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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月1日・フィンランドの「白い死神」・シモ・ヘイヘ少尉の命日

2002年の明日4月1日はソ連の侵攻を受けたフィンランドが繰り広げた祖国防衛戦の第1次ソ芬戦争=冬戦争(第2次ソ芬戦争は継続戦争)で狙撃手の単独記録としては世界最高数である542名を射殺し(これはライフルのみの数でマシンガンでも同数以上の敵兵を殺害している)、ソ連軍から「白い死神」と呼ばれたシモ・ヘイヘ少尉の命日です。96歳でした。
ヘイヘ少尉は1905年にソ連との国境に近い内陸の寒村で生まれました。そのような土地での男性の仕事は狩猟と農業が中心になり、ヘイヘ少尉もライフルを子供の玩具から仕事の道具にしながら成長していきました。ヘイヘ少尉は農作業の休憩時間、仲間たちが昼寝をしている間も農地の隅に立てた標的を狙って空砲を発射する訓練に励み、それを仲間たちが起きてくるまで続けていたそうです。晩年になって受けたインタビューでヘイヘ少尉は狙撃の秘訣を訊かれ、「習熟だ」と答えていますが、習熟すること自体が余人には到達できない神技だったのでしょう。
20歳で15カ月の徴兵義務によって国防陸軍に入営すると自転車大隊に配属され、兵長に昇任したところで予備役に編入されますが、そのまま名将・マンネルヘイム元帥の民兵組織「白衛軍」に入隊しました。当然のことながらヘイヘ兵長は国防陸軍と白衛軍の射撃大会で抜群の活躍を見せ、関係者の間ではその名前を知られるようになりました。
そうして第2次世界大戦が始まって3ヶ月後の1939年11月30日にヒトラー総統と東欧と北欧を分割支配することを画策したスターリン書記長による侵攻が始まると兵長のまま招集され、フランス外人部隊出身のユーティライネン中尉の中隊に配属されました。ユーティライネン中尉はヘイヘ兵長の桁違いの射撃技量を発揮させるため狙撃手として単独行動させる任務を与え、地形地物を熟知する故郷に配置しました。ヘイヘ兵長は期待に応え、零下20度から40度の酷寒の中、純白の迷彩衣=ギリー・スーツを着て雪の中で待ち構え、前述の戦果を上げてソ連軍を恐怖させたのです。
ヘイヘ兵長は身長152センチでしたが全長120センチあるモシン・ナガンを使いこなし、また狙撃眼鏡はレンズの反射で発見される恐れがあり、銃を軽量化することと合わせて使用せず肉眼で狙撃していました。命中精度も神技の域で300メートル以内であれば確実に頭部に命中させ、450メートルの敵兵を射殺した記録も残っています。
ソ連軍も「白い死神」を抹殺することを至上命題にしたのは言うまでもなく、狙撃地点に集中砲火を加え、ヘイヘ兵長だけを標的にした狙撃兵を送り込んで発射閃光を狙っての銃撃を繰り返しました。その結果、1940年3月6日に顎を射たれ、顔の左下4分の1が吹き飛ぶ重傷を負いました。あまりの重傷に周囲は「死亡した」と思い込み、収容先の病院で葬儀が開かれたのですが、その最中に生きていることが確認されたのです。
1940年3月13日の停戦後には最高位の勲章を授与され、5階級特進で少尉に任官しましたが、1941年6月25日から1944年9月19日までの継続戦争には参戦できず、狩猟と猟犬の繁殖を営みながら静かな余生を送ったようです。
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