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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1445

本間は照美ともう1人の同級生が退学した後は真面目な優等生に復帰した。しかし、成績は虹ノ花高校普通科クラスの上位であってもトップにはなれず、地元の愛知大学が順当と言うところだった。やはり心に負った傷が直向き(ひたむき)さを阻害し、集中力を削いでいたようだ。
「文学部の本間郁子2段です。よろしくお願いします」本間は愛知大学では迷わず少林寺拳法部に入った。少林寺拳法は小学生の頃、苛められっ子だった弟を心配した父親が近所にあった道院(=道場)に入門させた時、「1人じゃあ嫌だ」と言ったため一緒に始めることになったのだ。中学生の時には初段=黒帯=黒卍(当時)になったものの弟が飽きて止めてしまうと父親が「女の子が武道なんて」と嫌ったため部活動に専念することになり、高校では熱意が湧かず何とか2段になるところまでだった。大学では心機一転、気合を入れて髪も短く切っている。
「本間は有段者だから先輩部員と練習しろ。初心者の新入部員は道場の後ろに行け」新入部員の自己紹介の後、聖句(本当は南方佛教経典・ダンマ・パタの第160句と165句)と道訓を唱え終わると主将は一番左に並んでいる新入部員に声をかけた。今年の新入部員は女子ばかりで道衣を着ているのは本間だけだ。他は大学のジャージ姿だから道衣の注文から始まるようだ。
「本間、こっちに来い」新入生たちは戦時中は陸軍の兵舎だった道場の隅に集められ、取り残された本間を主将は横に並んだ部員たちの一番左を指差して移動させた。
大学でも基本的な流れは同じらしく準備運動に続いて突き、蹴りを汗がにじむまで繰り返す。続いて天地拳第1から第3、竜王拳第1と第2の単独演武が終わったところで主将が指示した。
「ここからは組練習、本間は2段だから・・・中央道(チュウオウドウ)、相手をしてやれ」少林寺拳法は格段にごとの柔法(関節技)と剛法(打撃技)の技があり、それを習得することで昇段する。したがって練習は段位が上の者と組ませて指導を受けながら新たな技を覚えるか、同じ段位の者同士で覚えた技を復習するしかない。この「チュウオウドウ」と呼ばれた男子学生は赤い卍(当時)をつけているところを見ると3段か4段のようだ。
「お願いします。本間です」1間の間合いで対峙して互いに合掌をすると一応は構える。その後は歩み寄って先ず挨拶をした。
「本間くんは文学部だけど何科かな」「中国語を専攻しています」「だったらゾン・ヤオドオです」男子学生は苦笑しながら自己紹介した。愛知大学には中国人の留学生が多いと聞いているが、この主将は「チュウオウドウ」と呼び、自分は「ゾン・ヤオドオ」と名乗った男子学生も留学生なのだろう。本間は小声で「ニンハオ」と言ってみた。
「主将は社会学部だから中国語は第2外国語で全く駄目なんだよ。その点、本間くんには発音の練習を兼ねて本名で呼んでもらいたいな」中央道は赤い卍同士で練習している主将を窺いながら小声で説明した。それを聞いて本間は技の練習の前に中央道の名前の発音を習うことにした。
「女子は本間くんのように街の道院で習った方が好いな。大学だとどうしても力任せになるから男子に習うと柔法でも剛法でも力が弱い女子では効きが弱くなる」入門時の技から始まって初段までの復習が終わったところで中央道は感心したように評した。本間の柔法は初老の道院長が懇切丁寧に教えてくれたためコツを掴んでいる。関節も微妙な角度や力を入れるタイミングで効きが全く違い力任せに捻れば良いと言うものではない。
「チュウオウドウ、新入生の歓迎コンパの幹事はお前だったよな。また青龍だろう」練習を終えて本間を含む新入生たちが2年生の指導で道場の掃除を始めると4年生たちが大声で立ち話を始めた。どうやら少林寺拳法部では新入生の歓迎コンパがあるようだ。今年は女子ばかりなので4年生も張り切っているらしい。
「コンパの日はバイトを休むからせめて商売を助けないと申し訳ないじゃないか」どうやら「青龍」と言うのは中央道がアルバイトしている中華料理屋のようだ。それにしても中央道の日本語は完璧で、これなら厨房でなくても接客も務まるはずだ。
「本間は道場の掃除も仕込まれてるな」大柄な新入部員が箒で掃き、小柄な者が雑巾で拭くように役割分担されているが、背は低くない本間も雑巾がけに加わっている。2年生の誉め言葉を聞いて4年生たちがこちらを見た。その中に中央道がいるのを見つけ、本間の胸は何故か苦しくなった。そう言えば柔法の技で掴まれた手を胸に固定する時も高校まで男子の道場生には感じたことがなかった一瞬の躊躇いがあった。
「うん、フット・ワークが軽いんだよな」「顔も孫悟空に似てねェか」「それって猿面ってことか」「確かに」4年生たちは新入部員たちが競馬の出走のように拭き始めたのを見て本間を誉めるつもりで嘲笑した。それでも本間はその中に中央道の声がないことを励みにして先頭で拭き切った。しかし、耳の上まで刈り上げた短髪はやり過ぎだったのだろうか(この時代)。
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  1. 2019/01/26(土) 11:04:48|
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