fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

第4回月刊「宗教」講座

 2月中旬はクリスマス・天長節の年末以上に宗教の祭日が重なります。
先ずは11日の紀元節=現在の建国記念の日、14日がセントバレンタインデー、15日は涅槃会の3連発です。
釋尊の死は「般涅槃(はつねはん)」と言い、悟りの完成を意味します。これは「悟り」によって精神的苦悩から解放され、「死」によって肉体的苦痛からも離脱することが出来たと言うことです。
その最期の情景は平家物語の冒頭で「沙羅双樹の花の色、生者必衰のことわりをあらわす」と詠われているように、2本の沙羅(夏椿)の樹の下で北を枕にして、右脇を下に亡くなったようです(これが死者を北枕に安置し、日常は避ける風習の起源です)。
日本の坊主は「真冬の2月に夏椿が満開になったのは釋尊の神通力による」などと言いますが、インドの沙羅は年中咲いている花なので別に不思議はありません。
死因は下痢と嘔吐で、南方佛教では豚肉を食べてあたったとされていますが、僧侶の肉食が禁じられている中国以東では茸と言うことにしています(肉食を禁じたのは中国の皇帝とそれを踏襲した日本の天皇で佛戒にはありません)。
南方佛教の涅槃経は、釋尊が最後の旅に出られたところから亡くなって埋葬されるまでを劇的に描いていますが、日本では「佛垂槃涅槃略説教誡経」と言う最後に説かれた教えだけを尊んでいます。
その中心を為すのは「知足(足ることを知る)」です。
最近、アチラコチラの寺には「口」の字を中心にして「吾、唯、足、知」を囲うように配して彫った石が置いてあるのを見ますが、その由来もこの教えです。また、神奈川県横浜市鶴見の曹洞宗大本山・總持寺(永平寺と二大本山)にある石原裕次郎さんの墓所にもこれが置いてありました。
この教えは簡単な話で、満足することを知らなければ欲望に限りがなく、常に飢えているような苦しみを味わい続ける。しかし、満足することが出来れば、僅かに得た物でも満ち足りて、幸福になれると言うことです。
ところが最近の文化人や経済人の中には、この教えを「向上心を認めない佛教の消極性の表れ」と否定する人があります。そして彼らは「だから日本以外の佛教国に経済的発展を遂げている国はない」と揶揄します。
しかし、チベット佛教のダライ・ラマ14世猊下はこのことを問われ、「東南アジアなどの佛教国は気候が温暖で農作物なども豊富だったため、殊更に科学の発展を必要としなかった。このため厳しい自然環境を克服するため科学を発展させた欧州に立ち遅れることになった」と否定的見解を示しています。
もう1つ、最後を締め括るように説かれているのが「自灯明、法灯明」の教えです。
自灯明と言うのは暗闇の中で足元を照らす明かり、法灯明は行き先を示す灯りです。人生は、一歩先も見えない暗闇の中を手探りで歩んでゆくようなモノですが、行き先が判り、足元が確かめられればやがては目的地に辿り着けるでしょう。
これが儒教やカトリックのように「こうでなくてはいけない」とレールをひかれ、その上だけを脇目も寄り道も許されずに進む人生では窮屈で味気なくありませんか。
時には迷い、時にはつまづくことも人生の醍醐味、教訓なんですから。
そんな人生の終幕を、釋尊は巨木が倒れるように閉じられました。
釋尊は弟子たちに「何か訊きたいことはないか?」と何度も繰り返し、弟子たちが「もう十分です」と答えると、「私は今、涅槃に入る」と言って眼を閉じ、すると沙羅の花が一斉に咲いて散り、白い鶴のような枯れ木になりました。
しかし、日本の夏椿は白いですがインドの沙羅はオレンジ色(写真参照)で、「こんな鮮やかな花びらに埋もれて亡くなった釋尊はお洒落だなァ」と感心したものです。
師僧はいつも涅槃図を飾りながら、まだ子供だった野僧=小坊主に、「キリスト教は十字架にかけられて苦悶の表情で死んでいるイエスを拝んでいるが、佛教は微笑んで亡くなったお釋迦様を拝む。つまり佛教は笑うための宗教だ」と言っていました。
