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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月22日・九州南西海域工作船事件が発生した。

2001年の明日12月22日に一連の北朝鮮の工作船事件の中でも最も激的(「劇的」と言うよりも)な九州南西海域での追跡・銃撃戦・自爆沈が発生しました。
1990年代後半になると朝鮮総連や社会党の圧力を恐れて口をつぐんでいたマスコミも「北朝鮮による日本人拉致」問題を取り上げるようになり、1999年3月23日に能登沖で発見された不審船に対処するため海上自衛隊に初の「海上における警備行動」が発令されたことでようやく日本近海での工作船の暗躍が国民に認知されました。
そんな12月18日に在日アメリカ軍から「北朝鮮から工作船が出港した」との通報を受けて自衛隊は全国各地に設置している無線調査隊=ラジオ・サイトに傍受の強化を指示し、奄美諸島の喜界島のサイトが探知したため海上自衛隊が東シナ海での哨戒を開始したのです。そうして12月21日の夕方に奄美大島の北北西150キロの海域で船体に「長漁3705」と記した不審船を発見し、その哨戒機が鹿屋基地に帰還して画像を分析した結果、「北朝鮮の工作船の可能性が高い」と判断した自衛隊・防衛庁は翌22日の深夜に政府に報告するのと同時に海上保安庁に通報したのです。
これを受けて海上保安庁も東シナ海に鹿児島と那覇から巡視船艇24隻と航空機14機を派遣し、同時に海上自衛隊も佐世保から護衛艦2隻を現場に急行させ、政府からは海上自衛隊の臨検・捕獲(・制圧)の専門部隊に出動待機命令が発令されました。
夜が明けた朝6時30分に海上保安庁の多用途プロペラ双発機が奄美大島の北西240キロを航行する不審船を発見したのに続き12時半過ぎには巡視船が船影を確認したのです。20分後、海上保安庁は不審船が国籍旗を掲揚していない国際法違反で航空機と巡視船から停船を命じましたが無視して西進を続けたため拡声器と無線、旗旈(きりゅう)信号と発光信号、汽笛などによる停船命令を継続しながら追跡したのです。
これを受けて海上保安庁は「立ち入り検査忌避」の容疑に切り替え「停戦に応じなければ警告射撃を行う」と通告した上で14時半過ぎから警告射撃を開始しました。
すると不審船は船員が中国国旗を広げて見せたものの逃走を続けたため船体に向けての警告射撃に移行して火災の発生などで一時的に停船しても鎮火すれば逃走するイタチごっこを繰り返し、その間に不審物を海中に投棄するなどの行動を始めたのです。
そして22時頃、海上保安庁が2隻の巡視船で挟んで強制停船させた上での武装した乗員による臨検を試みると不審船側から発砲が始まりました。当然、海上保安庁側も応射しましたが銃撃戦が激しくなると不審船側は携帯式対空ミサイルまで発射したのです。
結局、22時13分に不審船は火柱を上げて爆沈し、海面上には6名の生存者が発見されましたが巡視船が投げ込んだ浮輪を拒否して暗夜の海に姿を消しました。
当時の小泉純一郎首相は日本国内の反対を無視して引き揚げを決断し、船体の検証の結果、驚くべき構造を持つ北朝鮮の工作船であることが確認されました。
海上保安庁はやはり警察機関であり、犯罪行為の停止と違法行為を行った者の逮捕が行動原則であってこのような戦闘には対応し切れないことが露呈した事件でもありました。
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  1. 2018/12/21(金) 10:49:10|
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