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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1322

「貴方、お疲れさまでした」荒れ気味の海で入院患者を運んだ淳之介は少し疲れて帰宅した。台所で夕食の支度をしながら帰宅を待っているあかりは足音でそれを察して声を掛けた。
「あかり、飯を喰ったら飲みに行こう」玄関を開けて靴を脱いだ淳之介は流し台に向かって立っているあかりを後ろから抱き締めた。普通の夫であれば妻と飲みに出ることにすればそのまま外食にして仕度してある夕食は冷蔵庫に入れて出掛けるのだが、淳之介はあかりが調理することの大変さを理解しているためそれは口にしない。
「今日は風が強かったから仕事は大変だったんでしょう。休まなくて大丈夫」「明日は休みだから久しぶりにカラオケが唄いたいんだよ」奥の部屋へ着替えに入った淳之介とあかりは少し音量を上げて会話を続ける。確かにあかりの頭の中のカレンダーでも明日は休みだ。
今日も石垣市街の外れにあるスナック・ばすきなよお(八重山方言で「忘れないで」)へ行くのだろう。この店は淳之介の父とあかりの母が八重山旅行に来るたびに寄っていた店で25年後に淳之介が石垣島へ就職した時、あかりの母から思い出話で聞いていたので探してみるとまだ営業していたのだ。流石に30歳代だったママさんは60歳前のおバアになっていたが、その分、孫のように可愛がってもらっている。
八重山では3月下旬には海開きになるので日差しはウリズン(沖縄方言の「初夏」)なのだが日没後の海からの風はまだ少し冷たい。淳之介はトレーナーにGパンの最近の普段着姿のあかりの肩を抱いて海沿いに市街地から外れる道を歩いて行った。
「そう言えばここに岡崎会館があったんでしょう。岡崎ってお父さんの出身地じゃあないの」あかりは目には見えなくても足での距離感と周囲の物音や人々の話し声で大体の位置を推定する能力が鋭い。淳之介も石垣島に住んで間もない頃、石垣港の西側の集落で徳川家康の像を見つけ、傍にいた人に訊ねてこの場所にあった会館の名前を聞いたことがある。
「うん、お父さんの沖縄好きは子供の頃からだったみたいだ」「それは違うわ。お父さんの前世は沖縄戦で戦死した海軍中尉だから生まれる前からなのよ」実の息子よりも嫁の方が父親を理解している。やはりこれもあかりが深く結ばれた父の元カノの娘だからだ。淳之介は軽い敗北感を噛み締めながら黙って歩を進めた。
「おーりとーり(いらっしゃいませ)」「くよなーらー(こんばんは)」「みーどぅはーそーなー(お久しぶり)」店のドアを開けるとヤイヤムニ(八重山方言)で挨拶を交わす。あかりには訛りになるが、ナイチャアとシマンチュウのハーフでも本土育ちの淳之介にとっては第2外国語ならぬ第2島口の勉強だ。それにしても沖縄本島の「ハイサイ(こんにちは)」は調子が好いが、八重山の「くよなーらー」と全身の力が抜けるような挨拶も悪くない。
「今日は他にお客さんはいないみたいだよ」先ず淳之介はあかりに店の中の様子を説明する。それによってあかりも表情から言葉遣いまで心の準備をする。あかりの障害のことを知っているママさんはこの若い夫婦の助け合いを見て優しく微笑んでいる。この言葉の説明であかりは全身の神経で環境を探ることなく安心できるのだ。
「さァ、お2人さん。今は貸し切りだからカウンターの真ん中にどうぞ」ママさんが声を掛けると淳之介はあかりの肘を取ってカウンターの回転椅子に連れて行って座らせた。
「今日は平日だから開店休業で店じまいになると思っていたわ。みーふぁいゆ(八重山方言の丁寧なお礼)」「僕としてはそれが狙い目でね。勿論、明日が休みだからだよ」ママさんはカウンターの正面の棚から淳之介のシマグシ(八重山方言の泡盛)のボトルを出してオンザロックとお湯割りを作った。当然、淳之介がオンザロック、あかりがお湯割りだ。
「今日はみーにし(北風)が強かったからいん(海)は荒れたでしょう」「うん、ふぅむ(雲)も重く垂れこんでいて冬に戻ったみたいだった」こうして八重山方言を勉強するのは離島便で乗客と会話するのに役に立っているからだ。そのため淳之介は無理して方言を混ぜている。
「ところで今日はカラオケを唄いに来たんだった」淳之介はあかりが掲げたグラスに自分のグラスを当てて乾杯するとママさんに声を掛けた。するとママさんは待ち構えていたようにカラオケのメニューを淳之介の前に広げた。
「あかりは花の歌が好きなんだよな」「うん、花は香りと葉の音で会話ができるから好き」あかりの返事に淳之介は出会った頃、花の香りで種類を言い当てて驚いたことを思い出した。
「それじゃあ花の曲名を言うから唄う歌を決めろよ」「はい、お願いします」2人の会話にママさんは紙ナプキンを取ってメモの用意をした。
「赤いスイトピー。アカシアの雨が止む時、これは懐メロだな。くちなしの花、これは親父の持ち歌だ・・・さくら」「私、それにする」1曲目は森山直太郎の「さくら」に決まった。
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