確かにあらゆる苦しみから解放される方法を説いているのが佛教ですから、その教えを体得すれば微笑んで死んで逝けるのかも知れません。
寺の涅槃図では、弟子たちのほかに動物たちも集まっていて、その先着順に干支が決まったと言う伝説があります。また天女が落とした薬袋が枝に引っ掛かっていて、届かなかったことを嘆き悲しむ天女の姿も描かれています。また足に教えを受けようと駆け付けたのに間に合わなかった老婆がすがっています。それを指差して師僧は「学ぶ気持ちを先延ばしにすると、このように嘆き悲しむことになるのだ。知りたい欲は大いに燃え立たせ、極め尽くせ」と教えました。
涅槃佛と僧
スリランカの涅槃像
き・紗羅
スリランカ・キャンディ植物園の沙羅
紀元節は初代・神武天皇さんが即位された日で、今年は2668年に当りますが、神武さんは邇邇藝能命(ににぎのみこと)と木花の佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)の孫、海幸彦の子供です。
これが古事記にある二柱の馴れ初めのリアルな物語=神話です。
ある日、邇邇藝能命が郷に降りてきて、美しい娘・木花の佐久夜毘売に会いました。
そこで邇邇藝能命はナンパしたのですが、その時、「お前には姉か妹はいないのか?」と訊き、すると娘が「姉がいます」と答えたので、「今夜、姉と一緒に訪ねて来い」と命じたのです。
その夜、姉妹が訪ねてくると姉は非常にゴツくて不細工だったので、邇邇藝能命は「お前は帰れ」と追い返し、妹の木花の佐久夜毘売とちぎりました。
この話を聞いた郷の神である姉妹の父は、「姉の石長毘売(いわながひめ)は岩の化身、妹は木の花の化身なので、これから神の寿命は木の花のようにはかなくなるだろう」と言い、これ以降、神の寿命は次第に人間のように短くなりました。
やがて木花の佐久夜毘売が妊娠したのですが、そのことを邇邇藝能命に言うと、「お前とは一晩しかちぎっていない。それは郷の神の子だろう」と責任を認めませんでした。それに怒った木花の佐久夜毘売は「火の中で無事生まれてくればそれは貴方の子だ」と宣言し、洞窟に籠って火を放ち無事2人の子供を生みました。
この場所が現在の宮崎県の鵜戸神宮で、生まれた子供が海幸彦、山幸子だと言われています。ちなみに海幸彦の子供が初代・神武天皇です。神道の「ハレ」と「ケ」の考え方についても天長節の時に少し触れましたが、この「ケ」からリフレッシュする手段としては、非日常の「ハレ」の時を過ごすほかに「禊(みそぎ)」があります。
これは「身削ぎ」と書くこともあるように、今のような殊更に寒い時期に裸になって池や海で冷水を浴びたり、逆に大きな松明の火の粉を振りまいてそれを被ったり、まさに身を削ぐような肉体的苦痛を自分に課して、魂についた「穢れ(この場合の「ケガレ」は「汚れ」になります)」を落とすのです。
昔、神社の神職は毎朝、仕事の前に冷水浴をやったそうですが、最近は朝シャワーで済ませているようです。確かに清潔ではありますが禊になるのかは判りません。
また、このことは神道が新しい物を尊ぶと言うことにも通じます。
つまり古い物はそれだけ穢れている訳で、伊勢の神宮が20年に1回行う遷宮のように、神社は木の香りがする新しい社殿の方が有り難いのです。
これは生命の再生を願うことにも通じ、だから神社の巫女は処女であり(ウチにOGがいますが実際は全く違う)、使う道具も白木の物が多いのです。
もう1つ、神道で特徴的なものに「言霊(ことだま)」と言う考え方があります。
これは「言葉には実際を引きよせる力がある」と言うことで、数字の「四」は「死」、「九」は「苦」に通じるからと嫌うことなどはこの例です。
(野僧などは「幸せが来る」と「四十九」を目出度い数字と喜んでしまいますが)
神道に於いては「死」こそ最も忌み怖れる出来事で、それにつながる「血」を流すことは避けなければならない凶事なのです。
だから日本では血を流すことそのものを遠ざけ避けようとする風習があり、女性の出産や生理は「血の穢れ」とされて、母屋から離れた産家(うぶや)で人目を避けて出産し、神社では生理中の巫女は拝殿に入れません(大きな神社では休ませる)。
