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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月11日・少年工学校卒の右翼・江藤小三郎が焼身自死した。

昭和44(1969)年の明日2月11日に明治新政府の司法卿でありながら下野して起こした佐賀の乱の首謀者として自らが策定した法律に基づいて斬首された江藤新平さんの曾孫で、陸上自衛隊少年工科学校=自衛隊生徒を7期生として卒業している江藤小三郎くんがガソリンをかぶって焼身自死しました。23歳でした。
江藤家の血統としては江藤新平さんの長男・熊太郎さんが23歳で亡くなったため二男の新作さんが家督を継ぎ、その新作さんの二男である夏雄さんの三男が小三郎くんで、敗戦の年の生まれです。ちなみに新作さんの長男の冬雄さん(この兄弟は生まれた季節で命名されたそうです)の息子が1996年から97年まで航空総隊司令官を務めた江藤兵部空将です。余談ながら野僧が航空自衛隊総合演習で航空総隊司令部に派遣された時の申告で整列すると兵部閣下から「この中に航空自衛隊3奇人の森野がいるだろう」と声をかけられ、申告後には呼びとめられて最下級でありながら司令官と談笑することになりました。おまけに演習中、航空教育隊司令(1佐)に電話をかけ「優秀な人材を派遣してくれて航空総隊の戦闘力が格段に向上した」と笑えない冗談を言ったため曹候学生出身の野僧を毛嫌いしていた自衛隊生徒出身の第1教育群司令が益々不機嫌になって帰隊時の申告では散々に嫌味を言われて困りました。
小太郎さんは少年工科学校を卒業後に退職し、定職にはつかずに愛国的政治団体=行動派右翼の集会などに参加していたようです。そうして戦前で言う紀元節=戦後の建国記念日であるこの日に国会議事堂前の憲政記念館脇にある井伊掃部頭屋敷跡の石碑の前で遺書であり決意表明文でもある「覚醒書」を遺してガソリンをかぶって焼身自死したのです。
覚醒書は「渾然たる世界、暗雲立籠む皇国。自然科学におかされて地獄に堕ちし民俗。これを救う道、一事に極む。これ大自然に添いし、無私の心なり。無私の心、真我に通ず。真我集えば破るる事なし。国の大事、すべて無私より始まる。ここに気付き行えばあとは康し。一皇万民、天皇の許に真我が集う時、皇国毅然として興る。皇子皇民、一丸となり熱鉄玉を呑む勢いにて行えば世界万民を救う道をなすこと難くはなし。我、神命により不生不滅の生を得む。ここに肉体を放棄し永遠の命を得む。我『建国の日』に魂魄となりて、民族の危機にあたるものなり」と言う稚拙な駄文で、同じ佐賀県人である三上卓中尉が作詞した「昭和維新の歌」と同様に聞き慣れない古語を羅列する表現方法と自己陶酔的な主張が色濃く見られますが、祖父の新作さんは犬養毅首相の側近であり、三上中尉は5.15事件で殺害した実行犯ですから影響を受けていのかは不明です。しかし、本当に国の安危を慮っているのなら従兄の兵部閣下のように国防の任務に身命を賭すべきでしょう。
それでも平岡公威(きみたけ=三島由紀夫)さんは衝撃を受けたようで「若きサムライのために」と言うこれも極めて空虚な賛辞を書いています。
少年工科学校は陸軍幼年学校の教育内容を模倣しているため復古調の軍人精神を地方から集まった純粋な若者たちに洗脳に近い形で刷り込んでおり、それは一般の専門学校になった現在の高等工科学校にもそのまま踏襲されているようです。
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  1. 2019/02/10(日) 08:17:18|
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