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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月6日・中東和平の立役者・アッ=サーダート大統領が暗殺された。

1981年の明日10月6日に欧米と日本ではイスラエルとの和平を成し遂げた人物として絶賛され、1978年にはノーベル平和賞を贈られていたエジプトのアンワル・アッ=サーダート大統領(日本ではサダトと呼ばれることが多い)が第4次中東戦争の開戦記念日に開催された軍の観閲式典中に暗殺されました。
アッ=サーダート大統領は1918年にスーダン系エジプト人の家庭の13人兄弟の1人として生まれました。貧しい家庭の優秀な子供の常で19歳の時にカイロに開設された王立陸軍士官学校の1期生として入営し、卒業後は通信将校として勤務しています。その中で1期後輩のガマール・アブドゥル・ナーセルさん(日本ではナセルと呼ばれている)と意気投合して将校による秘密結社・祖国解放運動を創立しました。
1939年に第2次世界大戦が勃発して1942年にエルヴィン・ロンメル元帥が率いるナチス・ドイツの機甲部隊がエジプト北部のエル・アラメインにまで迫るとこれを「イギリスを駆逐する好機」と考えた祖国解放運動はロンメル部隊に呼応して王制と親イギリス政権を打倒する計画を立てたのです。ところが接触していたナチス・ドイツ軍の工作員が逮捕され、計画が発覚したためアッ=サーダートさんは逮捕されて軍事法廷に掛けられました。終戦を迎えるとアブドゥル・ナーセルさんと共に自由将校団を結成して1952年のクーデター=エジプト革命で王制を廃止し、アブドゥル・ナーセル政権を成立させたのです。1958年にシリアを吸収合併してアラブ連合共和国を成立させるとアブドゥル・ナーセルさんが大統領に就任し、アッ=サーダートさんも1964年と1699年からアブドゥル・ナーセル大統領が死去するまで副大統領を務めています。
1970年9月28日にアブドゥル・ナーセル大統領が心臓発作で急死すると大統領に就任し、その後は偉大なるカリスマの後任として目立たないながらも辣腕を奮い、1973年にはシリアと協同で第4次中東戦争に踏み切り、ソ連製の携帯式対戦車ミサイルによってイスラエル軍の戦車部隊を壊滅するなどの大戦果を上げています。
しかし、国際情勢を大局的に見た時、国家としてのソ連の限界は明らかでアッ=サーダート大統領はアブドゥル・ナーセル政権の親ソ・イスラエル対決路線を放棄して親米に舵を切り、イスラエルとの和平を樹立させました。これは欧米・西側では絶賛を浴びたもののイスラム圏と東側では裏切り以外の何物でもなく、これまでの実績と安穏な生活の実現では国民の怒りを収めることはできず、鎮圧と懐柔を進めながらもアッ=サーダート大統領自身が暗殺されることを予告するようになっていきました。
この時、観閲式典では空軍のアクロバット・チームが上空を通過していて観衆や警備の兵士たちも視線を上に向けていました。そんな中、砲兵部隊の車両が観閲台の前で停止し、イスラム復興主義過激派の中尉が指揮する暗殺隊が発砲しながら観閲台に迫り、中尉が投げた3個の手榴弾のうち1個が爆発したのです。爆発後、中尉は「ファラオは死んだ」と叫びながら倒れているアッ=サーダート大統領を銃撃してトドメを差しています。
この中尉はエジプト式終身25年の刑期を終え、2016年10月に釈放されました。
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  1. 2018/10/05(金) 10:19:01|
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