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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

ケーシー高峰さんの逝去を悼む。

4月8日に我が山形県最上郡最上町(野僧の祖父の出身地の隣り町)が生んだ漫談師・ケーシー高峰さんが亡くなったそうです。85歳でした。
ケーシーさんと言えば医師に扮して病名で世相を切る医事漫談ですが、これは世間を賑わしている出来事を人間が患っている心の病いとして客席を巻き込みながら診断する風刺劇であり、落ちの病名が本質を突いていて野僧もファンでした。
そもそもケーシーと言う芸名は日本では1962年から64年まで放送されていたアメリカの医療ドラマのベン・ケーシーから取っていて、舞台に登場する時に流れる出囃子もドラマの主題曲でした。また屋号の「高峰」は子供の頃に映画の撮影で最上町に来た女優の高峰秀子さんに一目惚れしていたので借用したそうです。
ケーシーさんの母の実家は先祖代々が医師で、祖母は死ぬまで診察を続けた産婦人科医だったそうです。一方、父は商社マンで海外出張の度にレコードを大量に購入してくる収集家としてマニアの間では有名な人物だったようです。
ケーシーさんの兄弟は母の血統が濃かったのか医師や歯科医師になっていて本人も日本大学医学部に進学しています。しかし、教授から風貌と訛りを馬鹿にされたことで嫌気が差し、遊びにうつつを抜かす間にモダン・ダンスやラジオに夢中になって芸術学部へ転部してしまいました。この時の同級生には宍戸錠さんがいたそうです。
在学中からナイト・クラブのステージの司会兼漫談師として活躍したそうですが、この時の芸名「坊られい」もイタリアの歌手・ドメニコ・モドゥーニョさんのヒット曲の英題「ヴォラーレ(日本語訳でも『ぼられた』)」から取っているそうなので並みの芸人とは教養が違います。
1957年に大学を卒業すると下ネタ専門の漫談コンビを結成しますが、東京の漫才界の抗争のあおりを受けて解散することになり、1967年にケーシー高峰として単独で舞台に立つことになりました。その後は「大正テレビ寄席」の常連になり、その一方でお色気映画にも性病科か産婦人科の医師役で出演するようになって、名脇役として独特の存在感を発揮するようになったのです。
石田えりさんの豊満なヌード・シーンが話題になった「遠雷」では主人公の愛人宅で暮らす父親役でしたが、悩み多き中年親父を好演していました。
2005年に舌癌を発症した時には手術後で発声がままならない中で舞台に上がり、「私の病名は・・・子宮癌です」「病室でも・・・何時女が抱けるかと考えていた」「顔は悪性です」などの貼り紙とホワイト・ボードへの走り書き、それに身ぶり手ぶりだけで爆笑を湧き起こしたそうです。
1988年から福島県いわき市に住み、東北地方太平洋沖大震災と福島第1原子力発電所の事故で東京のマスコミが危険を煽っても転居せずに地元民の支援と復興に尽力してきました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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  1. 2019/04/14(日) 12:29:22|
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