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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1460(かなり実話です)

天野1尉が12月初頭で付になって再就職の準備を始める前に後任の松山3佐が引き継ぎに来た。松山3佐は現在、東北方面隊の青森駐屯地の第5普通科連隊の所属だ。
「流石に寒いですね」車両班の陸曹に4中隊のジープで駅まで迎えに行かせたが着ダルマのような私服で来ていたため松山3佐に声をかけられるまで判らなかったらしい。松山3佐は東京6大学出身と聞いているが3佐で昇任が止っているようだ。第5普通科連隊は旭川で日本最低気温を記録した日に発生した「八甲田山死の彷徨」の犠牲者への慰霊も兼ねた雪中行軍訓練を実施しているが「あまりスキーは得意ではない」と言う裏情報も届いている。
「そうですか。青森もそれなりに寒いでしょう」天野1尉は着替えるためソファーが見えないように立ててある衝立(ついたて)の影に移動した松山1尉に声をかけた。
「確かに青森も寒いですが気温はここまで下がりません」「年が明ければダイヤモンドダストが見られますよ」天野1尉の叱咤の観光案内に姿が見えない松山3佐が身震いしたのが判った。
「こちらが第5普通科連隊の松山3佐です」天野1尉は制服に着替えた松山3佐を連れて連隊本部の1科に行った。1科長も1尉なので松山3佐が最上級者なのだが貫禄負けしているのかあまり敬意は払われていない。間もなく転属してくるので名刺交換などはなかった。
「先に連隊長と副連隊長に挨拶をしてから話をしよう」1科長に促されて松山3佐は天野1尉と一緒に廊下の向かいにある両首脳の部屋へ向かった。
「今の話は何なんですか」連隊長と副連隊長への挨拶を終えて1科に戻った松山3佐は興奮気味に2人に詰め寄った。すると1科長は周囲で仕事をしている陸曹たちを見回して唇に指を立てた。先日の部隊長会議で天野1尉が要望した通り、第3普通科連隊では「曹侯補士を一律に依願退職させる」と言う方面総監の指示の公表は4中隊長が交代するまで保留になっている。
「それではウチの中隊長室で話をしましょう」「判りました。お邪魔します」天野1尉の提案に1科長も応じ、3人は部屋を出ていった。
「副連隊長から説明があったように北部方面隊では総監の『曹侯補士は不要』と言う判断に基づいて一律に依願退職させることに決まったんです」4中隊長室に移動し、コーヒーを持ってきた事務室当番の若い士長が帰るのを待って1科長が説明を始めた。
「それでは曹侯補士の非任期制、4年以降7年未満で3曹に昇任させると言う採用条件を破棄することになりますが、損害賠償訴訟が発生しても方面レベルで責任が取れるんですか」松山3佐の口ぶりでは東北方面隊にまでこの不当人事が及んでいないことが窺える。やはり北部方面総監・滋賀徳次郎陸将個人の独断なのだ。
「総監が曹侯補士の昇任は決裁しないと宣言された以上、責任も自ら負われる覚悟だと信じたい」「それは希望的観測ですね」松山3佐の冷静な評価に1科長は力なく視線を落とした。
「最近の曹侯補士は非任期制であることに胡坐をかいて昇任枠が狭くなった分、切磋琢磨している新隊員よりも劣る奴が増えているのは間違いありませんが、自衛隊に腰を落ち着けて地道に努力している者が大多数でしょう。個別の能力を確認しないで一律に評価するのは帝国陸軍草創期の藩閥人事のようです」やはり松山3佐は一般課程(部外)出身だけあって知識と発想の幅が自衛隊での経験に凝り固まった部内出身者よりも広い。松山3佐は最初の配属先の守山の第35普通科連隊で中隊長まで経験して以降、東部方面隊の某師団司令部を経由して青森まで北上してきた。現在は本部管理中隊長なので3度目の中隊長だ。1科長としては4中隊長の席は待機場所にして定期交流に合わせて4科長に連隊内移動させる腹案を持っている。
「何にしろこの問題は貴方に対応してもらうことになります。ウチにも4年目の昇任資格を得る曹侯補士がいますから何卒よろしくお願いします」話が途切れて3人揃って冷めかけたコーヒーを飲んだところで天野1尉が頭を下げた。
「その隊員は使い物になるんですか」この質問で天野1尉と1科長は松山3佐の口調に感情が籠らないことを感じた。それは冷淡と言うよりも他人事としての距離感なのかも知れない。
「はい、文武両道に長けた得難い人材です。特にバイアスロンでは冬季オリンピックの選手が揃っている我が連隊で常に上位5位以内に入る有望株です。連隊としては陸曹に昇任すれば次は冬戦教に入れてスキー連盟を通じてオリンピック要員に登録させるつもりでいました」1科長の説明は過去形になっている。人事担当者としては方面総監部から連日のように該当者と関係者の反応を確認する電話が入っており、すでに打開策がないことを認識せざるを得なくなっている。その一方で連隊内では4中隊長の交代まで厳格な緘口令が敷かれているのだが、北部方面隊内の別の部隊からの情報で隊員たちの間には動揺が広がり始めている。
松山3佐はそんな北部方面隊に着任すれば早々にこの難問に対峙しなければならない。それでも松山3佐は感情を見せずに森田曹侯補士の人事資料を黙読し始めた。
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  1. 2019/02/11(月) 09:19:02|
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