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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月23日・谷川岳で銃撃による宙吊り遺体の収容が実施された。

昭和35(1960)年の明日9月19日に日本の岩登りでも有数の難所と言われている谷川岳一ノ倉沢の衝立岩で滑落して宙吊りになっている遺骸のザイルを銃撃によって切断して収容する作業が実施されました。
群馬県と新潟県の県境に位置する谷川岳は標高こそ1977メートルと日本でも高峰とは言えませんが岩場がそそり立っている上、太平洋側と日本海側の両方に流れ出る河川の源流でもあるため両方からの影響を受けて気象が急変することが多く、昭和6(1931)年からの統計では805名が遭難死しています。中でも衝立岩正面ルートは穂高岳(標高3190メートル)の屏風岩と同じくほぼ垂直に300メートルの高さがあり前年8月に東京雲稜会の南博人さんが登頂に成功しただけの難所中の難所でした。
9月19日、登山者から「衝立岩で人の声が聞こえる」と言う通報を受けた群馬県警谷川岳警備隊が現場に急行すると下から200メートルほどの位置に宙吊りになっている2人の登山者を発見し、繰り返し呼びかけても反応はなく、双眼鏡で確認した身体の状況から「死亡している」と判断しました。そうして入山記録から2人が東京の蝸牛山岳会の野中タイゾウさんと服部フジオさんであることが判明したのです。
連絡を受けた蝸牛山岳会では2人の遺骸の回収に乗り出しましたが、通常の登攀(とうはん)でさえも困難な絶壁から重い遺骸を運び下ろすことは不可能であり、現場に来ていた遺族の了承を得た上でザイルを切断して落下させる決定を下しました。ところがナイフを握った片手が届く距離までザイルに近づくことも困難で、鉄の棒の先に布を巻いて油を漬し、それに火を点けて焼き切ることも検討しましたが、気象条件や現場付近まで長い鉄棒を運ぶ危険などから却下されました。
結局、自衛隊の狙撃でザイルを切断して遺骸を落下させることが検討されたのですが、この案に勘づいた新聞記者が先走って「自衛隊が出動か」と報じたため、決定には不要な議論を要することになりました。それでも22日に群馬県警から相馬ヶ原駐屯地に出動要請が為され、第1偵察隊(=レンジャー資格が所属条件)の隊員47名が派遣されたのです。
こうして23日の朝、約140メートルの距離の岩場からM1ライフル、M1カービンで狙撃を開始しましたが、特級射手の精密射撃でも直径1センチに満たないザイルに命中させることはできず、最終的にはM1917重機関銃(重と言っても弾丸はM1ライフルと同じ)の連射で切断に成功して遺骸は落下・回収されたのです。
日本人は狙撃と言うと劇画「ゴルゴ13」のデユーク東郷がM16で1000メートルの距離から眉間などを射ち抜くことをイメージするので自衛隊の技量が低いように思ってしまいますが、あれはあくまでも架空の話であってM16の5.56ミリ弾は弾丸が軽いので遠距離では風などの影響受け、命中精度は極端に下がります。一方、M1カービンの7.62ミリ弾の弾頭は拳銃弾のような丸い形状なのでM16以上に狙撃には向かず使用目的が理解できません。約2時間で弾薬約1300発を使用したようなのでこの機会を利用して実地訓練にする目的もあったのではないでしょうか。
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  1. 2018/09/22(土) 09:23:34|
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