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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1366

「7月1日付で着任された方面総監から諸君らに自衛官としての覚悟を確かめさせるための指示が出された」連隊長は夏場には珍しく駐屯地の体育館で行われた朝礼で方面総監指示について説明を始めた。すると隊員たちは超がつく小声で「遺書だぞ」とささやきあった。つまり師団司令部の総務課長が注意した緘口令などは徹底する前に無意味だった。
「極めて唐突だが遺書をしたためてくれ。勿論、私も書く。幹部、陸曹、陸士に関係なく全員が書いて各中隊長に提出するように。宛先は基本的に家族とするが想いを伝え遺したい人がいれば妨げない。恋人宛てに書くのは好いが別れた時の破棄はあまり格好よくないな」話題が話題だけに連隊長は軽いジョークを加えたが、日頃から視線も反らさずに黙って拝聴するように躾けられている隊員たちは反応しなかった。
「我が連隊ではイラク派遣の時、派遣要員たちが自発的に遺書を書いたと聞いている。その覚悟があったからこそ宿営地に迫撃砲を撃ち込まれても取り乱す者もなく沈着冷静に対処できたんだろう。おそらく方面総監は我が連隊と同じ覚悟を北部方面隊の全所属隊員が共有することを期待されているんだ」連隊長からの説明が終われば予定通りに1科長の作成要領の指導教育になる。連隊長が壇上から下りるのを待って「気をつけ」をしたままの部隊の横で1科長が「実施します」と申告して敬礼した。
1科長が壇上に上がるのと同時進行で1科の陸曹たちが各中隊にA4判の資料を配り始めた。どうやら全員に配布するようで、各中隊では最右翼の隊員が前から後ろに送り、その後、横に手渡していく。この横隊の人数に合わせて4枚ずつを取って送る手際の良さにも第3普通科連隊の練度の高さが見て取れる。
隊員たちが受け取った資料を見ると知らない男性の名前と日本軍の階級と部隊、そして命日と戦死した場所が記されており、1行置いて遺書と思われる長くはない文章が印刷されていた。
「諸官たちに配布したのは満州事変から終戦までに戦死された将兵たちの遺書でも、自衛官である我々が参考にできるような内容の文章を選んだものだ」説明を始めながら1科長が壇上から見下ろすと隊員たちは指揮官の各中隊長を含めて全員が紙を見ていて顔をこちらに向けている者は1人もいない。それでも資料を読んでもらう方が教育の趣旨には適うので特に何も言わないでおいた。
「やはり死を現実として直視することから始めなければ覚悟は定まらない。幸いにして我々は戦場に赴くことを命ぜられてはいないが、入隊時に『事に臨んでは危険を顧みず、身を呈して職務の遂行に務め』と宣誓しているように常在戦場の覚悟は保持しているはずだ」この辺りで文字が苦手な隊員たちは顔を向け始める。部隊の様子を横から見ている連隊長も折角の資料に十分に目を通さない隊員たちに隣りの副連隊長と顔を見合わせた。
「ここまでで質問はないか」連隊全体に質問を求められた時には幹部からなのは陸上自衛隊式作法でそれを知らなかった安田1士(当時)が真っ先に手を上げて顰蹙を買ったのはイラク派遣前のアンパンマン・晩鐘連隊長の時代だ。
「文章はパソコンで作成していも良いですか」いきなり若手の小隊長が意表を突いた質問をしてきた。先日の中隊長会同では出なかった確認だ。
「出来得れば毛筆とは言わないまでも自筆が望ましいが、パソコンでないと文章が作成できない世代もいるだろうからあえて妨げないこととする。ただし、最後の署名は自筆で記入するように」1科長は壇上で考え込んだ後、一言一言を連隊長の顔を見ながら回答した。途中で首を振られれば即座に訂正するつもりだった。
「自分は両親が他界していますし、いまだ独身なので家族がいないんですが」今度は若くはない1曹が想定外の質問をした。1科長としては隊員の身上を熟知していることを見せなければならず、この1曹には妹がいることを何とか思い出した。
「君には妹がいただろう」「アイツが勝手に結婚して以来、音信不通なので現住所も判りません」「それでも君に何かあれば責任を持って探し当てるから1人だけの身内宛てにしなさい」「その前に嫁を貰えよ」1科長の回答の横から列中の隊員が声をかけ低く苦笑が起こった。ようやく部隊行動としての緊張感が解けてきたのかも知れない。
「この資料の中で気に入ったものがあれば名前だけ変えて使っても良いですか」「勿論、自筆しますから」隊員の質問は急に肩の力が抜けてきた。列の中央付近の若手陸曹2名が掛け合いで質問してきた。これは即答が難しい。1科長が連隊長の顔を窺うと隣りの副連隊長が代弁した。
「君が死んだ後、それを読んだ家族が君の遺書だと信じても良いような文章なら認めよう。勿論、階級や立場などを含めてだぞ」これで盗作が黙認されることになってしまった。すると隊員たちは安堵したような顔になった。やはり文章を書く=頭をを使うことが苦手なようだ。
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  1. 2018/11/08(木) 09:08:23|
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