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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1337

「この歌・・・」改札を出て駅の構内を歩いているとあかりが突然立ち止った。肘を引かれた淳之介も止まると茶山夫妻も2歩ほど先に行ってから止まって振り返った。
「広瀬川流れる岸辺、思い出は帰らず 早瀬踊る光りに 揺れていた君の瞳・・・」あかりは港内に流れている曲に合わせて小声で唄い始めた。淳之介も家で父がカセット・テープで聞いていたような気がしたが憶えてはいない。すると茶山元3佐夫妻が感心したように声をかけた。
「青葉譲恋唄だよ。唄ってるさとう宗幸は仙台出身の歌手だからね」「違うわよ。さとう宗幸は岐阜県の可児市出身だけど2歳の時に古川市(現在は大崎市)に引っ越してきて育ったのよ」茶山元3佐の説明を奥さんが訂正した。ここにモリヤの両親がいれば「岐阜県可児市と言えば島田元准尉の自宅がある場所だ」と驚くところだが淳之介とあかりには縁がない土地だ。
「ウリズン(初夏)になると母が唄っていたから少し憶えています」「でもお母さんは沖縄の方なんでしょう」「はい、昔愛し合っていた人に習ったって・・・」奥さんの質問にあかりは事実だけを答えた。淳之介もその人物が自分の父であることは黙っておいた。
「ここがこの歌の街なんですね」「それじゃあ駅を出たら青葉通りを歩いてみよう」茶山元3佐の提案にあかりは笑顔をほころばせた。
「青葉通り薫る葉緑 思い出は帰らず 樹かげこぼれる灯に 揺れていた君の頬・・・」駅前大通りである青葉通りを歩きながらあかりは続きを唄っている。本当は歌詞の通りに並木の葉の天井から漏れてくる光りがあかりの頬を優しく照らしているのだが見せることはできない。それを悔しく思っている淳之介にあかりは笑顔を向けた。
「木漏れ日が優しく差しているでしょう。頬に温度を感じるもの。それに大きな木が並んでいて葉が茂っているわ。木も気持ちの良い風を受けて喜んでるね。貴方は誰」「うん、沖縄にはない大きな木だよ・・・」あかりの木への問いかけに淳之介は名前を説明しようと思ったが知らなかった。すると茶山元3佐が代わって答えてくれた。
「これは欅(けやき)だよ。大きくなるから街路樹として広い道専用かな。東北から九州まで生えている木だけど寒い方が好きだからモリヤくんが勤務した西日本ではあまり見なかったかも知れないね」そう言って茶山元3佐は落ちている葉を拾ってあかりの白い杖を提げている手の甲に触れさせてくれた。欅の葉の側面には鋸の刃のようにギザギザがあり先端は尖っている。
「欅ですかァ、初対面だから匂いが判らなかったんですね」そう言ってあかりは淳之介の肘から手を離して欅の葉を顔の前にささげて笑顔で挨拶をした。この詩人か童話作家のような娘に茶山夫妻は感動したように顔を見合わせた。
昼食には仙台市内のアーケード街(8月の仙台七夕では笹飾りを競い合う地区)の食堂で名物の牛タンを食べたが、あかりは白米の美味しさに驚嘆して隣りで淳之介が取って皿に載せたオカズに気づかなったほどだった。沖縄でも石垣島には水田があり6月と11月に2度の収穫があるため新米も口に入るのだが東北の米とは全てが違う。淳之介は茶碗の中で光り輝いていることにも驚いたいたのだが、あかりは香りと味、弾力と粘り気の絶妙さを満喫していた。
「もう日が陰ってきたから桜は明日にしましょう」船岡は仙台から車なら45分ほどだが自宅に着いたのは3時過ぎだった。茶山夫人の意見に2人はうなずいた。確かに駅で奥さんが言っていたように風が冷たくなり、家に入らなければ義母が用意してくれたサマー・コートを羽織りたくなる。今夜は家の中でもトレーナーの上にジャージを羽織らなければ寒いかも知れない。すると茶山元3佐が思い掛けない提案した。
「日没までまだ2時間ある。折角、ここまで来たのだから東北の自然を味わってもらおうか」「でも貴方、お2人は疲れておられるんだから・・・」奥さんは制止しようとしたが茶山元3佐は言い終わった瞬間には外に出かけていた。3人が話している間に靴を履き替えていたらしい。
「すみませんね。無理なら断っていただいても良いんですよ」「いいえ、もっと東北の自然を味わってみたいんです」淳之介が迷っている横からあかりが返事をした。今日のあかりは新発見の連続に興奮気味で疲れや不安などは全く感じていないようだ。
「貴方、サマー・コートをお願い。あとは運動靴も」「うん、待ってろ」あかりは昨日の飛行機ではよそ行きのワンピースだったが、今日は階段を使う乗り降りが多いためスラックスの軽装で来ている。したがって靴さえ履き替えれば茶山元3佐に案内される自然の中にも行けるはずだ。淳之介は玄関の上がり端でカバンを広げ、サマー・コートと運動靴、自分のジャンバーと運動靴を出してあかりに置いた位置を教えた。
「お疲れのところを申し訳ありませんね。カバンはお2人に寝ていただく部屋に運んで置きますからそのままで・・・」奥さんが声を掛けた時には外でエンジン音が響いていた。
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  1. 2018/10/10(水) 09:25:32|
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