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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

香港映画の大プロデューサー・レイモンド・チョウさんの逝去を悼む。

野僧が映画館通いに励んでいた1980年代にヒット作を連発し、映画を利用した思想教育にうつつを抜かしていた日本映画を席巻し、大衆をスクリーンにつなぎ止めた香港映画の偉大なるプロデユーサー・レイモンド・チョウ(漢名・鄒文懐)さんが11月2日に亡くなったそうです。91歳でした。
チョウさんは1927年に香港で生まれ、第2次世界戦中の日本による占領を経験した後、1949年に上海のキリスト教系大学に国内留学して戻ると約10年間、英字新聞の記者を勤めてから香港の映画会社に制作本部長として転職したのです。ところが1970年になって新たな映画会社を設立すると時代劇やアクション映画に活路を見出し、当時、アクション・スターとしての地位を獲得していたブルース・リーさんと契約を結び、「ドラゴン危機一髪」を大ヒットさせ、香港映画の興行記録を塗り替えました。
当然、チョウさんとしては次回作の企画を温めていたのですが1973年7月20日にリーさんが急逝したため会社は危機に瀕しました。そこで前の会社から引き抜いたのが自ら脚本と監督を手掛けるマイケル・ホイさんで、アクションからコメディーに路線を転換した「ミスター・ブー」シリーズを大ヒットさせて危機を転じて新たな支持者を獲得することに成功したのです。
日本映画のコメディー物は喜劇俳優のおどけた演技やウケを狙った台詞など小手先の技で笑いを取るだけですが「ミスター・ブー」では見る者の意表を突く信じ難いような行動で呆気に取られた後、爆笑することになり、絶大な人気を博すのも至極当然でした。ただし、「ミスター・ブー」シリーズは1974年から2004年まで9作あるにも関わらず日本での公開は初期の4作のみです。
続いてチョウさんはアメリカで活躍していたジャッキー・チェンさんと契約を結び、大ヒット作を連発することになりました。ジャッキーさんのアクション映画はリーさんが変に求道的で本当に強いかのように錯覚させる演出だったのに対して(鍛えた肉体はあのような早いだけの軽い突きや蹴りの一撃で倒せるはずがない)、コミカルな面も併せ持つ娯楽作品になっており、見せ場の格闘シーンでさえ手に汗を握らせながらも失笑を誘う抜けた面を加えていました。
その他にもリーさんの代表作「燃えよドラゴン」のパロデイの「燃えよデブゴン」で、肥満体のアクション・スターと言う意外性が同様の悩みを持つ子供たちに勇気を与えたサモ・ハン・キンポーさんやジャッキーさんの相方として独特の個性を発揮しただけでなく格闘家としては上を行く技量の持ち主であるユン・ピョウさん(りーさんの未完の遺作「死亡遊戯」では格闘シーンの代役を務めている)、さらに日本で言えば東映ヤクザ路線の任侠スターのようなチョウ・ユンファさんなどを次々と発掘し、台湾映画と並ぶアジア映画の大輪の百花繚乱を咲き乱れさせたのです。
日本映画が左翼映画人に私物化されて「娯楽」と言う本質を忘却・喪失していた時期に映画の魅力を与え続けてくれたことに感謝して冥福を祈ります。
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  1. 2018/11/05(月) 10:08:24|
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