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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1367

「よろしいですか」質問に真剣味が薄れてきたところで4中隊の前から2番目の列に立っている隊員が手を上げた。その声を聞いて陸曹以上には何故か緊張感が走った。それはどこで仕入れたのかは判らない高度の軍事知識で幹部からも一目置かれている安川和也3曹だった。
「やっと真打ち登場だな。例のノートの知識を披露してくれ」1科長としてはこの課題に取り組むことになった時、安川3曹が秘蔵する新隊員課程の中隊長の精神教育の内容を記したノートを借りようと思っていた。しかし、それは立場上できなかったのだ。
「今回の遺書の作成の目的は昔の武士の作法の継承だと思うんです」いきなり若手陸曹とは思えない高尚な台詞が始まった。安川3曹は愛知県の公立の普通科高校出身で曹昇任試験の成績も抜群だったから高度な見解を述べても不思議はないが世代としては少し似合わない。
「武士は毎年、正月に遺書を作成して菩提寺の住職や一族の長に預けるのが作法だったそうです。そこには辞世を添えるので戦場で奇襲を受けて討ち死にしても炎上する城で火葬されても辞世が残っているんです」「ほーッ」即席の歴史講座に古手の陸曹たちが感嘆の声をあげる。
「それでは安川3曹も正月に遺書を作成しているのか」ここで副連隊長が質問した。すると前に立っている中隊長の天野1尉も振り返った。
「はい、正月の書き初め代わりに書いてます。その遺書は妻に預けていますが絶対に開けないで済むように動かさない家具の下に入れているようです」これは安川3曹と妻の聡美だけの作法だが同世代の陸曹たちは妙に感心したような顔をした。
「その新隊員課程のノートにはどんな遺書が書いてあるんだね」今度は1科長が質問した。1科長は悲壮感だけの「きけわだつみのこえ」は避けて、副連隊長から借りた「英霊の言乃葉」の中から冷静に任務を直視している遺書を選んだのだが、別の文例があるなら是非紹介してもらいたいと考えていた。確かにジャンルが広がった方が盗作した印象は薄れるはずだ。
「この場で朗読させてもらっても良いですか」パチパチパチ・・・安川3曹の申し出に列中からは拍手が起こった。それでも安川3曹は1科長の返事を待って戦闘服の胸から古びたノートを取り出してページを繰って開いた。
「先ずロジェ・デュブラ。フランスの登山家です」「ほーッ、外国人かァ」いきなり各中隊の右に並んでいる小隊長たちから感嘆の声が上がった。これはセンスの問題かも知れない。
「もしかある日、もしかある日、私が山で死んだら、旧い山友達のお前にだ、この書簡を遺すのは。お袋に会いに行ってくれ。そして言ってくれ、俺は幸せに死んだと。俺はお母さんの傍にいたから、少しも苦しまなかったと。親父に言ってくれ、俺は男だったと。弟に言ってくれ、さあ、お前にバトンを渡すぞと。女房に言ってくれ、俺がいなくても生きるようにと。お前がいなくても俺が生きたようにと。息子たちへの伝言は、お前たちは『エタンソン』の岩場で、俺の爪跡を見つけるだろうと。そして俺の友、お前にはこうだ。俺のピッケルを取り上げてくれ、ピッケルが恥辱で死ぬことを俺は望まぬ、どこか美しいフェイスへ持って行ってくれ。そしてピッケルのためだけの小さなケルンを作って、その上に差しこんでくれ・・・この詩は『いつかある日』と言う登山家の愛唱歌になっています」実は中隊長・モリヤ1尉は歌の方を教えて詩は資料として配ったのだった。安川3曹は冬戦教に入校した年にはこれを選んだ。 
「次はウィリアム・バトラー・イエーツ。アイルランドの詩人です」「うーん、次も外国人かァ」「凄いなァ」感嘆の声を上げるのは幹部限定になってきた。
「最期を遂げるは雲の中 我が戦う者を憎まず 我が護る者を愛さず 戦うのは義務でも 群集の歓呼に応えてでもない 歓びの衝動が僕を激戦に追いやる すべてを思い起こせば 無意味な未来 無意味な過去 この生と死に比べれば・・・これは映画『メンフィス・ベル』の中で朗読されているそうです」補足説明をして周囲を見回すと興味を示しているのは若手の幹部だけで列中の陸曹や陸士は白けているのが判った。そろそろ潮時だろう。
「最後はサン・デグジュペリ。『星の王子さま』の作者ですが第2次世界大戦で戦死しました」流石にこの作品を知っている隊員は多いようで陸曹たちも少し関心を示した。
「ぼくには何の後悔もない。ぼくは賭けた。ぼくは負けた。これがぼくの職業の当然の秩序だ」安川3曹は現在、これを遺書にしている。自分の死後に読むことになる聡美が思わず微笑めるように下手糞な星の王子さまの絵も描いてある。
ここでノートを閉じると安川3曹はモリヤ1尉が教育の最後に強調していた作法を補足した。
「1つ補足させてもらうと遺書の封筒には切った爪か髪の毛を入れるものだそうです。それがあれば遺骨が返ってこなくても身体の一部として墓に納められますから」朝礼終了後、安川3曹は若手の小隊長たちに取り囲まれノートに記してある遺書のコピーを命じられた。
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  1. 2018/11/09(金) 09:20:33|
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