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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月28日・「八百屋お七」物語の発端になった大火が起こった。

年の背も押し迫る天和2(1683)年の12月28日(太陰暦)に井原西鶴さんの「好色一代女」に取り上げられたことで歌舞伎や文楽から映画、新国劇、さらに講談や落語、小説(流石に漫画では見たことがない)などになった「八百屋お七」物語の切っ掛けとされる天和の大火が起こりました。野僧が子供の頃にはテレビの劇場中継で「八百屋お七」が放送されていたので意味も判らず眺めていましたが、火の見櫓に上って鐘を打つ名場面を演じているのがババア女優だったので物語の設定を誤解していました。
この物語は前述の各分野でさまざまに脚色されていますが、比較的信頼性が高いとされる実録本の「天和笑委集」の記述では天和の大火で焼け出された江戸本郷の八百屋一家が菩提寺の正仙院に避難し、そこで娘のお七は寺小姓の生田庄之介と恋仲になりました。ところが母親が避難に際して持ち出していた貯えで店舗兼住宅が再建できたため思いの外早く寺を出ることになったのです。恋愛の免疫がないままの初体験で火が点いて燃え上がったところでの別離は妄想も加わって消しようがなくなるもので、お七は家に帰っても何も手につかず食事も喉を通らず庄之介を恋焦がれるばかりでした。こうして恋する娘の浅慮で「もう一度、火事になれば正仙院に避難して愛おしい庄之介と一緒に暮せるようになる」と考えるようになり、それを実行してしまったのです。
お七は自宅に放火しましたが大火の後では町衆も警戒を強化していたため発見が早く小火(ぼや)で消し止められたものの放火の罪に代わりはなく捕縛されて奉行所での裁きを受けることになりました。この時の奉行とお七のやり取りも物語の見せ場の1つです。、あまりに年若く可愛らしいお七を憐れんだ奉行が「15歳を過ぎれば火炙り、15歳未満であれば罪一等を減じて遠島」と言う定めを用いて命だけは救おうと「年齢は14歳であろう」と問い、それにお七が「15でございます」と正直に答え、「見た目も幼い。14であろう」と誘導尋問にかけても「いいえ、15でございます」と言い張り、「それはソチの思い違いだ。14であろう」「いいえ、15でございます」と馬鹿正直に墓穴を掘ったのです。ただし、15歳の年齢によって罪一等を減ずることが定められたのはこの事件から概ね40年後の8代将軍・吉宗公の時代の町奉行・大岡忠相さんの手による「公事方御定書」からであり、同時期に13歳の少年放火犯が火炙りになった記録がありますから後年の創作です。
こうして天和3(1683)年3月28日(太陰暦)にお七は現在の東京都品川区南大井にあった鈴ヶ森の刑場で火炙りになったのですが、演劇などではここでも奉行の温情で振袖を着ることが許されたことになっています。
それにしても今風に言えば「勝手な恋心で自宅に放火した馬鹿娘」であり、昔でも「親の苦労を弁えない不孝者」のはずなのですが、当時の人々はお七の娘心を憐れみ、その同情を強める脚色を加え、悲劇の主人公にして舞台を見ながら涙を流したのでしょう。
天和の大火そのものは駒込の大円寺が出火元とされ、28日の正午頃から翌朝の5時頃まで燃え続け、死者は最大で3500人とされています。
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  1. 2018/12/28(金) 10:45:25|
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