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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月30日・護衛艦・てるづき衝突事故

昭和38(1963)年の明日3月30日に海上自衛隊護衛艦隊の初代旗艦だった護衛艦・てるづきが浦賀水道で貨物船に衝突されて乗組員5名が死亡する事故が発生しました。
護衛艦・てるづきは帝国海軍の駆逐艦と同様にあきづき型の2番艦で(帝国海軍は秋月・照月と漢字だった)、日米の相互防衛援助協定に基づきアメリカの予算で海軍の駆逐艦として三菱重工神戸造船所で建造されてアメリカ海軍で就役した後、日本に供与されました。野僧が勤務していた第83航空隊にも同様の手順で取得していたFー104J戦闘機が配備されていて、飛行時間が満了すると日本の予算で購入したF-104Jの多くはラジコン機に改造されて硫黄島で標的機として撃墜されるのに対してこちらはアメリカに返納していました。ところがアメリカは航空自衛隊が用途廃止したF-104を中華民国に無償譲渡したため八重山方面の防空識別圏(ADIZ)に接近するアンノウンに緊急発進すると見覚えがある戦闘機で(沖縄の83空隊機は防錆ウレタン塗装してある)、おまけに中華民国空軍は国籍章を青天白日に塗り直しただけで尾翼の部隊章は207飛行隊のままだったので仲良くランデブー飛行して帰ってきたそうです。台湾軍の友人に「安全上の問題はないのか」と質問すると「航空自衛隊は整備が完璧なので大丈夫だ」との答えでした。
海軍少年だった野僧は護衛艦・てるづきのプラモデルを作って部屋に飾り、毎月購読していた雑誌「世界の艦船」で知識を仕入れましたが、全長は118メートルで駆逐艦・照月よりも16メートル短く、全幅は12メートルで50センチ広く、基準排水量は2350トンで350トン軽い艦でした。兵装は5インチ単装砲が3門、3インチ連装速射砲が2門、対潜ロケット砲と対戦迫撃砲、魚雷発射管が各1基、短魚雷発射管が2基など当時の護衛艦としては強力でした(後に「あきづき」と共に対潜迫撃砲と魚雷発射管、短魚雷発射管は撤去されて対潜ミサイル・ボフォースに換装された)。
そんな「てるづき」は伊豆大島沖での海難救助訓練を終えて横須賀基地に帰る途中、港外の第2海堡(海軍が築いた海上の砲塁跡)の北西4キロを航行中だった午前3時45分頃に日本郵船の2350トンの貨物船が右後部に舳先を喰い込ませる状態で衝突したことで舷側が4から5メートル抉られる形で破断・浸水しため後部居住区で就寝していた5名が死亡し、23名が負傷したのです。原因は貨物船が「てるづき」の尾灯を小型漁船の物と誤認して前を突っ切ろうとしたことでしたが、当時の護衛艦の尾灯は存在を秘匿するため光量が小さくそれも遠因ではありました(まだ軍事常識が通用していたため問題にはならなかった)。また帝国海軍であれば吊り床で就寝しているため衝突により浸水が始まっても閉じ込められることはなかったのですが、それを指摘したのは元海軍軍人だけだったようです。ちなみに艦長は3月16日付で東京高等商船(現在の商船大学)出身者から海軍兵学校出身者に交代したばかりでした。
「てるづき」はその後、新鋭艦の就役に追われる形で格下の艦隊の旗艦を務め、1994年7月14日に八戸沖で新型空対艦ミサイルの発射実験の標的艦として三沢基地を飛び立った航空自衛隊機によって爆沈されました。
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  1. 2019/03/29(金) 11:06:29|
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