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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1379

「んじゃあ先に墓参りにあべ(行こう)」「んだな。優子にままづまえ(食事の支度)を頼んであべ」、私が坊主の端くれと判ると永さんとタツ子さんはそちらの仕事を優先し始めた。それにしても優子と呼ばれた私によく似た女性の関係は不明のままだ。何はともあれ菩提寺で先祖累代の墓に参れば山形まで訪ねてきた目的は達成される。
話が決まるとタツ子さんは居間の入り口の棚に置いてある墓参用の袋を持って庭に出ていった。どうやら花を切りに行ったようだ。その間に私はスポーツ・バッグから土産の菓子と用意してきた可漏(かろ)を取り出した。可漏とは坊主が金銭を遣り取りする時に使う世間一般の祝儀袋のようなもので、4つ切りの和紙を2つ折りにしてから右、左から3分の1に畳む。そうして上になった面の中央付近に「上」と書き、中になった面の中央には「金○○円」と記す。さらに拜表と呼ばれる短冊状の紙の上部に「謹上」と趣旨(今回は相見=しょうけん)、下部に寺院名(私にはないので△△徒弟)と僧名、そして九拜(高僧や師僧の場合は百拜)と書いて間に挟む。要するに坊主の世界では銘菓や特産品などよりも金を手土産にするのだ。
佳織に風呂敷に包んだ土産を渡し、私は頭陀袋に数珠と可漏を入れて永さん、薫さん父子と一緒に立ち上がった。その間に優子さんは広い和室の奥にある台所に向かった。
薫さんのパジェロには永さんが助手席に乗り、後席にはタツ子さんが中央で私と佳織が左右から挟んだ。普通は夫婦を隣り同士に座らせるものだがここが指定席では仕方ない。
菩提寺は庄司家の前の田圃の中の道を山に向かって約200メートルのところにあった。ここならタツ子さんも歩いて通えるはずだ。古びた山門は歴史を感じさせるが庭は意外に殺風景だった。やはり冬場の豪雪で木の成長が遅いため凝った庭園にはできないようだ。
「はいっとー(こんにちは)」禅寺の玄関は本堂と庫裏を結ぶ渡り廊下にある。ここでは永さんが声をかけると薫さんと同世代の住職が出てきた。
「これは庄司の永さんじゃあ。ご無沙汰しています」「こちらこそご無沙汰しています」永さんは角川の庄司家の出身なので住職とは顔見知りのようだ。ただし、年齢から言えば先代の住職の親と遊び友達になるはずだ。時候の挨拶が終わったところで永さんが振り返って私を紹介した。実は2人で会話している間も住職は私を見ており、対応に困っていたのだ。
「こちらは愛知県に養子に行った兄の永之進の孫でモリヤさんだ。こちらが奥さんで今日は東京から先祖の墓参りに訪ねて来てくれたんだ」紹介を受けたところで合掌し、45度の敬礼をした。坊主的には90度の敬礼だが、正式な挨拶は上がってからにする。
「取り敢えずどうぞ」住職に招かれて玄関から上がることになった。勿論、坊主としては本堂に回って本尊さまと開山和尚に拜登(はいとう=挨拶)するのが先だ。
庄司家の墓は寺の裏山に広がる墓所の一番奥にあった。住職が同行したのでタツ子さんと佳織が花を生け、薫さんが墓石を掃除している間も引き止められて質問に答えることになった。
「その絡子(らくす)は少し形が違うようですが・・・」「これは浄土宗の威儀細です。僧籍は曹洞宗に残していますが本師は浄土宗なので」庫裏での茶話会で私が自衛官であることと得度を受けた経緯までは説明していたが、僧侶としての経歴まで話す時間はなかった。
「まァ、寺の跡取りでなければ好きな宗旨で修行すれば良いんでしょう。ある意味では羨ましいですな」普通、坊主のこの手の言葉には皮肉を感じるのだがこの住職にそれはない。
「終わったようですね。それでは参りましょう」墓参の準備が整ったところで住職に促されて墓の前に整列した。線香は薫さんが焚いてある。
住職が手鐘(しゅけい)を3度打ち「カチッ」と音を立てて止める。ここで大きく息を吸う。
「しゃりらいもーん(舎利礼文)・・・一心頂来 万徳円満 釈迦如来 真身舎利 本地法身 法界塔婆 我等礼敬・・・」住職としては60年ぶりの子孫の墓参に感動して出張サービスしてくれたのかも知れないが、その割にお経は短い。
住職はユックリと3度繰り返して勤経を終えると「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に佛道を成んことをォ~。十方三世一切佛・・・」と普回向で締め括った。
文句ばかり言って申し訳ないが私は普回向なら臨済宗式に「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成佛道」と漢文の音読の方がスッキリしていて好きだ。
それよりも墓参であれば浄土宗の「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」の総回向の方が適切ではないか。しかし、こんな罰当たりなことを考えていてはご先祖さまからお叱りを受けそうだ。そこで合掌して前屈運動をした。
「庄司家は代々弁が立つ者が多かったからお城へのお願いや隣り村と交渉する時の代表を務めていたんだ」墓参の後の永さんの説明に私にもその血が流れていることを実感した。
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  1. 2018/11/21(水) 10:05:24|
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