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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月22日・文豪だけではない万能の天才・ゲーテの命日

1832年の明日3月22日は普通の日本人は小説「若きウェルテルの悩み」や詩劇「ファウスト」などの作者である文豪としてだけ認識しているヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテさんの命日です。
ところがゲーテさんには色彩論や形態学、生物学、地質学、自然哲学などを研究した自然科学者や法律家、現在の首相に相当する重職まで務めた政治家としての経歴もあり、文学においても小説や戯曲だけでなく詩でも優れた作品を残している万能の天才でした。
ゲーテさんは1749年にドイツ中部のフランクフルトの富豪の家庭の長男として生まれました。父親は大学を出て政治家を志したものの上手くいかず、枢密顧問官の肩書を金で買ってからは書籍や絵画、珍品の収集を生き甲斐にしているような人物でした。一方、母親は由緒正しい法律家の家系で母親の祖父はフランクフルトの市長を務めています。
父親は息子の教育に関心を示し、3歳から幼稚園に入れられて読み書きや算術を学び、5歳からは寄宿制の初等学校に進学したものの7歳の時に天然痘を発症したため自宅に戻され、以降は語学(ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語)や絵画、楽器演奏、馬術、ダンス、さらにカリグラフィー(文字を美しく書く技術・日本で言えば書道)などの家庭教師による英才教育を受けることになりました。
この頃から読書に熱中し、14歳の時に初恋を経験しますが失恋に終わりました。この相手が「ファウスト」の第1部のヒロインになっています。
16歳で息子を政治家にしたくなった父親の命令でドイツ東部のライプツィヒ大学の法学部に進学しました。しかし、本人は文学志望だったため学業に身が入らず19歳の時に結核を発症したため自宅に戻ることになり、この1年半の病気療養中に自然科学に興味を持ち、多くの実験器材を買い集めて研究に没頭し、後に幅広く発展する土壌を構築しました。
病気が癒えると今度はフランス的教養を身にさせようとした父親の勧めで1770年にフランス領のシュトラースブルグ大学に編入し、ここで多くの文学青年たちと交流したことで文学者として大成する素地を創生しました。
1年後に大学を終えるとフランクフルトで弁護士になりましたが、次第に文学志向が強まって仕事への関心を失い、数年後には文学者として次々に作品を発表することになったのです。中でも1774年に発表した「若きウェルテルの悩み」は戦後の日本で若者の生活様式や服装・髪型、言動・態度にまで影響を与えた「太陽の季節」のような大ヒットになり、この本の愛読者だったナポレオン・ボナパルトさんは占領地域の領主を招集した際、随員として参加したゲーテさんと対面すると感激して「ここに人あり」と叫んだと言われています(この言葉については色々な解釈が流布しています)。
「若きウェルテルの悩み」も他の作品と同様にゲーテさんの実体験に基づいて描かれており、舞踏会で恋に落ちた19歳の少女との往復書簡によって悲恋が展開して行きます。
ゲーテさんは「ファウスト」の第2部を完成させた翌年のこの日に「もっと光を」と呟いて亡くなったそうです。82歳でした。
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  1. 2019/03/21(木) 09:53:53|
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