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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1444

3日目が北京なのは盧暁春が参加した香港のツアーと同様だ。大気汚染の酷さに観光客たちがマスクを買いに空港の売店に殺到する場面も録画の再生のように繰り返された。
「本日は天安門広場と故宮博物院の見学、その後は食事と買い物をお楽しみいただいて夕方の便でお帰りいただきます」観光バスのガイドは北京語で説明した。参加者たちは少し違和感を覚えたような顔で隣りの知人と見合ったが苦情を口にする者はいない。中国共産党にとって台湾はあくまでも領土の一部であって、中華民国の公用語である広東語も方言に過ぎず、標準語である北京語を強要するのは至極当然なのだ。だからガイドは「帰国」とは絶対に言わない。
そんな車内で本間は黙って窓の外の風景を眺めていた。北京国際空港は建設用地の確保には苦労しない巨大な国家の割には市街地に近い。風景にも広野ではなく家屋が点在している。要するに騒音被害よりも利便性を優先する国家の決定に反対できる人民はいないと言うことだ。
「こちらが天安門広場です」観光バスの駐車場も同じなので本間はあの日、盧暁春が歩いたのと同じ経路を辿っている。しかし、本間にはこれから向かう天安門広場には別の思いがある。
1989年4月15日に病没した胡耀邦元総書記は民主化を急速に推進しようとしていた。このため学生たちが追悼の意を表して天安門広場に集まり始め、その数は10万人規模に達した。その中には共産党員でも鄧小平が進める共産主義体制下の段階的改革に飽き足らず完全な自由主義化を求める改革派や逆にマルクス主義原理主義者も含まれていたため折からソ連のゴルバチョフ政権が国民の民主化要求に苦悩しているのを目の当たりにしていた共産党首脳は反国家の暴徒と断定して6月4日に武力鎮圧を人民解放軍に命じたのだ。
「こちらが人民英雄祈念碑です」ガイドは天安門の中央にある高さ37・94メートルの巨大な石碑の前で説明を始めた。ただし、周囲には兵士が立っていて近づくことはできない。それも天安門事件で人民解放軍が無差別発砲した弾痕を外国人の目に晒さないためだと言われている。ここまでも数多くの石碑や石材彫刻を見てきたが、ここだけは台湾人の参加者たちも真顔で見入っている。ただし、それは感動や共鳴によるものではない。
「この人民英雄不垂不朽(=人民の英雄は永久に不滅である)の文字は同志・毛沢東の手によるものです」ガイドは誇らしげに説明すると碑に向かって頭を下げた。しかし、台湾人たちは苦々しい顔で無視した。ガイドはそんな反応は予想していたように裏に誘導する。碑の正面は人通りが多い広場側ではなく指導者が立つ天安門の方向なのだ。
「こちらの顕彰文は同志・周恩来の揮毫です。冒頭の『三年以来』は1946年から49年までの間、行われた蒋介石の国民党との内戦を意味しています。かつては敵として戦って多くの人民に流血を強いた蒋介石の国民党とも現在は同じ民族として友好な善隣関係を構築できています」このガイドも共産党の一方的な歴史観の解説者のようだ。共産党としてはこれが目一杯の賛辞なのだが台湾人たちはあえて無表情になった。
「次の『三十年以来』は1919年から1945年までの日帝の侵略に連合国の一員として抗した第2次世界大戦のことです」「連合国の一員になったのは国民党だろう」ガイドの高圧的な説明に初老の男性が独り言を呟き、隣りの妻らしい女性が止めた。ガイドは妻が制止したのを確認して中国共産党監修歴史講座を再開する。
「続く『由此上遡到一千八百四十年从那時起』以降はイギリスによるアヘン戦争以降の侵略戦争に決起した太平天国や義和団、そして辛亥革命の義士たちのことです」ここの部分は台湾人も納得できるようでようやくうなずき合った。
「この碑はその後も我が国の歴史の舞台になっています」ガイドは台湾人たちの反応を見てから少し表情を険しくして碑文以外の歴史を続けた。
「1976年1月8日に同志・周恩来が亡くなって最初の清明節だった4月に多くの人民がこの碑に花輪を飾り追悼の意を表しました。ところが高齢の同志・毛沢東を利用して権力を我が物にしようとたくらんだ江青、張春橋、姚文元、王洪文の4人組の命令で4月5日にその花輪が撤去されたため起こったのが天安門事件です。こうして国家をむしばんで権力を欲しいままにしていた4人組に鉄槌が下ったのはご存知でしょう」折角、和らいだ台湾人たちの顔が再び無表情になってしまった。台湾で習っている歴史では第1次、若しくは日付から45と冠される天安門事件の発端となった花輪の撤去は周恩来への敬慕が冷めないことに嫉妬し、自分への批判だと曲解した毛沢東の命令だったことになっている。何よりも台湾に限らず共産党中国以外の国々では「天安門事件」と言えば1989年6月4日の武力弾圧を指す。
「郁子・・・」その時、本間は背後から誰かに柔らかく皮膚の感覚だけで抱き締められた。
「・・・央道(ヤオドウ)」耳元でささやいた声はここで死んだ中央道だ。決して忘れはしない。
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  1. 2019/01/25(金) 11:18:59|
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