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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月4日・三線(サンシン)の日

1993年から3月4日は「三(サン)と四(シ)」の語呂合わせから沖縄の弦楽器「三線(サンシン)の日」とされています。提唱したのは琉球放送だそうです。沖縄方言は南方から伝来した日本語の源流のため古代の発声法を留めており、母音でもエ段をイ段、オ段をウ段とするため「三線(サンセン)」が「サンシン」になりました。
野僧が沖縄で勤務していた第83航空隊修理隊のエンジン小隊には宮城松栄2曹と言う「三線」の名手がいて基地の盆踊りなどで沖縄民謡だけでなく自作の歌を披露していたため若い隊員たちの関心が高く、雑学的知識を学ぶことができました。余談ながら車力の第22高射隊管理小隊には吉岡辰美1曹と言う津軽三味線の名手がいましたから航空自衛隊生活の始めと終わりを三線と津軽三味線の音色で飾ってもらったような気がしています(今思えば2人に弟子入りしておけば好かった)。
本土では胴に張ってあるニシキヘビの皮から「蛇皮線(ジャミセン)」「蛇味線」と呼ぶことが多いようですが、これは奄美大島の呼称ではあっても「三味線(シャミセン)」の変形と言う意味合いがあり、歴史的にはこちらが原型なので適切ではありません。またハブの皮と誤解している人がいますが、猫を呑むような体長2メートルを超える個体でも太さは5センチ程度なのであそこまで大きくありません。ついでに言えば津軽三味線の胴は猫を用いる通常の三味線よりも大きいため犬の皮だそうです。
三線は中国東南部の福建省の民族楽器・三弦を起源として第2尚王家によって沖縄が統一された14世紀頃に伝来したと言われています(亀甲墓など沖縄の伝統文化は洛陽・北京よりも福建省の影響が大きい)。尚王家では中国の文化を規範としていたため三線も貴族たちの遊芸として広まり、やがては庶民階層まで愛好するようになり、現在では沖縄民謡と呼ばれている独自の音楽を形成したのです。
三線は戦国時代末期の永禄年間に貿易港だった堺に伝わって三味線になりましたが、構造は棹(三線での呼称は「ソー」)、胴(同「チーガ」)、糸巻き(同「カラクイ」=三味線では「天神」)、弦(同「チル」)と装飾的な目的の胴巻き(同「ティーガー」)、普段は弦に張力を掛けないように緩めておくための駒(同「ウマ」)などは共通していますが(三味線の方が棹は細くて長い。外して3分割できる物もある)、演奏する用具は三味線が象牙製の撥(ばち)なのに対して三線は水牛の角を削った爪(同「チミ」)を人差し指にはめることが一般的です。ただし、前述の宮城2曹はギター用のピックを愛用していました。
沖縄ではこの日を三線による伝統音楽を継承するための機会として色々な音楽祭を開催しており、祝いの席で唄われる「かきやで風(かじゃでぃふう)」(=雅楽の『越天楽』のような曲)が演奏されることが多いようです。野僧はこの歌と八重山の「とぅばらーまー」を本土と沖縄を対立的に語る地元の人間を黙らせるために唄う秘技にしていましたが今では自信がありません。
本土の人間は三線と言うと軽快に踊りの伴奏をする印象を持っていますが、野僧は葬儀の時の鎮魂歌(霊歌の「おもろ」とは別)や実らぬ恋心を唄う哀歌も聴いたことがあり、その切ない音色を思い出すと亡き妻の面影と重なって落涙してしまいます。
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  1. 2019/03/04(月) 11:06:36|
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