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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月26日・沖縄戦の初戦・慶良間群島にアメリカ軍が上陸した。

アメリカ軍は昭和20(1945)年4月1日の沖縄本島侵攻に先立つ3月26日に久米島との間にある慶良間群島に第77師団の抽出部隊を上陸させて日本陸軍のベニヤ板製モーターボート爆雷艇の沿岸防備部隊を殲滅しました。
陸軍の爆雷艇は同型の海軍の震洋とは違って特攻専用ではなく、艦艇の損失により離島の防御を期待できなくなった陸軍が独力で沿岸防備を講じるために開発した水上兵器です。設計上の諸元は全長5.6メートル、全幅1.8メートル、喫水は25センチメートルのベニヤ板製で、トヨタと日産の60馬力の自動車用エンジンで最高速度23から25ノット、約3.5時間の連続航行が可能だったとされています。そんな爆雷艇は緑色に塗装されていたため兵士たちからは「アマガエル」の愛称で呼ばれていたようです。
戦術の建前としては操縦席の後部に250キロ爆雷1個か120キロ爆雷2個を搭載して沖で停泊している敵艦に肉薄し、急旋回による遠心力で投下後は離脱すると言うものですが、これは陸軍の特攻は「死」そのものを目的とするのではなく、日露戦争における旅順攻城戦のように生還が期し難い任務を遂行することであって、その一線を踏み超えていた海軍には同調しなかったのです。海軍も旅順港閉塞作戦では乗員の生還を前提にしていましたが、真珠湾における特殊潜航艇・甲標的の捕虜になった1名を除く11名の乗員の死を規範としたことで狂ってしまったのでしょう。守備隊が全滅する玉砕戦もインドネシア島ブナの海軍陸戦隊(一部、陸軍も加わっていた)が最初です。
慶良間群島には300隻もの爆雷艇が配備されており、沖縄本島を包囲するように停泊しているアメリカ・イギリス海軍の艦艇を背後から攻撃する命令を待っていたのですが、上陸前の爆撃が慶良間群島にも及んだことで大半が破壊されてしまい4隻のみが出撃して攻撃を加え(戦果は不明)、2隻が沖縄本島に逃げ込んでいます。
この日、アメリカ軍は「爆撃と艦載機による機銃掃射によって日本軍は壊滅した」と確信して上陸したのですが、慶良間群島は急勾配で切り立った地形のため爆弾の威力は局限されていて日本軍は山の洞窟や深い樹林などに隠れており、散発的な戦闘の結果、29日の終結までに530名が戦死、121名が捕虜になり、アメリカ軍側も31名が戦死、81名が負傷しました。移動手段がなかった第32軍は見捨てるしかなかったのです。
一方、逃げ場を失った住民の多くは「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と言う東條英機大将の陸軍大臣布告「戦陣訓」を教育されていたため事前に配られていた手榴弾で集団自決(駐在所の警察官と家族を含む)を遂げてしまいました。
この上陸の報を受けて九州各地の航空基地からは海軍の神風(しんぷう)、陸軍の振武(しんぶ)特別攻撃隊の46機が出撃し、夕暮れ前に慶良間沖のアメリカ、イギリス艦隊に突入しました。この時点ではアメリカ軍も特攻への対処法が確立されておらず駆逐艦に大破1隻、中破1隻、軽巡洋艦と駆逐艦2隻に損傷を与えています。
日本軍とA級戦犯・東條英機大将の大罪は軍人だけでなく文民にまで不当な「死」を強要したことです。慶良間群島もその「犯行」現場になりました。
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  1. 2019/03/26(火) 09:36:34|
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