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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

作曲家・大中恩先生の逝去悼む。

12月3日に我々の世代には保育園・幼稚園・小学校などで大人から教えられる古典的名曲とは違い日常空間を共有しながら愛唱していた童謡を数多く手掛けられた作曲家・大中恩(めぐみ)先生が94歳の天寿を全うされたそうです。
大中先生と言えば何と言っても「サッちゃん」です。この近所の可愛がっている幼い女の子を愛おしく思う少年(大人だと危ない?)の切ない気持ちを大中先生は何とも言えない物悲しい旋律で描いていて今でも唄いながら鼻をすすってしまいます。そしてこの歌は童謡でありながら非常に高度な旋律構成が施されていてかなり熟練しないと綺麗に唄い切れません。
例えば1番は「サッちゃんはね サチ子って言うんだ本当はね」で一瞬の間を置いて「起承」に続く「転」の「だけど小っちゃいから 自分のことサッちゃんって呼ぶんだよ」を一層効果的にして「おかしいな」「サッちゃん」と「結」の呼びかけを際立たせています。2番は更に高度で「サッちゃんはね バナナが大好き本当だよ だけど小っちゃいから バーナナを」と好物を強調しておいて「半分しか食べられないの」と同情させてから「可哀想だね」「サッちゃん」と半分しか食べられずにベソをかいているサッちゃんの姿を目に浮かべさせています。そして3番は「サッちゃんはね 遠くへ行っちゃうって 本当かな」と驚きと喪失感の入り混じった複雑な気持ちを共有させながら「だけど小っちゃいから ボーク(僕)のこと忘れてしまうだろ」と切ない思いを沸き立たせ「寂しいな」「サッちゃん」と幕を閉じます。
この卓越した「間」は「おなかがすくうた」でも発揮されていて「かあさん かあさん お腹と背中が」と「くっつくぞ」の半呼吸でも効果を上げています。
他には警察官の主題歌になっていた「いぬのおまわりさん」もありますが、最近は警察側が「おまわりさん」と言う呼称を嫌うようになってほとんど聞かなくてしまいました。
もう1つ、野僧は祖父の寺で布教用レコードの合唱組曲「月と良寛」を聴いて「月とうさぎ」と言う傑作(作詞・宮地廓慧先生)も知っています。これは「空腹で動けなくなった老人を助けようと狐と猿と兎が食べ物を探したものの兎だけは何も見つけられず、焚火に身を投げて肉体を与え、老人は神だったため兎を月に送った」と言う佛教説話なのですが、「なんにも持たずに帰ってきた」と言う部分を「持たずに帰ってきた」「帰ってきた」と歌詞を短縮しながら何度も繰り返して兎の心理を強調しています。
「サッちゃん」は野僧の世代では「幸子」と言う名前の女子の主題歌になっていました。ところが高校ではばひろふみさんの「SACHIKO」がヒットすると同級生はこちらに乗り換えたのですが、本人は「幸子って名前は皮肉じゃあない」と歌詞を嫌って自分で「サッちゃん」を唄っていました。その癖、野僧が「赤色エレジー」を教えると変に気に入って教室でギターを弾きながら「幸子の幸はどこにある」と口ずさんでいました。
女子の名前の主題歌にはヘドバとダビデの「ナオミの夢」、長渕剛さんの「順子」など色々ありますが何と言っても「サッちゃん」でしょう。唄いながら冥福を祈ります。
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  1. 2018/12/09(日) 10:43:26|
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