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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月18日・次は都知事か?仲谷義明元愛知県知事が自滅した。

陛下の病状が重篤に陥っていた昭和63(1988)年の11月18日に現在の東京都知事と同じく特に問題も起きていないのに余計なことに手をつけて結果的に失策を犯した仲谷義明元知事が首を吊って自滅しました。63歳でした。
仲谷元知事は大正14(1925)年に名古屋市で生まれ、名古屋の旧制中学校、金沢の旧制高校を終えて東京帝国大学法学部政治学科に進学し、敗戦後の昭和23(1948)年になって卒業して自治省に入りました。昭和35(1960)年からは愛知県庁に移り、桑原幹根知事の下で水道部長を皮切りに労働部長、教育長、副知事を歴任し、昭和50(1975)年に知事に選出されました。桑原知事は昭和26(1951)年から昭和50(1975)年までの長期にわたって愛知県の顔でしたがやはり山梨県出身であり、選挙では愛知県出身の対立候補に脅かされることもしばしばありましたが、その点、名古屋出身の仲谷元知事の支持は盤石だったのでしょう。
しかし、野僧の世代の優等生たちは仲谷元知事が教育長時代に犯した余計な仕事の迷惑を被っていました。それは学校の学力格差を解消して加熱していた受験戦争を鎮静化しようと愛知県と東京都、千葉県、岐阜県、福井県だけが採用していた学校群制度です。
愛知県の学校群制度は名古屋市内とそれ以外の地域では態様が異なりますが、名古屋市内では隣接する県立高校2校を1組にして受験生は志望校ではなくその組を受験して合格すれば本人の遺志に関係なくどちらかに振り分けられると言う方式でした。一方、それ以外の地域では県立高校でもいわゆる進学校と呼ばれる名門校と新設校と組み合わせて同様の制度を適用するのですが(我が蒲郡高校は大半が卒業生である市民が強硬に反対して単独受験を死守した)、生徒を受験の成績で均等に振り分けても名門校には「優秀な後輩を育成しよう」と言う意欲を持った出身者の教員が集まっており、大学受験の結果には格段の差がありました。また大学を終えて就職する時の人脈も名門校と新設校では比べ物にならず生徒だけが犠牲になった完全な失策でした。おまけに仲谷元知事自身が学校群制度を嫌って子供は私立の進学校に入学させたため批判に晒されました。
もう1つの余計な仕事は名古屋オリンピックの誘致です。これは昭和63(1988)年に開催される夏季オリンピックでしたが1任期の半ばである昭和52(1977)年に立候補を表明し、2期目の知事選挙の争点にして正式に立候補しましたが、結局、昭和56(1981)年のIOC総会で韓国のソウルに敗れました。2016年の誘致で東京が敗れたのはブラジルでしたが、愛知県は韓国だっただけに県民の失望と怒りは凄まじいものがあったそうです。その心労が大きかったのか仲谷元知事はソウル・オリンピックが閉会するのを見届けたように自分の事務所で首を吊ったのです。
愛知県には東海3県だけを市場とするローカルな大企業(かつての東海銀行、名鉄、松坂屋、オリエンタル食品、敷島パンなど)が極めて多く、しかも独自に高い技術水準を維持していることもあり、大阪の有名企業が通産省の圧力で本社を東京に移しても県内に留まって巨額の法人税を納めているため名古屋市と愛知県の財政は潤沢なのです。
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  1. 2018/11/18(日) 10:57:14|
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