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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月15日・女スパイの代名詞?マタ・ハリが銃殺された。

1917年の10月15日に第1次世界大戦下のヨーロッパで暗躍して女スパイの代名詞になったマタ・ハリ(本名・マルガレータ・ヘールトロイダ・シェレ)さんがフランスのサンラザール刑務所内で銃殺されました。41歳でした。
マタ・ハリさんは1876年にオランダで人気帽子店を経営しながら投資によって巨大な資産を有していた裕福な家庭の4人姉弟の長女で1人娘として生まれました。長女で1人娘だったことで父親に溺愛され、我がまま放題に育ちながらも13歳までは上流階層の子女としての教育を受けましたが父が投資に失敗したことで没落して両親は離婚、姉弟も別々の親族に引き取られて一家は離散してしまいました。このためマタ・ハリさんは十代半ばにして経済的に自立することを迫られ、幼稚園の教員になるために進学したものの美貌に魅せられた学長のお手つきになったことで教職員や他の学生の嫉妬を買い、退校を余儀なくされたのです。
19歳の時、新聞の結婚相手募集の広報に応募して21歳年上のオランダ軍の大尉と結婚すると当時はオランダの植民地であったボルネオ、スマトラ、ジャワ(現在のインドネシア)に赴任しました。現地では2人の子供を得ながらも生来の派手好みの生活がさらに進み、軍人の家庭としての自制を求める夫との間に軋轢が生じ、夫の浮気や暴力もあって息子の死を機に離婚してしまいました。この時、残った子供は夫が引き取ったためマタ・ハリさんは完全な独身に戻ることができたのです。
離婚後はオランダに帰国して間もなく職を求めてフランスに移住しますが、そんな折、友人のパーティーで余興として披露した見よう見まね(正式には習っていない)のジャワの舞踊が大喝采を受けたことでダンサーとして活躍するようになりました。こうしてマレー語で「太陽の眼」を意味する「マタ・ハリ」の芸名を名乗り、異国風の容姿を活かした「ジャワ島から来た王女」「インドの寺院に仕える踊り巫女」との触れ込みで社交界に売り出し、その妖艶な魅力で多くの男性たちを籠絡していったのです。
マタ・ハリさんの相手はフランスだけでなく興行で訪れたヨーロッパ各国に広がり、中でもフランスとドイツの多くの政治家や軍の高級将校たちはその肉体に溺れ、寝物語に軍事機密を漏らしていたと言われています。このため1914年に始まった第1次世界大戦で苦境に陥っていたフランスは国民の不満の捌け口として元凶を作る必要に迫られ、マタ・ハリさんを人身御供に仕立て上げたと言うのが現在の定説です。
戦時下の銃殺刑の模様については記録も非公開だったため数々の憶測が独り歩きして伝説を作っていますが、その多くは「死をも嘲笑うような態度を取っていた」「銃殺を担当する兵士までがその魅力に迷わされた」と言う有りそうで有り得ない虚構のようです。
確かにマタ・ハリさんは現存する写真を見ても恐ろしいほどの色気を発する美貌と肉体の持ち主であり、多くの男たちが術中にはまるのは至極当然でした。それは清朝の王女で日本の大陸浪人・川島浪速の養女になって満州国建国に関わったことで勝手に「東洋のマタ・ハリ」と称された川島芳子とは比べ物になりません。
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  1. 2018/10/15(月) 09:01:57|
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