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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1371

「これより当法廷は被告人尋問に入ります」「異議なし」「・・・」法廷では裁判官が次の段階に移ることを宣言し、検察・弁護双方が同意したことを返事で回答するのだが検察官は聞き取れないくらい小声だった。それでも唇が動いたことは薄暗い部屋の対角にある弁護人席からも見えたので裁判官も問題にはしなかった。
「被告人、前潟啓一郎さん、被告人席へ」「はい、前潟被告人」指名された前潟3佐が自衛隊式に返事をして基本教練の要領で立ち上がったため裁判官は一瞬、呆気に取られていた。それでも前潟3佐は胸を張り、前45度、後ろ15度に手を振りながら歩幅75センチ、1分間に120歩の歩調で裁判官の正面にある被告人の証言席に向かった。
「被告人確認を行います。前潟さん、氏名と生年月日、本籍地と勤務先を申告して下さい」裁判官としては被告人の感情まで尊重させる人権派弁護士とマスコミの主張に合わせて場違いに丁寧な言葉遣いをしているが、自衛官である前潟3佐としては命令口調でなければかえって調子がでないのではないか。どう考えても裁判官の職務命令を「強要」と批判する弁護士の方が間違っている。私は弁護人席で裁判官が「前潟さん」と呼んだ直後に小声で「佐」を付けて「3佐」にして自己満足していた。ただし、法廷で遊んでいる訳ではない。
「はい、結構です。本人と認めます」前潟3佐の本人確認が終わり、いよいよ検察官の被告人尋問が始まる。これは罪状認否で「無罪」を主張した場合にのみ行われる手順だが、有罪率99パーセント超の日本の裁判では検察側の詳細で執拗な証拠調べの段階で被告人本人が事実を明らかにすることを諦めて罪を認めてしまうこともある。それを励まして最後まで法廷闘争を継続させる気力を与えることも弁護士の果たすべき役割の一つだ。
「検察から被告人に質問します。貴方は起訴状にある通り海上自衛隊舞鶴基地所属の護衛艦・あまごの当直士官として勤務中、平成20年2月19日午前3時40分頃、千葉県南房総市野島崎沖の太平洋上で右方向に漁船・軽特丸を発見しながら必要な回避処置を怠り、そのまま十分な引き継ぎもせずに同時45分頃に勤務を交代し、その結果、午前4時7分頃に北緯34度21分5秒、東経139度48分6秒で衝突して沈没させ、乗り組んでいた千葉県の新勝浦市漁業組合川津支所所属の岸西(きしせい)丸夫さんと岸西節広さんを死亡させましたが、その罪を認めますね」「異義あり。この起訴状にある事故の発生状況を示す航跡図は証拠調べの中で不採用になり、新たに本法廷独自の航跡図が証拠採用されました」「同じく異義あり。質問の最後を『認めますね』とすることは誘導に該当します」開戦初頭から私と牧野弁護士の連続攻撃が始まった。検察官も私が指摘したことは十分に自覚しているはずだから、あえて持ち出したのには今後の展開への伏線の可能性もある。これが事前に相手の出方を念入りに推理する理由なのだ。案の定、我々の意義を聞いても検察官は顔色を変えていない。
「異義を認めます。検察官は本法廷が証拠採用した航跡図に基づく事故の発生状況を前提にした質問に心がけて下さい」「はい、わかりました」検察官が裁判官の方を見て頭を下げると今日も遺族と同業者が詰めかけている傍聴人席では舌打ちが続き、不満をささやき合う小声が広がっていった。遺族は最近、消極的に認められるようになった父子の遺影を抱えている。これは山口県で起こった母子殺害事件の被害者の夫=原告の要望に法務省が応えた結果だが、近代的司法では精神性を排除して弁証法的唯物論で合理的に事実を明らかにしていくので「死者の魂魄に立ち合わせる」と言う発想を認めること自体が極めて異例だ。おそらく他の先進国では被害者側の印象操作として却下されるはずだ。
「それでは質問を続けます。被告人は海上自衛隊が誇る最新鋭イージス艦・あまご、7750トンの航海長として安全な運航に関する全責任を負っていた訳ですが、このような痛ましい事故に遭遇してしまった」ここまで言って検察官は裁判官の顔を窺った。要するに「事故に遭遇した」と言う表現で裁判官が認めた異義に応じていることを示したつもりらしい。
「巨大な戦闘艦が多くの漁船が生活の糧を得るために早朝から航行している海域を通過する上で何か特別に心がけていたことはありますか」「被告人」指名を受けて前潟3佐は姿勢を正すと基本教練の方向転換ではなく足を踏み変えて検察官の席を向くと回答を始めた。
「先ず一件、誤解があるようですが海上自衛隊では艦の運航・運用に関する全責任は艦長が負っています。私は航海長として艦長を補佐して・・・」「つまり、貴方は事故の責任を負わないと言うのですね」検察官は前潟3佐の回答を遮って質問を被せてきた。それを聞いて傍聴席では厳粛な日本の法廷では有り得ないブーイングが起こった。
「静粛に願います。静粛に願います・・・指示に従わない傍聴者には退廷を命じます」海外の裁判であれば木槌でガベルを打つところだが裁判官は呼びかけを繰り返して何とか収めた。
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  1. 2018/11/13(火) 09:45:07|
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