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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1342

淳之介とあかりが帰ってくる日も私は半日の休暇を取って東京駅で出迎えるつもりだったが、担当している裁判の日程変更が通知されたため諦めざるを得なくなった。
司法と政治の間には相互不干渉の原則があり、司法は政治を法的に監視する立場にあるが、実際は人事権・予算権を政治に握られている以上、影響を受けることは避けられない。
検察側は明らかに不利に陥っているこの政治色が強い裁判を反自衛隊だけが存在理由の社人党が加わっている雀山政権の後押しで逆転勝訴に持ち込むつもりだったらしいが、雀山内閣の支持率急落で様子見を決め込んだのかも知れない。
「すまん、随分と遅くなったから時間を潰すのに困っただろう」それでも課業が終了した直後に市ヶ谷を出て携帯電話で待ち合わせた東京駅に向かうと帰宅ラッシュの中、2人は寄り添って待っていた。本当は市ヶ谷も中央線の経由駅なのでこちらまで来させれば帰宅には便利なのだが、この時間帯に東京にあまり詳しくない淳之介にあかりを連れて来させるのには不安もある。
「いいえ、お忙しいのにすみません」私の声を聞いて淳之介に代わってあかりが礼を言った。
「カバンは取って来てあるんだな」「うん、茶山さんから預かった土産もあったから荷物は倍になったよ」そう言って淳之介は前屈すると両足の間に置いているカバンと紙袋を持った。最近は足元の荷物を持ち逃げする窃盗が増えているため私が指導していた。
「その紙袋は持とう」「はい、1升パックの地酒が2本も入っているから重いんだ」淳之介は素直に荷物を渡した。本来はカバンも受け取ってあかりだけに意識を向けられるようにしたいのだが制服を着た幹部自衛官が夜逃げのような大荷物を抱えて歩くことは控えた。
中央線の新宿駅で下りて夕食を取り、その後は家に戻った。2人は明日、沖縄へ帰らなければならないから東京の夜を満喫させる訳にはいかないのだ。幸い明日の裁判の打ち合わせは牧野弁護士と滝沢弁護士の都合で午後3時になったため羽田空港に送ることはできる。
「お母さんに電話させてもらっても良いですか」自宅に着くとあかりは真っ先に申し出た。その顔には「母の心配を解消したい」よりも「感激を報告したい」と言う高揚感がある。
「うん、今掛けるから待っていなさい」我が家の電話は今時珍しいダイヤル式のためあかりに掛けさせるには無理がある。そこで壁に貼ってある電話番号一覧表の一番下に書き加えた安里梢の自宅に電話をした。
「もしもし、おバアねェ。お母さんは帰ってるの。うん、お願い」電話が呼び出したところであかりに受話器を渡すと間もなくく遠慮のない口調でまくし立て始めた。やはりあかりにも内と外で態度の使い分けがあるようだ。
「お母さん、今、お義父さんの家に帰りました」どうやら梢が出たらしい。そこで私はリビングに移動してカバンを開けて整理を始めている淳之介と傍聴人になった。
「驚かないで聞いてね。私、桜だけじゃあなくて色々な初体験をしたんだよ」私は夕食の時、今回の報告は聞いているがやはりあかりが興奮して熱弁を奮う様子には驚いた。
「私、鹿と猿と雉に会っちゃった。うんうん、すぐ傍の木や草の中にいたんだよ。始めは少し怖かったけど話したら友達になれたんだ」やはりあかりには神秘的な感性があるのだろう。
「それから雪に触ったんだよ。お母さんはまだ触ったことないでしょう」こうなると自慢話だ。それにしても2人が蔵王山に登ってくると言うのは完全に想定外だった。茶山夫妻の最大限のもてなしには心から感謝しなければならない。
「それから温泉につかってェ・・・」この凝縮した初体験の数々は梢が私と結婚していれば経験することができたはずだ。そう思うと聞いていて少し胸が痛んできた。
「あッ、大事なことを忘れてた。仙台って青葉城恋唄の舞台なんだよ。だから青葉通りを歩いてきたんだ」この話は聞いていなかった。おそらく梢にこの歌を教えたのは私だ。2人で奥武山(おうのやま)公園から漫湖(まんこ)の岸を歩いて国場川に差しかかった時、私が「国場川流れる岸辺」と替え歌にしたのが始まりで、その後、カラオケで愛唱するようになった。
「うん、すごく感激した。日本って広いんだね」こんなに無邪気に話すあかりを初めて見た。淳之介もそのようで少し呆れたような顔で背中を眺めている。するとあかりが振り返って受話器を差し出した。
「お義父さん、母が話したいって」今日は私にとって息子夫婦、梢にとっては娘夫婦の前だから昔に戻って話すことはできない。そこで軽く咳払いをしてから電話に出た。
「もしもし」「ウウ・・・グスンッ」電話口で梢は泣いている。これもまた想定外だ。
「あかりがこんなに興奮して話すのを初めて聞きました・・・有り難うございました」この言葉をそのまま茶山家に転送したいがダイヤル式では不可能だ。後で手紙に書きます。
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  1. 2018/10/15(月) 09:00:57|
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