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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月25日・ルーマニアのチャウシェスク大統領夫婦が銃殺された。

1989年の明日12月25日にルーマニアで24年間にわたって独裁者として君臨したニコライ・チェウシェスク大統領と夫の権力を完全に私物化して女帝として振舞った妻のエレナ・チャウシェスク第1副首相が銃殺されました。
日本ではルーマニアはモントリオールの白い妖精・ナディア・コマネチさんの母国と言う印象が強く(コマネチさんがチャウシェスク夫婦の息子の愛人にされていたことはアメリカに亡命した本人が告白している)、またソ連の植民地であった東ヨーロッパ諸国の中で西側とも積極的に関係を持つ独自の外交を展開していたこともあって肯定的な認識を持っていたので、時差の関係で26日の朝に流れたこのニュースは前夜のクリスマスの酔いを吹き飛ばす強い衝撃を与えました。
何よりも日本ではポーランドでの民主的政権の成立に始まる東ヨーロッパで相次ぐ政変は自由と民主主義を求める市民運動の高まりと報じられていたため最高権力者夫婦が逃亡先で拘束され、不正規の裁判で死刑判決を受けて即座に執行された事実とその一部始終が映像として公開されたことは市民の怒りの根深さと激しさを見せつけられました。
チャウシェスク大統領は1918年にファシスト政権下のルーマニア南部の農家の10人兄弟姉妹の3男として生まれ、11歳の時にブカレストの工員として就職しました。
1932年に14歳で非合法組織であったルーマニア共産党に参加したため翌年には逮捕され、逮捕を繰り返す間に警察から「危険な共産主義の扇動者」「反ファシストの活動家」との烙印を押されたようです。
その後、地下に潜伏して反ファシズム運動を継続しましたが1936年に逮捕・投獄されました。ここで後に妻となる2歳年上のエレナ第1副首相と出会い、終戦後の1946年に結婚しました。ちなみにエレナ第1副首相もルーマニア南部の農家の娘で、幼い頃から活発ではあるものの勉強は全く駄目で、小学校4年の時に12科目中9科目が落第点だったため退学してブカレストの工場に就職し、そのまま共産党に入っています。
このような経歴を持っていれば第2次世界大戦後にソ連に占領されれば頭角を表すのは至極当然で、1947年に共産党が政権を握ると早速、農業次官、国防次官を歴任し、1952年に親ソ連派が追放されると空席になった要職に就き、1954年には党内序列第2位まで登り詰めていきました(ルーマニア共産党は1948年に社会民主党を併合してルーマニア労働党に改称している)。
1965年3月に盟友であった書記長(事実上の国家元首)が急逝すると党内では後継者争い・権力闘争が起こり、両者の妥協の結果、チャウシェスクさんが後任に選ばれ、ここからは自己の権力の基盤固めを進め、やがては独裁者として君臨し続けることに成功しました。余談ながらエレナ第1副首相に政治への関与を勧めたのは訪中時に会談した毛沢東夫人の江青▲(=「さん」欠く)だったと言われています。
死刑判決の後、刑場に向かう映像では夫の大統領は悄然としていたのに対して妻の第1副首相は最期まで当たり散らし、そんなところも江青▲に似ていました。
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  1. 2018/12/24(月) 10:39:39|
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