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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月23日・真価不明の将軍・オーキンレック元帥の命日

1981年の明日3月23日は第2次世界大戦の北アフリカやインドでイギリス軍の指揮を執ったもののバーナード・モントゴメリー元帥やのような知名度がないサー・クルード・ジョン・エア・オーキンレック元帥の命日です。
オーキンレック元帥は1884年にグレートブリテン島南部のオルダーショットで陸軍大佐の息子として生まれました。完全志願制である自衛隊では民間企業との待遇格差は募集難に直結するため世界水準から見ても給与は高額なのですが、徴兵制だった時代の軍人は可哀想なくらい薄給で、中でもヨーロッパの将校士官は貴族階級であることが前提になっていたので軍の給与は小遣い銭に過ぎず、庶民から将校士官になった軍人たちは慢性的な生活苦に悩み続けていました。オーキンレック元帥の父親も同様で息子が折角、士官学校に合格しても学費が捻出できず(イギリスの私立の士官学校は有料の上、全寮制なので高額だった)奨学金で卒業させています。
このため卒業後の任地もイギリス本国では貴族階級出身の将校士官と交際しなければならず、華美な生活水準を維持しなければならないので植民地、中でも生活費が安価なインドが人気でオーキンレック少尉も熱望したようです。実際、同様に庶民出身であるモントゴメリー元帥はインドを熱望しながらも成績が36位だったため30名の定員に入ることができず実現しませんでした。
インドでは現地人部隊である第62バンジャブ連隊に配属されると部下との信頼関係を築くため熱心に現地語を学び、流暢な会話ができるようになったことで絶大な人気を獲得し、第1次世界大戦では現地人部隊を率いて中東方面で戦い、少佐で終戦を迎えています。
その後もインドに留まり現地人部隊の近代化を進めた実績を評価されて中将にまで昇任してインド軍総司令官に就任しますが、第1次世界大戦を通じて急速に近代化した兵器と戦術からは取り残される結果になり(日本陸軍も同様)、第2次世界大戦ではナチス・ドイツ軍の侵攻を受けたノルウェーに現地人の師団を率いて派遣されたもののノルウェー国内の抗戦派と降伏派の不協和音に翻弄されただけで平和裏に撤退することになりました。
さらに1941年7月に同盟者・ベニート・ムッソリーニ統領のイタリアと連携して地中海を内海にしようとするアドルフ・ヒトラー総統の野望を受けて北アフリカに進出してきたエルヴィン・ロンメル元帥に連戦連敗していたアーチボルト・ウェーヴェル中将に代わって指揮を執りますが、中立義務に違反したアメリカの補給を受けて攻勢に転じ、一時的に押し返したものの伸び切っていた補給線を突かれて敗退してからは膠着状態に陥り、左遷されたウェーヴェル大将(貴族出身)が遅れて参戦した日本軍にも連戦連敗したまま総督に就任したためインド軍総司令官に返り咲き、インパール作戦を指揮したのです。
戦後は1947年8月15日のインドの独立を見届けて1948年に帰国して退役すると事業経営に手を出したようですが所詮は素人商いで失敗して、水彩画などを描きながら静かに96歳までの余生を送ったようです。
決して愚将ではありませんが名将と呼ぶには今一歩、そうなると凡将なのでしょうか。
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  1. 2019/03/22(金) 12:32:22|
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インパール作戦指揮官の生涯への共感と涙

いつの時代にも存在する苦労話。
かならず、真っ先に登場するのが、現在も学生に一番多い「お金」の問題。
大学卒業時、これから十年、二十年と延々と返済しなければならない『奨学金』という名の「膨大な借金」。いつの時代も受験生たちが無償供与や返還利率の軽減を望みながら、良心的に運営すればするほど苦しくなる奨学金貸与団体の資金繰り。
そして、私達の世代には存在した『日本育英会』。
私自身、成績証明書や推薦状を提出してやっとのことで獲得した「日本育英会特別奨学金受給者資格」。借入金返還利率はゼロ。しかも、「卒業後に国家公務員や国の研究機関に採用され継続して勤務すれば返還義務は免除」という現在のあらゆる奨学金を上回る好条件。貸与される奨学金の金額は少なく、親からの仕送りとアルバイトは当たり前ですが、この奨学金にどんなに助けられたことか…! 事実、テキストと参考書の購入だけで直ぐに使いきることの繰り返しでした。
朝は、学生寮で前日の夕食時に前もって購入した食券と引き換えに受け取った「食パン2枚。マーガリンひとかけら。そして、200ccの成分無調整牛乳」。いつも、トーストせず、牛乳温めずが当たり前でした。しかし、学食では、300円から350円で定食を食べることができ、学生寮の夕食は量だけは学生たちの旺盛な食欲を十分に充たしてくれました。今となっては、貧乏暮らしさえ懐かしい想い出です。
元に戻って、「あぁ、いつの時代も、そして、兵学校の軍人さんの卵も、「若い頃の苦労はみな同じ」の感慨を、今また新たにしました。
貴重なお話し、ありがとうございました。
  1. 2020/07/21(火) 21:45:25 |
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  3. プライベート西崎 #klaiCGoQ
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