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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1325

安里梢は両親が定年後に買った那覇市郊外のマンションに住むようになって6畳1間が自室になっている。以前のマンションで使っていたあかりのベッド以外の家具は2人が2間のアパートに転居してから石垣島に送った。今では箪笥と鏡台、持ち帰った仕事用の小型の事務机だけが部屋の隅にあり、寝るのも布団だ。
そんな梢は今年の3月中旬は上機嫌だった。3月15日の月曜日にモリヤから20数年ぶりにバレンタイン・デーの返礼が届き、それが昔と同じマシュマロだったのだ。
「マシュマロかァ。昔からこれなんだよね」梢が初めてモリヤにバレンタイン・デーのチョコレートを送ったのはつき合い始めて間もない3度目のデートの時だった。昭和58年の2月14日は月曜日だったので前日のデートの待ち合わせ場所の三越で買っておいた少し高級なチョコレートを手渡すとモリヤは自衛隊で言う45度の敬礼をして受け取った。その後、首里に彼岸桜を見に行って円覚寺の池の石橋の上で初めてのキスをした。
1ヶ月後の3月14日も月曜日だったが、モリヤが増加警衛明けだったおかげで平日外出して待ち合わせ、同じく三越で買っていたマシュマロの抱えるほどの大袋を手渡してくれた。今回はそれほど大きくはないが口に入れて甘く溶ろける食感はモリヤとのファースト・キスのようだ。
「そう言えばあの人、不思議な話をしていたわね。マシュマロはあの世の人たちが食べられる唯一の食品だって・・・」梢は少しでも長く食べようと1日5個と決めているマシュマロの4個目を口に入れ、机の引き出しに隠しているハワイの結婚式で佳織に撮ってもらったモリヤとの2ショット写真を入れた額を眺めながら呟いた。それは昭和50年に放送された倉本聰原作のドラマ「あなただけ今晩わ」の中で語られていた話だ。モリヤは台本から書き直した小説の本を梢に贈ってくれたのだが、それは夫・谷茶に知られて破り捨てられてしまった。
「うーん、やっぱり青の航空の方が似合ってるわよ。顔に野性味がないから陸上は駄目」確かに元恋人の指摘通り、モリヤは年齢を重ねるごとに顔が坊主化していて本人が愛用している迷彩服も似合っていない。尤も、演習に行かなくなって何年も経っているから陸上自衛官を名乗る資格は喪失しているのかも知れない。
「梢、電話だよ」その時、リビングから母が呼ぶ声がした。携帯電話ではなく自宅の電話に掛けてくるのは淳之介とあかり夫婦だけだ。だから電話の子機は両親の部屋に置いている。
「若夫婦が何事だろう」梢は写真を引き出しに戻すとマシュマロを口に入れて立ち上がった。
「淳之介から、あかりも傍にいるよ」受話器を手渡しながら母は簡単に説明した。要するに自分も2人と話をしたようだ。
「もしもし」「あッ、お母さん。ご無沙汰しています」淳之介の出だしは相変わらずだ。この年齢不相応の固さは血統以外の何物でもない。
「実はお母さんに相談がありまして」「はいはい、何でもうかがいますよ」淳之介の声が重くないので深刻な相談ではないことは判る。傍らで聞いていた母は娘の口調でそれを察して安心したように自分たちの部屋に戻っていった。
「今年の春、あかりに本土の桜を見せてやろうと思うんです」「本土の桜ってソメイヨシノのこと」「いいえ、吉野の桜でなくても良いんですが」ここで話が噛み合わなくなった。梢は花の種類を確認したのだが、歴史好きの淳之介は地名で答えた。ただし、それはこの会話には影響しないので梢が先に進めた。
「どうして急に・・・淳之介が本土シックになったなら判るけどあかりは本土の桜を知らないじゃない」この「知らない」が情景ではなくあかり感性を指しているのは言うまでもない。
「昨日、2人でカラオケに行って桜の歌を唄っているうちにそんな話になりました」淳之介に説明に梢の胸で昔の傷が痛んだ。一瞬、息を呑んで受話器を握り直してから話を続けた。
「私もニンジンさんと同じ約束をしてたんだよ。さだまさしのコンサートに行って『秋桜』って言う歌を聞いて『コスモスを見てみたい』って言ったら連れて行くって約束してくれたんだ。でも・・・」「そうですか。だから父はコスモスを見ると沈んだ顔になったんですね。時々、1人で泣いてましたよ」「グスンッ」思い掛けない淳之介の返事に梢まで涙ぐんでしまった。
「私は本土の桜には詳しくないからお父さんとお母さんに相談して決めなさい。飛行機は手配して上げるから連絡してね。ところで淳之介はこの時期に休暇が取れるの」やはり母は視覚障害者であるあかりを単独で旅行させることは考えていないようだ。
「やっぱり1人では無理ですかね」「身内がつき添っていないと他人にあかりの介助を頼むことになるのよ。トイレや風呂で他人の手を借りることになるじゃない」石垣島で淳之介は「確かにそうでした」と言う反省の弁を胸の中で呟いて頭を下げた。
し・純名里沙イメージ画像

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  1. 2018/09/28(金) 09:55:22|
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