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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1439

「おっと、また小便がしたくなった」万年商業大樓を出て地下鉄の西門駅に向かって歩いていて真ん中を歩いている新吾は急に立ち止った。そこは西門紅樓の前で大通りを渡れば地下鉄の階段がある。横断歩道の信号は赤だ。
「駅まで我慢しろよ」「駄目だ。我慢できねェ」その言葉を聞いて少し距離を置いて背後に立っていた本間は先に店内に入った。本間は高校時代、新吾に連れ回されていて若い癖に尿意の間隔が短いことを知っていた。ラブホテルに入っても先ずトイレに入り、本間を抱き終えて出る前にも再びトイレに入っていた。それを見て本間は自分の中に排尿されていないか心配になったものだ。確かにその分、水分も大量に摂取していた。
「俺たちはここで待ってるからな」「全部、絞り出してこいよ」本間が1階のトイレに向かって歩いていくと玄関の方から日本語の呼びかけが聞こえてきた。つまり新吾も西門紅樓のトイレに来ると言うことだ。
本間は男性用トイレに入ると防犯カメラが設置されていないことを確認し、セカンド・バッグから杉本にもらった注射器を取り出した。これは糖尿病患者が自己接種するインシュリン用だ。ダイヤルで薬剤の摂取量を調整する。本間は感情を交えず機械的に杉本に教えられた致死量に合わせた。そうして注射器を手に提げた紙袋に入れると1番奥の小便器の前に立った。この時、軽く膝を曲げるのが真実味を出すための演技だ。そこに焦った足取りで新吾が入ってきた。酔いも回っているのか便器にたどりつく前にズボンのチャックを下ろし、嫌と言うほど見たことがある男根を引きずり出した。
「うーん、間に合った・・・極楽、極楽」本間が野球帽のひさし越しに1つ置いた小便器で放尿を始めた新吾を確認すると顎を上げて安堵と快感を味わっている。
「そうよ、極楽へ往けると好いわね」本間は「引導」を呟きながら存在しない男根をズボンに収める仕草を演じた。そうして歩きながら紙袋から注射器を取り出すと新吾の背後で立ち止り、ベルトのすぐ上の脇腹に針を突き差し、筒の上部のボタンを一気に圧した。
「痛てッ」インシュリン用の注射針は蚊の口の針よりも細いためほとんど痛みを感じない。新吾は筒の先が脇腹に当たった衝撃を「痛い」と言ったようだ。怪訝そうに振り返ろうとしたが放尿中ではそれはできない。本間は10秒間の摂取時間を数えると注射を抜いて歩き出した。
「おいッ、待て」「お前、何をした」新吾は本間の背中に声をかけてくる。ここで振り返って憎悪を込めた視線で見てやれば復讐になるが、本間が新吾を処理したのは私怨ではなく国家の命運を担う最高秘密の任務を遂行する組織と個人の保全が目的だ。
「このガキ、待て・・・」やはり本間を少年だと思っているようだ。用便をした役柄を完結するため本間が洗面台で手を洗っていると中から「ドサッ」「ゴツン」と床に倒れ、頭を打つ音がした。地上最強の毒蛇・マンバの毒が神経を極度の興奮状態にして心不全を起こさせるまでの所要時間は数分、その通りの結果になった。
本間は店内を見回してトイレに来る客がいないことを確認するとそのまま女性用に移った。先ず確認したところ1人が利用中のようだ。本間は個室に入ると用便する動作を実施して先客が出ていくのを待つ。数分後、トイレット・ペーパーを取るロールの回転音と水を流す音が聞こえ、ドアを開けて出ていく足音が聞こえた。
本間は手早くバミューダ―・パンツをキュロット・スカートに履き替えた。帽子を脱いで紙袋に収め、注射器に残っていたマンバの毒を便器に流し(インシュリン用注射は過剰摂取を防ぐため決まった上限以上は設定できないようになっている)、セカンド・バッグにしまった。そこに次の利用者が入ってきたが問題はない。それよりも男性用トイレが騒がしくなった。本間は次の使用者が個室の扉を締めるのと入れ替わりにトイレを出た。
「大丈夫か」「意識を失っている」「目を覚ませ」本間は洗面台で顔を洗っていると男性用トイレからは数人の叫び声が聞こえてくる。全て広東語だ。倒れた新吾を発見した人が周囲に呼び掛け、救急処置を施そうとしているらしい。
そんな騒ぎを他人事として聞きながら本間は鏡に自分の顔を写してみた。言うまでもなく本間が人を殺めたのはこれが最初だ。その罪の意識と後悔に戦慄するのが普通だ。しかし、鏡の中の自分は何の感情も見せずに冷静にこちらを見返している。
「呼吸をしてない」「駄目だ。鼓動もない」「119番だ。救急車を呼べ」「それよりも110番だ。警察に連絡しろ」台湾では緊急番号が日本と共通している。救急車は兎も角として警察の目に触れることは避けた方が得策だ。本間は手で髪を整え、口紅を塗るとトイレから出た。脇の通用口に向かって廊下を歩いていくと外から救急車の高いサイレン音が聞こえてきた。
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  1. 2019/01/20(日) 10:49:52|
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