さらに「戦い」は死を呼ぶ最たるもので、平安時代までの武士はその穢れた行為を生業とする忌むべき職業だったのです。
現代でも「防衛論議をすること自体が戦争を招く」と言う不可解な論理を主張する一部の日本人がいますが、これはある意味、極めて日本的な考え方なのです。
さらに日本国憲法の第九条「戦争の放棄」は現実的でないという批判をする保守派の人たちがいますが、日本国憲法では戦争だけでなく、大規模災害や騒乱などの国家非常時に関する規定も盛り込まれておらず、それも日本的です。
わが国最初の律令である養老律令や大宝律令では、参考にした中国の律令にある戦争などの非常事態に関する規定は削除するか空文化していて、朝廷は「死」「穢れ」に関する業務にはノータッチ、責任を放棄しましたが、騒乱、盗賊や死人の処理などをしない訳にはいかず、それで設けられたのが人間に入らない「非人」を使ってこれらを行う「検非違使(けびいし)」と言う役職で主に武士が就きました。
検非違使の担当業務は武力を用いた国の守り、犯罪防止と罪人の処罰、非人を使っての死体処理を含む清掃で、これらは自衛隊の「防衛」「治安維持」「災害派遣」と言う任務に通じるのも偶然の一致ばかりではないでしょう。
自衛隊が防衛任務よりも災害派遣で感謝されるのも日本人なら自然なことです。
石井林響・木華開耶姫石井林響「木華開耶姫」
最後にセントバレンタインデーですが、これは本来、セント・ヴァレンティヌスの祝日で、2月13日と言うところもあります。
セント・ヴァレンティヌスは古代ローマ帝国時代の実在の人物で、西暦270年に亡くなったと言う記録も残っています。
ヴァレンティヌスは「兵士が弱くなるから」と兵士の恋愛、結婚を禁じていた皇帝に背き、愛し合う兵士と恋人の結婚を祝福したことで罪に問われ処刑されました。
捕えられた時、取り調べる執政官の娘の不自由な眼を祈りで治し、これが評判になりましたが、結局、皇帝の命令に反することは出来ず、処刑されました。
この恋人同士の想いを命をかけて遂げさせたことで、ヨーロッパでは中世から友情、恋愛の守護者として崇敬を受けていました。
ただし、聖人信仰と言うのは、オーソドクス(ギリシャ、ロシア正教)やカトリックまでのもので、プロテスタントには見られません。
プロテスタントでは、カミの前で人間は平等であると言う思想が強く、カトリックの聖人は、カミの下に精霊がいて、その下にローマ法王を頂点とする聖職者を配して衆生の上に君臨する身分制度の一部であるとして、時にはその聖人が行った殉教や自己犠牲までも否定することがあります。
友人のプロテスタントの牧師は、マザー・テレサが聖人の前の段階である福者に列せられた時、テレサのインドでの活動を称賛する野僧に「テレサはカトリックなのが間違っている」と否定しました。
これはセント・ヴァレンティヌス、セント・ニコラウスも同様でしょう。
ちなみにオーソドクスやカトリックの普通の教会にいるのは神父ですが、プロテスタントでは牧師=羊飼い、つまり衆生は迷える子羊なんです。
どちらにしろ日本のセントバレンタインデーはチョコレートの売り上げを伸ばすためにお菓子メーカーが始めた風習であり、3月14日のホワイトデーに至っては全く根拠がありません(浄土宗の善導忌ではありますが)。
                                        南無文殊師利菩薩
セント・ヴァレンティヌスセント・ヴァレンティヌス

  1. 2013/02/01(金) 09:55:16|
  2. 月刊「宗教」講座
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<2月3日 札幌オリンピック開幕 | ホーム | 2月1日・山県有朋の命日>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/489-742e0b1f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)