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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月31日・「ジェイン・エア」の作者・シャーロット・ブロンテの命日

1855年の明日3月31日は長編小説「ジェイン・エア」でイギリスの女流作家の先駆けだったシャーロット・ブロンテさんの命日です。「嵐が丘」のエミリーさんは実妹です。 
「ジェイン・エア」は「(不美人な)ジェイン・エアが孤児になり、養母とその子供たちに差別されて鬱屈した毎日を送りながら9歳の時に全寮制の学校に入れられて優しい教師や信仰心が篤い友人と出会ったのも束の間、劣悪な衛生環境によって友人は病死してしまいました。それでも生徒として6年間、教師として2年間をその学校で過ごした後、貴族であるエドワードに家庭教師として雇われ、やがて互いに恋愛感情を抱くようになり求婚を受けました。ところが結婚式場に発狂して幽閉されていた妻が現れたことで重婚であることが発覚したためジェイン・エアは倫理道徳と恋愛思慕の狭間で苦悩したまま屋敷を出たのです。しかし、生き倒れになる寸前に牧師に助けられ、その家族が従兄姉妹であることが判明したのでした。すると布教のためにインドに赴くことになった牧師から「妻として同行して欲しい」と申し入れられますが、従兄である牧師には恋愛感情を抱けないことに苦悩し、布教を手伝うことを理由に求婚を受けることを決めたジェイン・エアはエドワードが呼ぶ声を聞いたのです。牧師と別れたジェイン・エアはエドワードの下に向かいますが泊まった宿で屋敷が火事になり、妻は焼死して貴族も失明して片腕を失ったことを聞きました。するとジェイン・エアの胸に激しい恋愛感情が燃え上がり、不具の身になったことで結婚を断るエドワードの押しかけ女房になる」と言う物語です。この作品を発表した当時のイギリスでは女流作家は認められておらず、シャーロットさんはカラー・ベルと言う性別不明のペン・ネームを使っていました。
そんなシャーロットさんは1816年に大ブリテン島の中央部であるヨークシャで牧師の3女として生まれました。シャーロットさんの他にも長姉、次姉と1歳下の弟、2歳年下のエミリーさんと3歳年下の末の妹がいました。1920年にエミリーさんが「嵐が丘」の舞台のモデルにしたハワーズに転居しますが間もなく母が病没してしまい(子供を連続して産み過ぎたのでは=牧師なので性欲を妻だけに集中させたのか)、8歳の時には姉2人と6歳のエミリーさんと一緒に西海岸のランカシャーの学校に入学しましたが、劣悪な衛生状態だったため長姉と次姉が相次いで病死してエミリーさんと2人で呼び返されました。この寄宿生活は「ジェイン・エア」の中で臨場感を持って描かれています。
家に戻ると文学にふけり弟と合作で詩や戯曲を書くようになりますが15歳から私塾で学ぶことになり、卒業後には上流階級に雇われる家庭教師として各地の屋敷を転々としました。これも「ジェイン・エア」に投影されています。
その後はエミリーさんと一緒に私塾を開こうとベルギーに留学したものの生徒が集まらず、断念して小説や戯曲を書くようになったのです。
結局、ブロンテ家の6人姉弟妹は姉2人が寄宿学校で病没、弟とエミリーさんは「ジェイン・エア」が刊行された翌1848年に31歳と30歳で病没、末の妹も翌年に病没してしまい、38歳で結婚して妊娠したまま病没したシャーロットさんが最も長命でした。
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  1. 2019/03/30(土) 11:29:16|
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