FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月2日・香港武術の大家・葉問=イップマンの命日

1972年の12月2日は日本では本人は知らなくても弟子のブルース・リーさんは知られている香港武術の大家・葉問=イップマンさんの命日です。
葉問さんの弟子であるリーさんは映画の演出と宣伝では「本当に強い」ことになっていますが、少なからず武道を嗜んだ野僧には映画の演出上、高速度の連打を強調するあまり1撃の威力は明らかに軽く見えます。あれではある程度の鍛錬を積んだ武術家が相手では1撃で昏倒させることはできません。尤も、リーさんはあくまでもアクション俳優であって映画の中で見せているのはその型に過ぎず葉問さんの武術とは別物なのでしょう。
また在日アメリカ軍の兵士の中には日本の空手の他に跆拳道(テコンドー)や功夫(カンフー)の愛好家が少なからずいて野僧の胸の格闘指導官徽章への質問に答えるとその場で対戦することになったものです。すると功夫の突きや蹴りは空手のように拳を捻り、爪先に体重をかけて極めることはせず、むしろ連打を狙う少林寺拳法の動きに近いためかえって試合慣れていたので簡単に制することができました。
葉問さんは1893年に中国でも香港に接する内陸の広東省の桑畑や綿花畑、製紙工場を経営する豪農の家で生まれ、何不自由なく育っていく中で11歳の時、功夫を習い始めました。とは言え豪農の息子ですから道場に通うのではなく高名な師匠を家に招いての個人教授だったようです。師匠は54歳でしたが当時としては老齢に達しており、最後の弟子のつもりで懇切丁寧に指導したと言われています。間もなく師匠が亡くなると指導は兄弟子に引き継がれ、広東省内の武術家と交流しながら腕を磨いていきました。
16歳の時にイギリス領だった香港に留学して科学や数学、英語などの外国語を学びながら功夫の鍛練方法である套路(とうろ=日本の武術の型に近いがこちらは基本動作の演練として位置づけられている)を確立した先達に出会うことができたため武技も磨くことができました。
25歳で帰郷すると警察官の職を得て結婚して平穏な生活を送りますが、44歳になった1937年に日支紛争が勃発すると広東省は日本軍の支配下に入って実家も接収されたため故郷を離れて職を失い、ここで初めて功夫を教えて収入を得ることになったようです。
1945年に日本軍が敗北すると国民党政権下で広東省の警察の要職を歴任しますが、国共内戦で共産党軍の優勢が明らかになると国民党政権下で働いていたことに身の危険を感じ、妻子を捨ててマカオ経由で香港に亡命しました。
香港では生活のため功夫の道場を始め、次第に最高峰としての地位を固めていきましたが、後に香港に亡命してきた息子には「功夫は喧嘩のためのものではない。他人を虐げるためにそれを使えば勝っても負けてもそれはただの負けでしかない」と語っていたそうです。その一方で高弟を訪ねてドアを開けた瞬間に蹴りを入れ、「何のために功夫をやっているんだ。油断するな」と叱責したと言います。おそらくこれらが極意なのでしょう。
その意味では映画とは言え殊更に「強さ」と「見栄え」ばかりを誇示していたリーさんは技だけを学んで精神修養はなおざりだったのかも知れません。
スポンサーサイト



  1. 2018/12/02(日) 10:29:18|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ1391 | ホーム | 振り向けばイエスタディ1390>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/5048-981b6833
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)