くないですか?」当直勤務の長い夜の雑談の中、私の病気を知っている若い当直空曹が率直に訊いて来た。彼の顔は真剣だった。
「何を言っているんだ。航空自衛隊ではなァ、昔から『一度飛んだらあとは降りるか落ちるかだ』って言うんだぜ」彼は驚いた顔をした。
「だから航空機整備員はパイロットを殺さないために仕事に万全を期する。整備する方も命がけなんだよ」私の答えに彼は真顔のままうなづいた。
「まァ、何時死ぬかわからない不安よりは、もうすぐって期限を切っておいてもらえば、やることにも優先順位がつけられて気が楽さ」「そんなもんですかね」「人の心配をしている君も、事故に遭えば先に往っちゃうぞ、御用心御用心。ハハハ・・・」私の笑いに彼も頬を引きつらせてながらも「エヘへへ・・・」と付き合ってくれた。

夜中に目を覚ますと、理美もおきていた。
「どうした?」「初めて貴方の家に泊まった日のことを思い出してたんだ・・・」理美は懐かしそうに微笑んだ。あの夜、理美は周作を風呂に入れてくれて寝かせつけながらそのまま眠ってしまったのだ。
「お風呂で周ちゃん、私のオッパイ小さいねって言ってたよ」今度は思い出し笑いをした。理美が「誰と比べて?」と言いたそうな顔をしたので、私はその前に言い訳をした。
「だって、あの頃は独身だったからグラビアは選び放題、グラマーだって金髪だって・・・」私は照れ笑いをしたが、実は理美を妄想したこともあったのだ。
「あの晩、私は貴方に抱かれるつもりだったんだよ・・・」理美はそう言うと私の顔を覗き込んだ。女性は普通、自分を守るためこのようなことは考えないものだろう。しかし、聖美も理美も、臆病な私を救うために、そうしてくれていたのだと思った。
「好きな人だからこそケジメがあるのさァ」「貴方らしいね、ウフフ・・・」私の答えに理美は感心したように笑いながら抱きついてきた。その時、病気で衰えているはずの私の体が反応した。
私は随分細くなった腕で理美を抱き締め、ゆっくりと口づけをした。
「理美、抱きたい」「エッ」理美は信じられないような顔をする。
「大丈夫?」「ウン」私は、多分これで最後になるだろう夫婦の営みをすることにした。ゆっくりゆっくり、丁寧に丁寧に惜しむように理美の体を愛したが、その間にも息切れがしてくる。そして、何とか体が結ばれることが出来た、そこで私の体力は限界だった。
「私、ずっと貴方の妻だよ」理美がささやいた言葉に私の胸は張り裂けそうになった。私の死が遠くない以上、理美はまだ35、6歳で遺されるのだ。
「次の人生を歩み、新しい幸せを掴んで欲しい」そんな大きな願いの一方で、聖美から引き継いで、共に人生に立ち向かってきた戦友・理美に対する小さな執着もある。
私は「死ぬのはもったいないなァ」と呟いた。

