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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1505

結局、淳之介とあかりは4月の第2週になってから那覇に向かった。春休みの観光シーズンが終わったとは言え、真夏よりも過ごしやすい季節なので定年退職を迎えた熟年夫婦の観光客はむしろ増えており、飛び込みの休暇はもらえなかったのだ。そのおかげであかりの荷造りが余裕を持ってできたので悪くはない。
「あかり、お帰り。淳之介、ご苦労さま」日本トランスオーシャン航空の送迎ロビーには梢が迎えに来ていた。年中無休の旅行社の空港支店では平日に交代で休む。それを今日にしたらしい。
「流石に大きなお腹ね。それなら何時子供が出てきても不思議はないわ」梢は淳之介の腕にすがりながら歩み寄ったあかりの姿に感嘆したように呟いた。やはり2月上旬からの2カ月で腹=中の子供は大きく育っているようだ。一方、梢自身はあかりを7カ月で出産しているのでここまで大きなお腹にはなっていない。
「順調なの」「うん、こっちに来る前に受診したけど安心して産んで下さいだって」あかりは出発が遅れたついでに八重山病院にも通院したらしい。淳之介が「行け行けドンドン」でやっていけるのはこのあかりの念入りで慎重な生活態度があるからだ。そうなると単身赴任生活が心配になるが、そこは父となった自覚で落ち着くことを期待するしかない。
「そう言えば父から『よろしくお願いします』って伝えてくれって頼まれました」淳之介は思い出したところで忘れないうちに梢に伝えた。すると何故か梢は苦笑した。
「昨日の夜、私から携帯に電話したのよ。ニンジンさんは職場に泊まりっ放しだから消灯ラッパが聞こえて懐かしかったわ」どうやら父は若い頃、梢が残業で遅くなると消灯の時間帯に公衆電話をかけていたらしい。ガチガチの堅物の模範的自衛官だと思っていた父も梢のためになら規律違反を犯したことを知り、淳之介は義母になっている梢の顔を見直した。
「あかりの荷物が続々と届いているわ。帰る前に淳之介が開けて分類してね」「はい、今夜中に頑張ります」石垣島から沖縄本島への宅配便は割増料金を払わなければ1泊2日の船便になる。それでもあかりの愛用品だけは出発前に航空便で発送したから今日にも届くはずだ。
「今日はこのまま病院に寄ってから帰ることにするわ。あかりはそれで良いわよね」「うん、今日じゃあないとお母さんが一緒に来られないんでしょう」やはりあかりの感性は鋭い。あかりと暮らしていると淳之介には視覚と言う感性が人間を視界の範囲内、見えいている表面上に閉じ込めるための制限のように思えてくる。視覚を持たないあかりには間違いなく健常者を超えた不思議な力があるのだ。淳之介がそんなことを考えている間に母と娘はロビーからタクシー乗り場に向かって歩き出していた。
「無事に戻ってきましたね」「・・・」医師の言葉にあかりは返事をしなかった。医師としては予定日の1ヶ月前を期限にしていたため、それに遅れたことを遠回しに叱責したのだが、あかりは「戻ってきた」と言われたことに引っ掛かっていた。あかりにとっては淳之介と暮らす石垣島が居場所であって親元である那覇市は「来た」場所だ。
「あちらの病院からカルテのコピーは届いていますが、やはり出生前診断は受けていないんですね」医師は事務的に問診を進めていく。八重山病院の担当医はあかりの障害と生活環境を十分に理解した上で意思を尊重しながら助言を与える態度を守ってくれている。しかし、都市部の病院の医師は患者の個人的な事情を持ち込んでいては仕事が進まないのだろう。
「はい、どんな身体で生まれてきても大切に育てたいと思います」医師はあかりの返事にも特別な反応はしない。東京を中心とする産婦人医学界で治癒不能なは障害を持った胎児を親の意思で除去する現代版優生保護を推進しているのだが、あかりの障害が先天的な疾患であれば父親は「足手まといになる」と産むことを許さなかったはずだ。つまりあかり自身が人工中絶の対象だったことになる。八重山病院の担当師はあかりに障害児に対応する能力が欠けることを十分に説明しながらも最終的に意志を尊重してくれた。
「御家族が同意しておられるのであればこちらとしては何も申し上げることはありません。どちらにしても・・・」流石に医師は「中絶するには手遅れ」とは言わなかった。
「それではエコーで確認しましょう。ベッドに横なって下さい」医師の指示に梢が立ち上がったあかりに手を貸してベッドに寝かせた。淳之介は性器を確認することもある産婦人科の診断に立ち合うことは避けている。看護師は横目で確認しながら器材の準備をしているが、このような作業分担も随分と機械的で冷淡だ。
「ハンサムな息子さんですね。産まれてくるのが楽しみだ」エコーで映った胎児の顔の映像を見ながら医師は励ますように誉めたが、あかりは性別の事前周知を拒否していたのだ。
「・・・淳之介にも言いなさい」それを知っている梢の助言にあかりは諦めたようにうなずいた。
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  1. 2019/03/28(木) 11:24:41|
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