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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1374

「裁判官、検察官は不規則発言で被告人の動揺を誘おうとしています。止めさせて下さい」牧野弁護士が要請した。私は前潟3佐であればこの程度の妨害に動じることなく間違いのない回答をしてくれると信じていたが常識的には中止を申し入れるべきなのだろう。
「検察官、被告人が考えている間は黙りなさい」「えッ、私が何か口にしていましたか。それは申し訳ありません」検察官のとぼけた回答に前潟3佐も苦笑した。やはり動揺していない。
「被告人」裁判官は休めの姿勢で思考していた前潟3佐が踵を引きつけたのを見て指名した。
「道路交通法では暴走している車両と順法速度で走行している車両が衝突事故を起こし、暴走していた車両に乗っていた人が死亡しても順法速度で走っていた車両の運転手の罪は問われません。それと同じ理屈で私には過失があるとは考えません」この理路整然とした回答に漁民だけでなくマスコミ関係者も顔を見合わせた。
「貴方は亡くなった岸西(きしせい)丸夫さんと節広さんが暴走族だと言うんですか。それは思い上がり以前に死者への冒涜ではないですか。海上自衛官である貴方には死者を悼む気持ちはないのですか」「被告人」「勿論、亡くなったお2人のご冥福を祈り、遺族の皆さまには心よりお悔やみを申し上げます。しかし、事実は事実であって悲劇的な結果で本質を歪めることはできません」やはり前潟3佐は海上自衛官であり、海戦の原則である先制と積極攻勢による決戦主義が身についている。これまでは海中で息をひそめる潜水艦だったようだ。
「このような人物が乗務する戦闘艦艇が漁師たちの生活の場である海域を航行しているとは恐ろしくなります。これで検察官の尋問を終わります」検察官は前潟3佐の厳格な法令順守の運航を現実を無視した独善性と印象づけることで尋問を終えた。
次は我々弁護側の番だが、自衛官が自衛官を擁護することで同業者同士の独善的な理屈との印象を与えるのを避けるため今回は牧野弁護士が担当する。
「それでは弁護側の尋問を始めますが、その前に少し時間をいただきたいと思います。被告人と一緒に事故で亡くなった岸西丸夫さんと節広さんのご冥福を祈らせて下さい」「許可します」裁判長の承認を得て牧野弁護士は被告席に歩み寄り2人で頭(こうべ)を垂れた。私は第1種夏服の腰ポケットから坊主用の数珠を取り出して軽い音を立てながら口の中で念佛を唱えた。それを見て遺族は胸の遺影を腕で抱き締め、他の漁民たちも手を合わせて頭を下げた。中には「南妙法蓮華経」と題目を口にした人もいる。やはり千葉県の漁民には日蓮宗の信者が多いようだ。そもそも日蓮上人は房総半島の突端の漁師の息子なのだ。
「有り難うございました」牧野弁護士が裁判官に礼を言って頭を下げると傍聴席の遺族と漁民たちも頭を下げた。これで先ほどまでの対決の場面には幕が下りて回り舞台が情景を換える。
「前潟さんはこれまでに道交法違反で摘発されたことはありますか。速度超過や追い越し違反、一時停止の不履行など些細なものを含めてです」「異義あり。被告人の道交法の違反歴の確認は本件とは関係ありません」常に冷静さを堅持する検察官が珍しく最初から意義を申し立てた。
「先ずは尋問の流れを見ましょう。弁護人、どうぞ続けて下さい」裁判官の言葉に牧野弁護士は振り返って丁寧にお辞儀をした。この辺りが何をやっても基本教練になってしまう私とは違う。
「全くありません。自家用車を運転する時も道路交通法を厳守するように心がけています」これは私も同様だ。自衛官は一般の人たちが日常的に犯している交通違反でも新聞やテレビに重大犯罪のように取り上げられて一巻の終わりになる。私以上に優等生風の前潟3佐であれば他人が余計な心配をしてしまうくらい細心の注意を払って運転しているはずだ。
「しかし、高速道路では取り締まりの対象になる速度までは超過している車両が大半ですから、制限速度で走行していればかえって煽られたりしませんか」「被告人」「はい、そう言うことはよくあります。それでも法は法であって守るために定められているんですから危険を回避することも考えながら運転しています」流石に検察官も自衛官の順法精神が身に染みているだけでなく血肉となって身体その物を作っていることを理解したようで呆れたように溜息をついた。
「なるほど自家用車で高速道路を走っている時も危険な運転に対処できる心の準備をしてハンドルを握っている。私的な運転でさえそこまで厳格に順法しているのなら公務で海上に出ている時には一点の非も打ちようがないような操艦をしているんでしょう」「被告人」「そのような仕事ができるように日々努力していますが相手があることですから完全と言う訳にはいきません」「その相手と言うのは」「天候気象や海面の状況、さらに僚艦、そして他の船などです」本来であれば海上自衛官=海軍軍人にとって人的な相手とは敵艦隊と艦艇のことだ。そこは阿吽の呼吸で事故の当事者に置き換えた。最後に牧野弁護士はこう締め括った。
「私は日本国民として貴方が1日でも早く国防の現場に復帰されることを願って止みません」
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  1. 2018/11/16(金) 09:29:10|
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