私は自分の死が近いことを潔く受け容れ、できる準備を始めた。遺品を整理して捨てる物と送り先を箱に記し、死亡通知を印刷して宛先まで書き、遺影も撮影した。そんな中で困惑したのが位牌だった。
作法では前妻がいた場合、夫の隣に前妻を刻み、後妻はその隣になる。それは結婚生活の長短や愛情の深さとは関係なく、例え一晩だけの夫婦でもそうするのが作法なのだ。
夫を中心に両側へ妻を刻めば良さそうだが、それでは夫を奪い合っているようになり駄目らしい。つまり私は聖美の戒名「聖光慈念信女」と並んで理美を待つのだが、それでは理美に申し訳ない気がした。
勿論、理美は聖美のことを今でも恩人として敬愛しているから異論はないだろうけど、私の中で2人は同格の妻なのだ。
そこで私はあえて一緒の家族位牌は作らず、聖美と同じコンパクト・サイズで「大空典尽首座」の物を作った。後は隣に並べてくれれば結構である。そもそも坊主の位牌に妻を刻むのも論外なのだ(一応、戒律上は独身と言う建前があるため)。
しかし、佛具店の店主が「坊さんのだけど何方のですか?」と訊いたので、「私のです」と答えると絶句した。関西から東海地方では生前に作った墓石や位牌の名前を朱字にする作法があるが、「そんな話は聞いたことがない。生前に作った人も初めてだ」と呆れていた。
もう1つの懸案は私の遺骨である。聖美の遺骨は義母と一緒に沖縄の宮里家の墓に入っているが、私まで頼むことはできないだろう。
確かにその墓を建てた時、資金の殆どを払ってはいたが、あくまでも宮里家の墓である。杉浦さんの宝林寺に墓を買うと言う選択は、御夫妻が亡くなって現在の住職とは面識もなく、第1、山口県に墓があっては今後、理美が他所の基地に転属すれば帰省先がもう1つ増えることになる。
「実在の佛国土と愛するスリランカへ葬ってもらいたい」と言う気持ちもあったが、それではスリランカ政府の許可を取り、向こうで墓地を買って埋葬しなければならず、墓参も海外旅行になってしまう。
こうして考えていると「突然死んだ人は周りが知恵を出し合うから上手くまとまるのだろう」と納得した。
しかし、自分の死後の問題を気軽に考えて楽しんでいる私は坊主としての修行が出来ているのか、それとも死に慣れているのか、自分でも判らなかった。
夫婦の位牌
余命宣告から半年、ゴールデンウィークが過ぎた頃、ついに私は倒れ、防府市内の病院に入院した。
「ここの癌病棟は北のショップ長も入院していて何度か見舞いに来たことがあるんだ」「えッ?それは初耳だな」理美が防府北基地にいた頃も多くのことを語り合ってきたが、ショップの人たちの話はあまりしてこなかった。私の表情が重くなったのを感じたのか理美は無理して笑顔を作った。
「だから私、この病院には慣れているんだよ」「それは変だよ」私も無理して笑った。私は胸の中に仕舞い込んでいる病気への不安、今後への心配、焦りをここでなら吐き出せるかと思ったが今は止めておいた。

「貴方ァ、来たよォ」入院してから毎日、理美が見舞いにやってくる。仕事帰りなので理美は制服姿だが、制服フェチの私にはそれが見舞いだった。
理美はカーテンを占めてからベッドの枕元の椅子に座ると夕食の準備で帰宅する時間を気にしながら「昨日は周ちゃんが学校で・・・」「聖也が家でいきなり・・・」などと手短に家族の様子やその日の出来事を話していく。ただ、こうして間近に見つめ合うとイケナイ場面を思い出してしまいそうだ。
「モリオ3曹、私も奥さんにしたように優しく抱き締めて下さい」しかし、ベッドに寝ていては抱き締めることはできないだろう。それでも言ってみた。
「理美、頼みがあるんだけどな・・・」「何?」「抱き締めさせて欲しい」「えッ?」理美は一瞬戸惑ったが、そのまま上に重なってきた。
「理美・・・」「イエス、ダーリン」「ハニー」「マイ ダーリン」理美は嬉しそうに笑うと黙って口づけをしてきた。

癌病棟には冷厳なレールが敷かれているようだ。
始めは大部屋に入れられる一般の患者も、症状が重くなれば個室に移り、そこで点滴や採尿管、便吸引器を着けられ、さらに各種測定器具のコードもあり、雁字搦めにされる。そこから集中治療室に運ばれれば時間の問題だ。
大部屋で一緒だった患者の顔見知りの家族が呼ばれ、廊下で「終幕」を待っている姿は遠からず理美、周作、聖也も経験するのかと思うといたたまれなくなる。
そして、あの日、聖美の遺骸から感じた消毒の匂いも看護師たちが行う処置を知り理解した。

