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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1461

天野1尉の4中隊としての送別会は2月に盛大な定年退官行事が予定されていることもあり、中隊本部の5人の陸曹と各小隊長、小隊先任の計14名でこじんまりと行われた。この人数であれば名寄市内の小料理屋の座敷で十分だ。
「中隊長、お世話になりました。乾杯」「乾杯」訓練幹部を兼ねている1小隊長の発声で宴会が始まった。長い座卓の上には日本風とは言い難い肉料理が中央を占めている。やはり北海道だ。ビールは当然、サッポロだが地酒として旭川の男山と富良野ワインも用意されている。
「中隊長が吾妻1尉の交代で来られた時には定年前で大丈夫かと心配しましたが、流石の熟練の技を見せていただきました」隣りの席の1小隊長はグラスにビールを注ぎながら天野1尉への謝恩の辞を語り始めたが、在任期間が短いだけにで少し無理がある。
「吾妻1尉が滅茶苦茶にしかけた中隊をアッと言う間に建て直されたのには感心しましたよ」今度は2小隊長の番だ。天野1尉以外に4中隊の幹部はこの2人だけだ。
「吾妻1尉は生徒上がりの悪い面を全て体現しているみたいな人間でしたからね」唐突に「生徒上がり」と言われて天野1尉は注がれたビールの味が変わったような気がする。北部方面総監も生徒上がりの防衛大学校出身だ。吾妻1尉が生徒上がりの悪い面を体現しているのなら滋賀徳次郎陸将はどうなるのか。天野1尉は急に苦くなったビールを飲み干した。
「ところで中隊長・・・」ここで2小隊長が正座の姿勢を正すとあらたまった口調で話しかけた。2小隊には森田曹侯補士が所属している。ならば質問は訊かれるまでもない。
「現在、北部方面隊内の各部隊では『曹侯補士を切り捨てる』って言う噂が飛び交っているんですが、まさか我が3普連だけは対象外と言うことはないでしょう」当たらなくても良い予感は的中した。第3普通科連隊での公表の延期を要求したのは天野1尉自身だ。その結果の緘口令を自ら破ることには躊躇がある。しかし、1科長も言っていた通り、この理不尽な人事を申し渡された曹侯補士が第3普通科連隊の同期に電話してくることは至極当然だ。天野1尉は真向かいに座っている中隊先任が前に置いたグラスの赤ワインを少し飲むと2小隊長の顔を見ながら話し始めた。すると全員が姿勢を正した。
「実は今の方面総監からの指示は先週の部隊長会議で伝達されたんだが、これは中隊長の職権で処置すべき重要案件だ。しかし、私には処置する時間がない。だから後任者が着隊するまで保留してもらえるようお願いしたんだ」ここで一呼吸置いたが誰も言葉を発さない。おそらく信じ難い異常な人事が事実であることを確認した失望と憤り、自分の小隊の曹侯補士に説明する言葉が浮かばない苦悩、そして何もできない無力感が胸の中で一気に交錯しているようだ。
「申し訳ないがこの話は次の中隊長が着隊するまで黙っておいてくれ。隊員に訊かれたら何も聞いていないと答えておけば良い」「後任者に任せて大丈夫なんですか」今度は松山3佐に対する不安が噴き出した。確かに名寄駅に現れた時の服装は幹部自衛官とは思えない普段着だった。宿泊した夜、酒席を共にした2人の幹部もこれまでに接したことがない雰囲気に困惑していた。
「そう言えば松山3佐は守山で田島1尉の弟弟子らしいぞ。人事記録を読んでいて田島1尉の名前を見つけて懐かしがっていたな」本当は感情を交えずに関係を淡々と説明したのだが、ここは逸話を捏造してでも利用するしかない。
「と言うことは田島1尉が精神教育で言っておられた陸軍モリヤ学校の卒業生ですか」「ウチの安川3曹も卒業生ですよ」何故だか急に松山3佐への期待が高まった。「陸軍モリヤ学校」と言うのは教え子の安川3曹に会ってから田島1尉が自嘲気味に使い始めた名称だ。田島1尉はモリヤ1尉と言う不可解な人物に守山で小隊長として仕え、安川3曹は久居の新隊員教育隊で中隊長として教えを受けた。その2人は理解不能な幅広く深い軍事知識を持っていて周囲は一目どころか万目を置かざるを得ない存在なのだ。
「モリヤ1尉はアフリカでゲリラを3名殺して懲戒免職になったんじゃあなかったですか」「殺人罪で服役中って聞いているぞ」どうやら北海道北部ではモリヤ1尉の裁判に関する報道は殺人罪で告発されたところまでで無罪判決については隊員も見落とすほど小さかったらしい。これはモリヤ1尉に限った話ではないが、無罪判決はそれまでの断罪報道の誤りを認めることになるため努めて目立たない小さな記事にされ名誉回復の責任は放棄されている。
「田島1尉や安川3曹とは全くタイプが違うが、天下の早稲田大学出身だから下手な防大出よりも切れ者かも知れんぞ」1小隊長の説明に参加者たちはバカ田大学出身の松山3佐がこの難問を解決してくれる救世主のように思い込んでしまった。モリヤ1尉的に言えば釋尊が地獄の血の池で苦しむ犍陀多(カンダタ)に垂らした蜘蛛の糸だ。確かにそれだけの能力の持ち主ではあるが、あの独特な習癖を理解できる人物が果たしてこの部隊にいるのだろうか。
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  1. 2019/02/12(火) 09:29:18|
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