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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1391

「お母さん、私・・・」安里家への電話はあかりに代わった。するとあかりは何故か報告するのをためらい、背後に立っていた淳之介は両手で肩を掴んで身体と心を支えた。
「私、妊娠しました」「本当なの」「はい、今日、病院に行って診断を受けてきました」ここまで言ってしまえば後は自然な流れで話しは続く。淳之介は軽く肩を揺すってから手を下した。
「今は第5週で予定日は5月6日と言うことです」「順調なのね」「はい、まだエコーにはハッキリ映らないけど尿や血液の検査では異常ありませんでした」淳之介はあかりの口調が重いままなのに少し不安を感じ始めた。この子は義母・梢にとって初孫であり、安里家としても一世代後の生命になる。ならば歓喜を爆発させても良いはずだ。
「それはおめでとう。何よりも有り難う」電話口で梢の声が少し明るくなった。それでも手放しの歓喜でないのはやはりあかりの妊娠から出産、そして育児に向かう過程に立ちはだかる多くの問題を直視しているからだ。
「病院はどこに掛かったの」「八重山病院。雲島の診療所の保健士さんが連絡してくれたんだ」「ふーん、国立八重山病院だね」この説明では離島の診療所の保健士が関わっている経緯が判らないが、梢にとっては気にする問題ではないようだ。
「そうなるとあかりは那覇に帰ってきて産まないといけないわね」「でも・・・」あかりは即答できなかった。あかりも淳之介が島を離れる仕事をしている以上、自分が単独で妊娠、出産、育児を担えるはずがないことは理解している。それは那覇に帰って母や祖母の支援を受けることを意味しているのは明らかだ。おそらく義父もそのことを踏まえて「先に安里家へ電話せよ」と言ったのだろう。
「まだ淳之介さんとは話し合っていないけど、やっぱりそれしかないの・・・」「病院では何も言われていないのね」梢はあかりの沈んだ声を聞いて初めて妊娠した視覚障害者の娘には話が重過ぎたことを反省した。健常者であれば日常生活の中で接することもある妊娠と出産、育児の風景もあかりには教えを受けなければ学べない特別な出来事なのだ。
「出産まではまだ時間があるから急いで結論を出す必要はないけど現実的な選択肢、前提としては考えておきなさい」梢の声がまた少し厳しくなった。それを聞いてあかりの目からは涙があふれて止まらなくなった。驚いた淳之介は再び肩を掴んだ。
「妊娠初期には精神が不安定になるから何でもないことで感情が昂ぶってしまうのよ。淳之介に驚かなくても良いって言っておきなさい。何かあったら電話しなさい」あかりが鼻をすすった気配を察して梢が助言した。しかし、梢自身もあかりを身ごもった頃、全く家庭をかえりみない夫に絶望し、1人で泣き暮らしていた。
「はい、お願いします。お祖父さんとお祖母さんにもよろしくね」ここまでであかりの電話は終わった。本当は淳之介がモリヤの父に電話をする番なのだがあかりの涙が気になってそれどころではない。肩を使ってあかりを自分に向けると淳之介は指で涙を拭った。
「お母さんに怒られたのか」「ううん、貴方とよく話し合いなさいって」そう言ってあかりは淳之介の胸に顔を埋めて少しうつむいた。あかりの髪の匂いが鼻をくすぐった。
「あかりが妊娠したんだって」安里家の固定電話はリビングに置いてある。ソファーでは両親が晩酌を楽しみながら話を聞いていた。そこでそのまま緊急会議が招集された。父は少し泡盛が入っているが、当事者になる母は素面なので問題はない。
「そうかァ、初曾孫だな」やはり父は男性であり、妊娠・出産・育児に関して他人事のようなところがある。その点、母は真顔になって考え込んだ。
「あかりは産む気なんだろう」「うん、そうみたいね」女同士の対話は時として非情になる。出産や育児が困難であれば中絶することも選択肢なのだ。
「そうなるとこちらで出産、育児をさせないと行かないね」母の言葉に梢もうなずいた。
「でもあかりは淳之介と離れたくないようなの。だからどのタイミングでこちらに呼ぶかが問題なのよ」今度は母がうなずいた。出産する産婦人科を変える場合、少しでも長く通院した方が良いのだが、そうなると別居生活も同時進行で始まってしまう。
「お前が石垣島に行って面倒を見ることはできないのか。お前の会社には石垣支店があるだろう」ここでグラスの泡盛を飲み干した父が口を挟んだ。確かに妙案ではある。
「あそこには八重山出身者を配置して人脈で需要を発掘しているから私では駄目なのよ。それじゃあ私がお父さんの面倒をみるからお母さんが行けない」梢の意見は父への逆襲になった。
「2人も子供を授かった以上、恋人や新婚夫婦みたいな甘い気分は捨てて父母として考えるようになるだろう」父は現実の結論ではなく教育者的な期待=希望を述べた。
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  1. 2018/12/03(月) 10:21:40|
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