FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1515(少し実話です)

「昼食は避難所で被災者と一緒に食べてもらいます。13時にここに集合して下さい」マイクロ・バスから下りた各国の記者たちに連隊長に随行してきた1科長が説明し、それぞれの役人が担当の言語に通訳した。その横で松山3佐はロシア語とドイツ語、スペイン語にした独り言を呟いている。これらも全て趣味で勉強したらしい。
記者たちは説明を受けると好き勝手に歩き回り始めた。テレビ局はカメラマンと録音係も一組になっている。アメリカ、イギリス、フランスの記者たちは役人の注意に従うが、それ以外の国からきている記者たちは判らない振りをして隊員の作業まで撮影し始めた。
「危険ですよ。どいて下さい」「そこにこれを投げます。邪魔です」・・・「デンジャー、ゲラウト」記者たちは力を合わせて柱材を撤去している隊員を取り囲み、そうなると移動させる場所がなくなってしまう。隊員たちは重い柱材を持ち上げたまま注意をするが応じない。指揮官の陸曹が急場しのぎの英語と手ぶりで押し下げようとするが、英語ではない言語で抗議して手に負えない。隊員たちは目で柱材を下ろす相談を始めた。
そこに連隊長を案内して歩いていた松山3佐が聞いたことがない外国語で説明し、記者たちは納得したように場所を開けた。続いて松山3佐は同じ長さの説明を数回繰り返した。これは数カ国語で通訳したようだ。連隊長と随行している1科長、下西2佐は唖然としながら黙って見ていた。特に1科長は震災発生前に作成していた勤務評定を副連隊長の意向を受けて酷評していたことを一瞬だけ反省していた。しかし、人事はあくまでも他人事である。
中国の記者たちは別行動だった。その背後には本間がついている。記者たちは作業現場近くの道路に停めてある陸上自衛隊の車両に近づいた。通常、このような場合、隊員1名を監視要員として配置するのだが、ここは視界に入っているため人手の確保を優先していた。
「この車体は新しいな。新型の軌道(グイダオ=トラック)のようだ」記者たちは車両の数歩手前で立ち止り、全体を眺めながら解説を語り始めた。
「陸上自衛隊の73式の後継車だろう。確か3トン半と呼んでいたぞ」「柬埔寨(チェンプーチァイ=カンボジア)で泥沼にはまって動けなくなった奴だな」記者たちの中にはカンボジアPKOに参加した者も含まれているようだ。カンボジアPKOではタイから宿営地のタケオに向かう幹線道路が整地されていなかったためスコールで溜まった雨水が路面を軟弱にしており、日本の「水溜り」と言う概念とはかけ離れた泥沼を各所に作っていた。陸上自衛隊の73式3+2分の1トン・トラックは泥沼から抜け出せずに立ち往生してしまい、それを見ていた日本人記者たちからは「これで軍用トラックか」と嘲笑していた。
中国人民解放軍もカンボジアPKOに参加していたので日本人記者から話を聞いていたのだろう(感想を求められた可能性が高い)。ただし、中国軍のトラックはソ連製の骨董品で使い物にならず、人員の移動や資材の運搬は人力と牛馬車に頼っていた。
「あの時の軌道(トラック)は三菱だったが、これはいすゞ製のようだ」車体に近づいた記者たちは車体に表示してある社名の徽章を指差して解説を続けている。陸上自衛隊の主力である3+2分の1トン・トラックは1973年に採用された三菱製を改造しながら使い続けてきたが、1999年からは8代目としていすゞ製に更新された。
「しかし、太平洋岸の道路は津波と崖崩れで酷いことになっているんだろう。そこを踏破してきたと言うことは昔の73式とは比べ物にならないくらい性能は向上していると言うことだ」そう言って記者たちは車体の下にもぐって足回りを確認し、運転席のドアを開けて内部を撮影し始めた。すると隊員が2人歩いてくるのに気がついて足早に立ち去った。
「何時までも 何時までも 走れ走れ いすゞのトラック 何所までも 何所までも 走れ走れ いすゞのトラック・・・」移動を始めた記者たちの後を付かず離れる追いながら記者たちの高評価に本間の輸送幹部としての血が騒ぎ、昔の愛唱歌を口ずさんでしまった。そう言えばこれも下西2佐が講義の合間に教えてくれた歌だ。
昼食の集合時間前、マイクロ・バスが道路上に作った車列の角に立っている朝山3佐に本間が近づき、一緒に海を眺めながら日本語で呟いた。
「内藤1尉、外国人記者の取材を取材している日本人の記者に注意して下さい」呼び名は迷彩服に着けている名札だ。階級が1尉なのは管理要員の指揮官として3佐では偉すぎるからだ。
「中国人の記者が話しているのを聞いたんですが、『当然、自分たちは警戒されているが、逆に日本人のマスコミには気を許すだろう。だから目立つ行動を取って注意を引きつけなければいけない』と言ってました」朝山3佐は目だけで周囲を見渡した。すると新潟から後ろをついてきたワンボックス・カーのテレビ局の人間が作業現場を撮影しているのが見えた。
8・本間郁子イメージ画像
スポンサーサイト



  1. 2019/04/07(日) 11:53:13|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<4月8日・第2次世界大戦時のスイス軍・ギザン将軍の命日 | ホーム | 振り向けばイエスタディ1514>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/5302-0e9cdd63
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)