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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1409

シーメンズ・クラブのバーは映画などで見るアメリカの飲み屋のような作りで大きなカウンターの他に席はなく、年代物のジューク・ボックスがオールディーズを流している。ホールの中央に置かれたビリヤードの周りにはビールをラッパ飲みながら打珠している若い兵士たちが歓声を上げている。その奥はスロットルが並ぶカジノになっていてこの店の敷地が日本の法令が適用されないアメリカ領であることを実感させられる。
「何を飲む」「貴方は」カウンターの席に座ると私の階級を察した兵士たちはグラスを持って立っていってしまった。そうして静かになった空間で四半世紀ぶりの2人の時間が流れ始めた。
「やっぱりこの店に来ればボウボンじゃあないとな」私の発音を聞いて注文を待っている金髪のウェイトレスは妙な顔をした。普通の日本人はアメリカのトウモロコシ臭い洋酒を「バーボン」とカタカナ式に呼ぶが実際は「ボウァボン」であり、微妙なイントネーションが難しい。
「ボウボンかァ、貴方と一緒の時にしか飲まなかったな」どうやら梢は私がアメリカ軍の友人に教えられて飲み始めたボウボンにつき合ってはいたが、あまり気に入っていなかったようだ。
「梢が好きなのはスコッチ、それもシーバース・リーガルだもんな」「貴方はジャック・ダニエルでしょう」やはり互いの好みは憶えていた。こんな会話でも酒の名前の発音は正確なのでウェイトレスも理解できたようで「スィーヴァース・リーグゥとジャック・ダニュゥですね」と癖のある発音で確認してきた。この時も名称の前半だけで後半は流すだけだ。そこで私は「シーバース・リーガルは水割りで」と補足した。
アメリカ軍の兵員クラブであるこの店では日本の飲み屋のようなボトルのキープ制度はなくカウンターの奥の壁には高級に分類される銘柄から安物までのボトルを逆さまにして突っ込んだ金属製の器具が並んでいてウェイトレスはそれを操作してグラスに注ぐ。代金はボトルの上に掲示してあり、水割りはストレートの半額で受け取りながら手渡す。水割りは本当にミネラル・ウォーターで割ってかき混ぜただけで氷は入っていない。
「カンパーイ」「カンペイ」2人向き合ってグラスを鳴らしたが発声も昔に戻っていた。あの頃の私は大学を中退してまだ1年だったため学生のコンパの「乾杯」で中国式に発声していた癖が抜けず、それが梢に受けたのでそのまま使っていたのだ。
「毎朝、空港に出勤するのに奥武山公園の前を通るじゃない。この店を見ると入ってみたくなるのよ。だから今日は実現できて幸せ」グラスの酒を口に含んだところで梢から話し始めた。
「うん、岩国や横田、三沢の兵員クラブにも入ったことがあるけど、ここまでアメリカ・ナイズされてないんだ。少しかしこまったファミリー・レストランみたいな感じだな。料理には大差ないけど」私の説明を梢はあの頃と同じように眼を輝かせて聞き入った。岩国の兵員クラブには曹候学生の引率でエア・フェスタに行った時、三沢は航空自衛隊総合演習と司法修習の時で横田だけは佳織や志織の家族連れだった。このシーメンズ・クラブには梢としか来ていない。美恵子を連れて来なかったのは英語力が皆無なことだけが理由ではなく、私の中で無意識に梢との思い出の聖地に踏み入れさせたくなかったのかも知れない。
その時、ジューク・ボックスからグレン・ミラー少佐のムーン・ライト・セレナーデが流れ始めた。するとホールでは私たちと同世代のアメリカ人夫婦がダンスを踊り始めた。どうやらこの夫婦がコインを投じて選曲したようだ。
「貴方も部隊のダンス講習で習ったって私を練習台にしたよね」「うん、ご協力ありがとうございました」私は冗談で返事をしたが、そのまま立ち上がると梢の手を取った。
「シャル・ウィ・ダンス」「イエス、ウィリング(はい、喜んで)」私のダンス・パートナーは佳織なのだが梢の方が先なので許してもらえるだろう。2人で手をつなぎながらホールの中央に進むと先に踊っている夫婦がにこやかに笑いながら軽くうなずいた。同時にビリヤードに興じていた下士官クラスの青年たちが拍手してきた。しかし、熟練したアメリカ人夫婦と比べられるとパートナーに「踊る基本教練」と呆れられている私としては極めて拙い。
初日は軽く飲んでタクシーでホテルに帰ると何故か梢も一緒に下りてロビーについてきた。私の部屋はシングルだったはずだがホテルに手を回してツインにしているのではないか。酔った頭で馬鹿なことを考えていると梢が質問してきた。
「服の洗濯はどうするの」なるほど相も変らぬ世話女房だ。昔、梢のアパートでシャワーを浴びると脱いだ下着や靴下をその場で洗濯機に入れていた。
「うん、陸上自衛官は演習に行くから1週間分くらい下着は持っているんだ。制服は3着しかないから2日ずつ着ることになるな」「だったら洗ってくるから脱ぎなさいよ」梢も少し酔っているのかトンデモナイことを言い出した。それでもお言葉に甘えることにした。
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  1. 2018/12/21(金) 10:47:37|
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