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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1440

「菊子(本間の偽名)、今日は軍人として一本筋が通った顔になっているな」翌朝、桃園駐屯地に王茂雄(ワン・マオシィォン)中校を訪ねると表情を引き締めて声をかけてきた。
本間がホテルのロビーで読んだ朝刊には「昨夜、西門紅樓の公衆トイレで日本人観光客が急死した」と言う短い記事があり、警察が「検屍の結果、死因は心臓発作」と発表したとあった。王中校がこの記事を読んだのかは判らないが、本間の変貌と結びつけられるほど超人的な推理力を持っているとは思えない。しかし、法務官室に入る前に顔を出した事務室でも普段は年下の民間人女性として気軽に接してくる2等士官長や事務官も妙に緊張した顔をしていた。
「ここ数日、顔を出さなかった間に何があったのかは判らないが、命の遣り取りをした雰囲気が全身から発散しているぞ。何か危険な目に遭ったんじゃあないのか」やはり王中校は親身な心配をしてくれた。そこに女性事務官がコーヒーを運んできた。
「まァ、座りたまえ」それを受けて王中校は本間にソファーを勧め、女性事務官は2人が挟んだテーブルにコーヒーを並べた。
「失礼します」女性事務官は退室する時もドアの前で姿勢を正してユックリと深めの礼をする。本間は中華民国軍の文民職員への躾については知らないが、それが丁寧な挨拶であることは判った。自分でも気づかない間に相手に圧迫感を与えるような雰囲気が身についたらしい。
王中校がコーヒーを口にしたのを見て本間も倣う。前回と同じ台湾の阿里山ブランドのようだ。それを眺めていた王中校は何かを確信したような顔で口を開いた。
「軍人が殺すのは敵であって人間ではない。敵を殺さなければ自分が殺される。だから殺す。軍人が敵を殺すことは任務遂行と同時に自衛手段でもあるんだ」これも同業の年長者としての配慮なのは間違いない。しかも的の中心を射抜いている。そんな王中校の言葉を聞きながら本間はバブルの崩壊で経営する会社が倒産して母親と一緒に命を絶った本当の父親よりも敬意を抱いた。考えてみれば本間が照美につけ入られたのは豊橋第2群(愛知式学校群制度の)の受験に失敗し、滑り止めに受けていた虹ノ花高校に入学したことを父親が会う人ごとに「期待を裏切った親不孝者」と揶揄したことが理由だった。愛知県でも東三河は極端に世間体を重視し、他人に落ち度を揶揄される前に近い立場の者が酷評することが多い。しかし、受験に失敗して傷ついている娘の気持ちを踏み躙った父親への不満を利用した照美の手引きで新吾に抱かれ、修にまで汚されてしまった。本間の貞操観念はそこで崩壊したのだ。
「私も我が国が民主化される直前に軍人になったから激化する反政府運動の鎮圧を実施した。この手を血で染めていなくても指揮官として同胞の殺害を命じている。だから菊子が変った理由は理解できるつもりだ」そう言って王中校は顔の前で手を広げ、自分で見詰めてから本間に突き出した。勿論、血で染まっているはずはない。逆に本間の方が自分の手が赤く染まっているような気がした。あの後、本間は海浜公園まで行き、注射器を粉々に踏み砕いてから海に投げ捨てた。バミューダ・パンツと野球帽は紙袋に入れて公園内の別々のゴミ箱に捨てた。血に染まっていなくても敵・新吾の死に触れた物は朝の回収で焼却炉に運ばれるはずだ。
「戦後の日本では人命を奪うことは立場の如何を問わず犯罪になってしまうようだな。正当防衛、緊急避難は認められていると言っても社会的指弾を受けることに違いはない」本間が苦過ぎる感慨にふけっている間も王中校は話を続けている。本間は背中を伸ばして意識を戻した。
「君のおかげで文通相手になれた陸幕法務官室のモリヤ中校(=2佐)も北キボールで日本人ジャーナリスト2人を虐殺した凶悪犯を3名殺害したことで殺人犯として裁判を受けているだろう。君たちはそんな国のために本気で命を投げ出すことができるのかね」王中校の質問に本間は考え込んでしまった。確かに今の職場の同僚たちは日本で接してきた一般の自衛官たちとは全く違う雰囲気を漂わせている。それはレンジャーや空挺で極限まで自分を追い込み、死線を潜ったのかも知れない隊員たちとも違う。やはり口にはしなくても人命を奪う経験をしているのだろう。杉本がマンバの注射器を手渡した時の使用法の説明は極めて熟練していた。杉本は本間が盧暁春の死の真相を調べに行く以上、共産党中国にまで踏み込むことを予想して秘密の殺人用具を与え、この職務を遂行する上で必須の技術を伝授してくれたのではないか。
「祖父たちの世代はその下の人たちとは雰囲気が違いました。祖父たちは戦争を経験していますから先ほど中校が言われた命の遣り取りを体験していたのでしょう。そう言えば盧暁春にも似たようなオーラを感じましたが」「あの娘は香港で二重スパイを抹殺している。そのことで中共にマークされたのかも知れない。だから上海国際博に行くことは禁じなければいけなかったのだが・・・」王中校は珍しく最後を濁した。おそらく国家・軍として盧暁春の命よりも入手を期待する情報があったのだ。ここで2人はコーヒーを飲み終えた。
3等陸佐イメージ画像
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  1. 2019/01/21(月) 10:21:12|
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