理美は新隊員の教育も佳境に入って忙しく、中々見舞いにも来られなくなった。そんなある日、周作が中学校の帰りに自転車で見舞いに来てくれた。
「お父さん、元気?」「元気だけど、寂しくてな」周作はベッドの脇に歩み寄ると枕元に立って、顔を覗き込んだ。
「部活で疲れているのに遠くまで見舞いに来てもらって悪いねェ」私の申し訳なさそうな顔を周作は感心したように見返した。
「お父さん、僕の心配よりも自分の心配をして下さい」「そうかァ」「お父さんは、いつも相手のことばかり考えていたから疲れちゃったんだよ」「フーン」私は周作の鋭い観察眼と分析に感心した。
しばらくは学校のこと、家のことの報告を受け、将来の夢について雑談していた。
「お父さん、また僕のお母さんに会えるの?」「なんで?」周作の突然の質問に私はとっさには返事が出来なかった。
「お父さんが、またお母さんに会えるなら、死んじゃっても悲しくないって思うことがあるんだ」周作は腕組みをしながら私を見下ろしている。
「それと同じことを狐狸庵先生も言ってるぞ」「そりゃあ、僕は周作だもん」そう言われて私は息子にこの名前をつけた由来を思い出してうなづいた。
「でも周作は遺されちゃうぞ」私の心配に周作は首を振った。
「大丈夫、今のお母さんもいいお母さんだから」「そうかァ」周作は「心配ご無用」と言う顔で笑った。
「でもお父さんってどうしてそんなにもてたの?」「へッ?」周作は真面目な顔で私の顔を覗き込んだ。
「お母さんも今のお母さんも美人だよ。お父さんは全然イケ面じゃないのに」これは「それを言ってはオシマイよ」の台詞だが、私は最近、聖美に似てきた周作の顔を見返した。いつの間にか身長も私を超えている。
周作はジッと答えを待っているが、私はいい答えが見つからなかった。どう説明しても聖美や理美との出会いは、中学生の周作には理解できないと思った。
結局、答えは出なかったが、「こんなにクジ運が好いのなら宝クジを買えばよかった」と言うことでオチをつけた。

痛み止めの点滴の影響で、意識を失うことが多くなった。ある日、理美は私の肩に顔をのせながら独り言のように訊いた。
「貴方、私は1日でも長く貴方と一緒にいたい、だけどそれだけ貴方を苦しませることになる、私、どうしたらいいの・・・」私は束の間の時間、目を覚ましていた。
「自然に老いて、自然に衰えて、自然に病んで、自然に死んで、自然に帰っていくのさ・・・死ねば、いつもそばで見守っていられるよ」理美は涙目でうなづいた。これが私の遺言になった。

7月1日、私は39歳になり、そして、数日後、意識を失った。
「理美、ありがとう」寝たまま理美に髭を剃ってもらっていて私は呟いた。
「えッ」「いつも・・・」そう言うと薄れいく意識の中で理美の顔が近づいたのがわかった。
「いつもそばにいて・・・」理美の声にならない声が遠くに響いたように思った。

「いつもそばにいる」との私の遺志で葬儀は行わなかった。
遺骸にはスリランカで死線を潜ってきた航空自衛隊の作業服を着せてもらい、棺はスリランカの国旗で被われている。聖美の遺品も一緒に入れてもらった。
火葬の扉が閉じられる時、周作と聖也が私の棺にむかって敬礼をした。
「やっぱりモリノ1尉の息子たちだよ」理美の言葉にその場にいた皆、義父母、義弟夫婦も涙した。やはりこの子たちはよく出来た息子なのだ。

その夜、死んだ私は家族と義父母が泊まっている官舎のベランダで佇んでいた。この官舎も間もなく空曹用に引っ越さなければならない。
理美も周作、聖也も今夜は発病以来の緊張から開放されてもう眠っている。私は骨になってしまった自分を納めた白い箱を眺めていた。
「貴方、フライングだよ」突然、後ろから声をかけられた。驚いて振り返るとそこには聖美が笑いながら立っていた。私は39歳の中年スケベ親父だが、聖美は28歳のまま美しかった。
「君こそ迎えが遅いじゃないか」「それがシマ(沖縄)時間さァ」そう言うと聖美は腕を組んで肩に頭をもたげてきた。幽霊同士で腕を組んでも肉体がないので体温は伝わらず、心臓もないので胸もときめかない。ただ気持ちがつながって一体になれた。
「でもこれじゃ、駆け落ちだよ」「私たちの場合はリメンバーターンでしょ。ウフフフ・・・」聖美の答えは相変わらずの鋭さだったが、私の感心した顔に笑い直した。
「ところであの時の子は?」その時、私は聖美の腹の中にいた子供のことを思い出した。
「もう貴方に渡したよ。生まれたでしょ、聖也君」「やっぱりな、そんな気はしてたよ」私の答えに聖美もうなづいた。
中学2年の周作、小学3年の聖也、2人ともこの歳ですでに波乱万丈を味わってしまっている。これからどう育って行くのか・・・。
「それじゃあ、一緒に家族を見守ってくれよ」「もちろん、私の家族だもん」私は聖美の両肩に手をかけて抱き締めた。
「貴方の胸って、体がなくなっても安心できるよね」聖美の台詞は理美からも聞いたことがある。その時、聖美が呟いた。
「George, I should you kiss me」・・・「OK」

  1. 2013/01/27(日) 08:27:41|
  2. 続・亜麻色の髪のドール
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