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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月29日・沖縄・玉城村で民警察官の射殺事件が起こった。

アメリカ軍による占領政策が始まって半年に満たない1945年の11月29日の沖縄で日本人民警察官がアメリカ兵に射殺される事件が発生しました。野僧は玉城村の友人の祖父からこの事件について詳細な説明を受け、現場にも案内してもらいました。
沖縄は6月23日に帝国陸軍第32軍司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将が自決したことにより組織的戦闘は終結しましたが、9月7日に日本が降伏するまでは本土決戦に向けての前線基地でした。そんな状況下で沖縄県民は武力紛争関係法に基づいて設置された文民保護施設に収容されていました。これを現在の沖縄の歴史教育と本土の左翼勢力では「強制収容」と呼んで沖縄県民が味わった戦争被害に加えていますが、当時はアメリカ軍が上陸した読谷村から第32軍が司令部を移した糸満市摩文仁までの地域は沖からの艦砲射撃と空襲、そして激烈な地上戦によって徹底的に破壊尽くされていて、家屋や田畑もなく食糧を確保することも不可能だったのですから自由は制限されても衣食住と医療まで提供される施設への収容が必要不可欠だったことは間違いありません。
それでも戦争そのものが終結したことでアメリカ軍は住民を元の居住地に帰し、農作業による食糧の自給を再開させる施策を講じたのですが、そこで問題になったのは支配者として振舞うアメリカ軍兵士による犯罪でした。
アメリカ軍も対策として住民の居住地域を指定して兵士の立ち入りを禁じたのですが、治安の維持はアメリカ軍の憲兵隊だけが担任していたため監視が行き届かず不法侵入による犯罪が頻発していたのです。このためアメリカ軍は住民の自衛組織を拡充した民警察隊を組織させたのですが、占領下の住民に武装を許可することはできず丸腰で凶悪犯罪に対処させざるを得ませんでした。尤も、沖縄では島津藩に支配されている時代も狩猟用を除く武器の所持は禁じられており、そのため素手や鎌などの農具で戦う唐手(とうでい=空手)が発達したのです。ただし、時代が違いました。
中でも女性が強姦される事件が日常化していて、1人で畑仕事や川で洗濯をしているところを襲われるため集団での作業になり、それを丸腰の民警察官が護衛するようになっていました。
この日、沖縄南部の玉城村(現在の南城市)の芋畑で農作業をしていた女性が拉致されたため通報を受けた民警察官が駆けつけると兵士2名が襲いかかっているところでした。当然、民警察官は制止して1対2で乱闘になりましたが、劣勢になった兵士が拳銃を発砲し、射殺したのです。この民警察官は当時27歳で1ヶ月前に結婚したばかりでした。
これを受けてアメリカ軍は民警察隊の武装を認め(名目上は「日本軍や略奪したアメリカ軍の武器を使用した日本人の凶悪犯罪に対処すること」を理由にした)、拳銃とカービン銃を貸与しましたが常時携帯は許さず民警察隊に一括保管するなど使用には多くの制限が加えられ、厳格な手続きが定められたため現在の航空自衛隊の対領空侵犯措置で緊急発進した戦闘機と同様に相手が発砲してくるまでは「こっちも武器をもっているぞ」と威嚇することしかできなかったようです。
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  1. 2018/11/29(木) 10:22:29|
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