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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月23日・日本共産党スパイ査問事件=党員殺害事件が起こった。

昭和8(1933)年の明日12月23日に1988年2月6日の衆議院予算委員会で浜田幸一委員長が一方的に朗々と持論を述べて再認識された日本共産党スパイ査問事件でも中心的犯行である特別高等警察のスパイとの嫌疑を受けた中央委員の小畑達夫さんが殺害されました。ただし、日本共産党は事件そのものを「特高警察による捏造」「司法への政治介入の結果」と否定し、小畑さんは「特異体質による突然死」と主張しています。
当時、日本共産党は治安維持法の改定と特高警察の強化により主要幹部が逮捕・投獄され、厳重な監視と苛烈な摘発によって事実上の活動停止に追い込まれていたため、この閉塞状態を打開しようと入獄していない数少ない中央常任委員であった宮本顕治さんと袴田里見さんは組織内の相互監視を厳格化して党員には「スパイを行った場合は党規約に基づく査問=リンチを受ける」ことを承諾する文書に署名させていました。
事件は宮本顕治さんと袴田里見さんが中央委員である小畑達夫さんと大泉兼蔵さんが「特高警察のスパイなのではないか」と疑ったことから始まりました。この日、2人は「会合がある」との連絡を受けて渋谷区のアジトに呼び出されるとその場で査問に掛けられたのです。2人は両手を針金で縛って猿轡を噛ませられた上で先ず大泉さんが査問に掛けられました。ところが大泉さんは棍棒で袋叩きにされて気絶したため、それを見ていた小畑さんの順番になりました。
同様に棍棒で袋叩きにするだけでなく錐で太股を突き刺し、さらに濃硫酸をかけるなど共産党が特高警察(憲兵にしていた時期もある)の残虐さを示す証拠としているプロネタリア作家の小林多喜二の遺骸の写真と同様、おそらくそれ以上に凄惨なリンチが加えられたようです。その結果、小畑さんは外傷性ショックで死亡したので床下に隠され、その間に意識を取り戻した大泉さんに再開されました。すると再び気絶したため小畑さん同様に死亡したと考えた宮本さん以下の査問委員たちは大泉さんの自宅に向かい、同棲していた女性も共犯者として査問に掛けました。この翌日の機関紙「赤旗(当時は「せっき」と呼んでいた)」には「2人をスパイとして除名し、党規約に基づき極刑を以って断罪する」との記事が掲載されました。
ところが2人の前に査問に掛けられていた党員が監禁場所から逃走して特高警察に駆け込んだことで事件が発覚し、宮本さん以下の所在地も暴露されたために一斉検挙されることになったのです。裁判で宮沢さんと袴田さん以下5名は治安維持法違反、監禁、監禁致死(殺人ではなかった)、監禁致傷、死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反(監禁中の監視役が拳銃を持っていた)の罪で訴追されて、宮本さんは無期懲役、袴田さんは懲役13年の有罪判決を受けましたが、敗戦による占領政策の中で治安維持法などが廃止され、それらの法律に基づく裁判で有罪になった者の犯罪の取り消しと名誉回復が行われたことで宮沢さんは復権を果たし、日本共産党に於いて独裁的権力者になりました。
山口県人である宮本さんにとってはこの程度のリンチ=粛清は幕末の毛利藩で日常的に行われていた凶事の再現ではあります。
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  1. 2018/12/22(土) 09:59:12|
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