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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1341

帰りには蔵王山で冷えた身体を大河原町の日帰り温泉で温めた。勿論、あかりは初体験だが残念ながら日帰りでは家族風呂はなく奥さんにお願いすることになった。
「これが温泉なのね」「うん、俺は山口や三重では何度か入ったけどユックリと浸かってシッカリと温まるのがコツだってよ」当然、淳之介は父と一緒だったが母と志織は長湯なので早く出て湯冷めしないための教育だったのかも知れない。考えてみれば父は家では「クロウ・テイク・ア・バス=カラスの行水」だったはずだ。
「それじゃああかりさん、入りましょう」浴室の前で奥さんが声を掛けてきた。あかりは廊下でも杖を突くので「コツ、コツ」と言う音が響く。すると奥さんが歩み寄って手を取ると中に連れて行った。下着の替えは持って来ていないがそれは仕方ない。
「ほれ、我々も入浴だぞ」今度は淳之介が声を掛けられた。茶山元3佐の口調はどこか父に似て自衛隊の号令的だ。淳之介が父と入浴したのは小学生まででナニに毛が生え始めてからは避けるようになった。それでも高校時代は寮生活だったので抵抗はない。この際、背中を流してこれまで受けた過分の厚情への感謝を示そうと思いながら後に続いた。
「あかりさん、髪は自分で洗っているの」「はい、母がしてくれる感覚を憶えて1人でもできるようにしました。ただチャンプーが落ちているか判らないので洗いは多めにします」奥さんはあかりの隣りに座って手を貸そうと待ち構えていたが慣れた手つきで自分で始めていたのだ。ここでもあかりの母が娘を自立させるために知恵を絞って試行錯誤しながら教えを施してきたことが理解できた。確かにあかりの長い黒髪は手入れが行き届いていて美しい。それは慎重で丁寧に髪をいたわっているからなのだろう。
「あッ、すみません。泡が飛んでいるかも知れませんね。私には見えませんから御迷惑がかかったら言って下さい」あかりは手で確認しながら髪を洗い終えるとシャワーのお湯の温度を手で確認しながら声をかけた。この気配りも母から教えられたものだ。奥さんは会ったこともないあかりの母に心から敬意を抱き、安心して自分も髪を洗い始めた。
「お湯に浸かる時には髪が長い人はタオルで巻くのよ」いざ湯船に入ることになると未経験のあかりは奥さんの手をわずらわすことになった。沖縄では自宅でもシャワーが中心で湯船に浸かる習慣があまりないため流石にこれは教育されていないようだ。
「お湯につかるってどうするんですか」健常者であれば周囲を見れば判ることも視覚障害者は言葉で説明されなければ行動に移すことができない。奥さんは淳之介が何かにつけて具体的で丁寧に説明していたことを思い出した。
「先ずこの手桶で中のお湯を汲んで下半身にかけるの。次に肩から背中、最後に首にかけて身体を温度に慣らしたら・・・」そう説明しながら奥さんは手桶を渡し、それを手で湯船の中に誘導し、自分で汲ませた油を下半身にかけさせた。後は言葉で説明した通りにやるはずだ。
「次はこの湯船の枠をまたいで中の段に足をかけて中に入るのよ。枠に引っ掛からないように気をつけてね」「はい、気をつけます」あかりは返事をすると手で湯船の枠の高さを確認してからおそるおそるまたいだ。こうして湯船に浸かる初体験をした。
「おーい、あかり、湯船につかったか」「はーい、今入りました」男湯と女湯をし切っている壁越しに淳之介が声を掛けてきた。茶山元3佐は古いタイプの男性なのでこのように人前で気軽に声を掛けてくるようなことはしない。その点には奥さんは少し羨望を感じた。
「本当にお世話になりました」「有り難うございました。色々な初体験ができて本当に感謝しています」翌日は最寄りの白石蔵王駅から「やまびこ」に乗った。駅のホームまで茶山夫妻が送ってくれたが今回も駅員が付き添っている。
「いいえ、こちらこそ一緒に楽しめましたよ」「若いお2人の絆を見て私も・・・グスンッ」奥さんは最後に鼻を詰まらせた。こうして考えてみると茶山元3佐は決して場当たり的な思いつきで連れ回したのではなくご本人が言う自衛隊式業務実施計画まではいかなくても少なくとも腹案を立てていたはずだ。でなければ短期間にこれだけ充実した体験ができるはずがない。
あかりにとっては念願の花吹雪だけでなく鹿や猿、雉との対面や雪に触れ、温泉につかるなどの初体験の連続だった。淳之介自身も山形との不思議な縁(えにし)の発見があった。
「それでは間もなくやまびこ×××号が参ります。よろしいですか」その時、ホームに列車の接近を知らせるチャイムが響き、駅員が声を掛けてきた。茶山元3佐は表情を変えず後退さったが奥さんは逆に前に出てあかりの手を取った。
「元気でね。また遊びに来て下さい」あかりは片手には杖を提げているので両手で握り返すことはできない。ただ少し低い位置にある奥さんの顔の位置を推定して顔を近づけて頬を重ねた。その背後に新幹線が入ってきた。
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  1. 2018/10/14(日) 09:29:22|
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