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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月29日・初の日本軍捕虜・酒巻和男少尉の命日

1999年の明日11月29日は真珠湾作戦に特殊潜行艇・甲標的で出撃しながら第2次世界大戦における初の日本軍捕虜となった酒巻和男少尉の命日です。
酒巻少尉は大正7(1918)年に徳島県で生まれ、68期生として海軍兵学校に入営しました。同期には一緒に甲標的で出撃した広尾彰少尉、敗戦間際に紫電改を駆って活躍した鷲淵孝大尉、戦後は戦記作家となった豊田穣(みのる)中尉がいます。
連合艦隊は真珠湾攻撃では空母機動部隊による空襲と同時に甲標的による雷撃も計画していました。このうち甲標的による攻撃は映画「トラ・トラ・トラ」で進入前に発見されて撃沈されたとする描写によって「失敗だった」と誤解され華々しい艦載機による空襲ばかりが脚光を浴びていますが、実際は軍港内に侵入することに成功した艇が複数存在し、戦艦・ウェストバージニアとオクラホマに魚雷を命中させたとされています。
酒巻少尉の艇は出撃前に羅針盤の故障が確認されたため出撃中止を命ぜられたのですが、本人の強硬な希望で許可されたものの編隊からはぐれて珊瑚礁に座礁するとアメリカ海軍の駆逐艦に発見されて攻撃を受けたため、爆薬を作動させた上で同乗の稲垣清2等兵曹と艇を捨てて泳いで離脱を図ったのですが、低体温症で意識を失って打ち上げられた海岸で拘束されて捕虜となったのです。なお、稲垣2曹は行方不明のまま戦死扱いとなり兵曹長に特別昇任しています。
捕虜となった酒巻少尉は艦載機による真珠湾空襲直後で興奮状態にあったアメリカ軍軍人により煙草の火を顔に押し付けられるなどの拷問を受けましたが、その後は次第に増えてきた捕虜たちの説得や助言などを担当するようになり、異常な絶望感に陥っていた多くの日本軍捕虜を救ったと高く評価されています。
一方、日本では真珠湾攻撃成功の大々的な報道の中で艦載機による空襲の前に先陣を切った甲標的にも脚光が当てられ、5艇全てが未帰還であるため各艇2名ずつで10名が戦死したとされていたのですが、アメリカ軍のラジオ放送で酒巻少尉が捕虜になったことが報じられたため事実を伏せたまま9軍神として祭り上げられました。
その一方で海軍による厳格な緘口令にも関わらず酒巻少尉が捕虜になったと言う噂が広まり、戦時中は家族・血縁者だけでなく恩師や同級生などの関係者まで「国賊」との非難を浴びせられ続けたようです。
敗戦後の昭和21(1946)年に復員を果たすと中日新聞の記者になっていた同期の豊田中尉(99式艦上爆撃機でガダルカナル島を爆撃中に撃墜されて捕虜となっている)の取材を受け、それが談話として掲載された縁でトヨタ自動車に入社し、その後は卓越した英語力を活かして輸出部次長を務め、昭和44(1969)年からはブラジルの現地法人・ブラジル・トヨタの現地法人の社長に就任しました。
野僧はこんな酒巻少尉の活躍を見ると日本軍が自国民に対して犯した罪の大きさに抑え難い怒りを覚えます。玉砕戦で無駄死にさせた多くの将兵たちが武力紛争関係法が認める捕虜となって生還していれば戦後の日本はもう少しまともな国になっていたはずです。
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  1. 2018/11/28(水) 10:40:20|
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