FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1372

「異義あり。検察官は被告人の回答を遮って勝手な断定を行いました」「これは被告人の答弁を変質させるものであり、再度の回答と検察官の発言の訂正を要求します」私と牧野弁護士の連続攻撃に今度は傍聴人席からブーイングを超えた罵声が湧き起こった。
「馬鹿野郎。お前らは人殺しの肩を持つのか」「自衛隊なんて戦争屋の人殺しじゃあないか」「本当は漁船を体当たりで撃沈したって喜んでいるだろう」死んだ息子と同世代の漁師と思われる傍聴人は立ち上がって絶叫を始めた。おそらくマスコミや政治団体の扇動を鵜呑みしているのだ。これを見て法廷警備員たちは低い仕切り柵沿いに並んで身構えている。私も久しぶりに血が騒いできた。今では半病人の私も沖縄時代にはデモ隊対処で活躍したものだ。
「今、立ち上がっている傍聴人を退廷させなさい。必要であれば警察官を呼ぶように」裁判官の命令に漁民たちの興奮は急速に収まった。法廷警備員たちが歩み寄って手で促すと意外に素直に傍聴席の後ろにあるドアから退室していった。
「先ず弁護人が申し立てた意義を確認します」ドアが閉まったところで裁判官は何事もなかったような口調で我々が申し立てた異義の確認をしてきた。しかし、こちらとしては台本があった訳ではないので速記者の公判記録と齟齬があると拙い。そこで牧野弁護士と小声で話し合った。
「2人で手分けして1つの意義を申し立てました。要するに検察官が被告人の回答を遮って勝手な断定を行ったことは回答を変質させるものであり、再度の回答と検察官の発言の訂正を要求しました」ここは牧野弁護士にまかせた。すると裁判官は一段低い席の速記者に小声で何かを確認してから正面に立っている前潟3佐に声をかけた。
「前潟さんは先ほどの検察官の質問は憶えていますか」「はい、あまごの安全な運行に関する全責任を負う航海長として多くの漁船が航行している海域を通過する上で特別に心がけていることを聞かれたように記憶しています」ここで前潟3佐は検察官の顔を見たが前を向いたまま無視しているので我々に視線を回してきた。そこで2人揃って大きくうなずいた。
「それではもう一度、答弁を始めて下さい。言いかけたまま時間が経過していますから多少の表現の違いは仕方ありません」裁判官の寛大な言葉前潟3佐は会釈してから口を開いた。
「はい、私は検察官が言われたことに誤解があるようなのでそれを指摘しようとしました。海上自衛隊では艦の運航と運用に関する全責任は艦長が負っています。我々はそれぞれの持ち場で艦長を補佐するため最善以上の努力を傾注します。したがって自分の職務に関する業務上の責任は負っていますが、検察官が言われるような結果としてあまごに生起した事故に関する責任とは別次元なのです」この説明は自衛隊の指揮権限と責任の概念に基づいているので同業者である私は納得できても裁判官に理解できたのかは判らない。そのため小声で牧野弁護士に訊いてみたがやはり「難しい」と答えた。
「それで質問に対する答えですが、我々は艦に乗るようになる以前から『シーマン・シップの体現者足るべし』との教えを受けてきました。それが海上自衛官としての精神の基盤だからです」裁判の尋問に対する回答としては異例に長かったが途中で遮られた分、説明が丁寧になったと受け取ってもらえそうだ。すると検察官は薄笑いを浮かべながら尋問を続けた。
「長々と丁寧な説明をしてくれましたが、やはり私が遮ったくらいが受け答えとしては適切だったようですな。ところで今の説明にあったシーマン・シップとは何ですか」思いがけず検察官は被告人・前潟3佐の美学に深入りしてきた。このように検察側が被告人に歩み寄る時は罠を仕掛けてくる場合が多く、発言の一字一句にも細心の注意を払わなければならない。
「被告人」「シーマン・シップとは海上自衛隊では『スマートで目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ艦乗り』と表現されています」「ほーッ、見た目が良くて先回りした仕事を漏れなくこなし、負けを認めないのが海上自衛官なんですね」これは前潟3佐に対する挑発なのか、海上自衛隊の基本精神をかなり曲解して冒涜している。
「異義あり。検察官の解釈は表面的な印象だけで意味を曲解しています」私としては海上自衛隊に対する侮辱であることも抗議したかったが、ここは軍事法廷ではないので控えた。
「この意義は参考に留めます。被告人に本当の意味の説明を許可します」「はい、有り難うございます」この指示に前潟3佐は裁判官に10度の敬礼をしてから口を開いた。
「スマートとは動作に熟練して無駄がないこと。目先が利くとはあらゆる事態に対処する物心両面の準備をしておくこと。几帳面は抜けがない綿密な仕事、そして負けじ魂はあらゆる困難に打ち勝つ精神です。艦乗りは人間の力を超えた大自然の猛威の中で職務を遂行しなければなりません。それは小さな漁船を操り大海原に漕ぎ出す漁師の皆さんも同じだと思います。だから私も多くの漁船が航行していた周辺に対する警戒には最善を尽くしました」この完璧な説明に検察官は2呼吸の長めの間を置いて質問を被せてきた。
スポンサーサイト



  1. 2018/11/14(水) 10:17:09|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ1373 | ホーム | 11月14日・日本共産党の初代議長・野坂参三の命日>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/5011-c7f713be
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)