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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1408

「あまり高カロリーの物は食べられないんだよな」梢の職場を出て国際通りを歩きながら私はアルデン亭を選ぶ理由を健康上の食事制限にした。シーメンズ・クラブでもランチ・タイムにはサンドウィッチなどの軽食もあるのだがディナーになるとやはり牛肉やロブスターなどの高カロリーな料理のオンパレードだ。
「そうね。貴方の病気のことは聞いているからそれで良いけど、そろそろ医者が言うように糖尿病と認めて適切な利用を受けた方が良いんじゃないの」そう言って梢は私の左手を握った。
私は血糖値が高い状態が続いているため診断としては糖尿病なのだが発症したのは1年以上にわたって拘置所に拘禁されていた時期だった。拘置所では栄養計算された食事を取り、規則正しい日常生活を送っていたので「生活習慣病」と呼ばれる糖尿病の原因とされる暴飲暴食や不摂生には該当しない。強いて言えば中身のない裁判に拘泥されるストレスが原因だった。
私は世間一般だけでなく生活習慣病と名づけた日本の医学会までが糖尿病患者に向けている「だらしない人間」と言う偏見を受け入れることはできないのだ。
「しかし・・・」「お願い。私のために健康で長生きして」私の拒絶を梢は手を両手で握ることで遮った。かつて私は自衛官として使命に殉ずることを美学としていたが、梢は戦争映画を見た後に「俺も死を恐れない」と言うと真顔で「だったら私も死んじゃうよ」と諌めた。それを思い出して梢の両手を両手で握り返したが歩きにくくなって困った。それにしても梢は私服に着替えているが自分は制服姿なのを忘れそうだ。
「いらっしゃいませ」超久しぶりのアルデン亭に入ったが流石に店長は代わっていた。あの店長には和洋食の店や色々な飲み屋に案内してもらい舌を鍛え、マナーを教えてもらった。
「店長さんは5年くらい前に交代したのよ」私の少し落胆している顔を見て気持ちを察した梢が説明してくれた。この店には美恵子を連れてきたこともあったが、あの店長のことなので梢が傷つくようなことは言わなかったはずだ。
「相変わらずクリーム系が好きなのね」自分は相変わらずトマト系を頼んだ梢は私がカルボナーラを選んだのを見て懐かしそうな目をして微笑んだ。
「うん、クリーム系はイタリア半島北部の山岳地帯の乳製品のソースだからな。北部の山岳地帯にはモリヤ(本当はモリノ)って土地があるんだぞ」「その話、あの頃に貴方から聞いたことがあるよ」と言うことは店長からの請け売りだ。
「この店はあかりも好きでね。何度も連れて来たけど店長は本当にきめ細やかに気を使ってくれたのよ」「うん、判る気がする」店長は調理師ではなく東京の企業のビジネスマンだったが、沖縄支店の開設に伴う店長募集に応募して採用されたと聞いている。私を一皮むけた自衛官にしてくれたのはあの店長だったのかも知れない。
「淳之介もあかりを大切にしてくれているから私も本当に幸せ。だけど・・・」梢は何かを言いかけたところにスパゲティ―が運ばれてきた。
「さっき言いかけたことは何だ」アルデン亭を出てタクシーで奥武山公園に向かう車内で私は野暮な確認をした。梢の性格なら口にしかけて中断したことでも必要な話題であれば続けて言うはずだ。それをしなかったのは取るに足らない軽い話題だったのか、話すのが躊躇われることに後から気づいたのかだ。私はあの時の梢の目に後者を感じ取っていた。
「うん・・・私が貴方と結婚していたらあんな風に優しさに包まれて暮らしていたんだろうなって羨ましくなることもあるのよ」梢の答えに今度は私から膝の上に置いている手を握った。ルーム・ミラーに映る運転手の目が意味ありげに笑ったが梢が鼻をすすったので下衆の勘ぐりは解けたはずだ。
「ルテナン・カーノー オブ ジャパン グランド セルフ ディフェンス フォース」「イエス」シーメンズ・クラブは玄関にレジがあり、ウェイトレスが交代で立っているのだが制服で入店した私に少し身構えて確認してきた。流石に陸上自衛隊を正確に英訳している。
「プライベートな入店だから気にしないでくれ」ウェイトレスが責任者に報告に行こうとするのを引き止めて事情を説明した。アメリカ軍での士官の地位は自衛隊とは比べ物にならないほど高く「中佐」が軍服で来店すればエスコートがついて公式晩餐会のようになる。
ただし、軍服に関する国際常識では半袖の夏服はあくまでも略衣であって公式な場では着用せず、逆に着用していれば公式ではない。アメリカ軍人の家族のウェイトレスも勉強不足のようだ。
「今日はバーに行くんだ。妻同伴だから放っておいてくれよ」そう言って私の上達した英語に感心している梢を連れて奥のバーに向かった。それにしても本当の妻が一緒にいればVIPの「大佐」なのでこの程度ではすまなかっただろう。
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