FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月18日・「弓と禅」の著者・オイゲン・ヘリゲルの命日

1955年の4月18日は大正13(1924)年にドイツから東北帝国大学の哲学の講師として来日して昭和4(1929)年に帰国するまで弓道に精進し、帰国後に禅と武道の真髄を体験的に語った「弓と禅」を著したオイゲン・ヘリゲルさんの命日です。
野僧は高校時代から柔道、日本拳法、少林寺拳法、短剣道などの武道に励む一方で、多くの武道家が語る「剣禅一如」「拳禅一如」の境地を学ぶため沢庵宗彭禅師の「不動智神妙録」や宮本二天の「五輪の書」などを愛読していましたが、師僧から「理論の一辺倒のドイツ人が弓道を通じて禅を極めた」と推薦されて読んだのがこの本でした。
ヘリゲルさんは来日を好機として日本の文化を学びたいと考え、当時の弓道界では「弓聖」と謳われていた仙台在住の阿波研造さんに師事したのです。すると阿波さんは「立てぬ的、放たぬ矢にて 射る弓は 当たらざるとも 外れざるけり」と言う道歌を示しながら心で射ることを命じました。万事を理論で認識するドイツ人にとって弓道はアーチェリーと同じく目で的を見て、腕と手で矢を引き絞り、狙いを定めて放ってこそ命中するもので、心が介在するのは集中力くらいです。ところが阿波さんは「矢を的に当てるのではなく、的が矢に当たっていくのだ」「的と自己が一体になれば矢は自己に向かって放てば良い」と断言し、ヘイゲルさんは技を習得する手前で立ち往生してしまいました。
そんなある暗夜に阿波さんは自宅にヘイゲルさんを招くと庭の道場に的を立て、その下に蚊取り線香を焚き、矢を2本射たのです。暗夜ですから当然、的は見えず蚊取り線香の小さな光の点が位置だけを示していたのですが1本目の矢は的の中央に命中し、2本目は矢自体を射抜いて2つに引き裂いていました。
阿波さんは驚愕しているヘリゲルさんに「こんな暗さで一体何を狙うと言うのか。それでも貴方は狙わなければ当てられないと言うのか」と問いました。こうして弓道の真髄を見たヘリゲルさんは一切の疑問や迷いを捨て「射る」のではなく「射られる」弓道を追及していったのです。帰国前、ヘリゲルさんは目を閉じて射た矢を的に命中させる境地に至ったと言われています。
野僧は弓道の経験はありませんが、射撃の強化訓練に参加したことがあります。それ以前は銃声と衝撃、銃口から噴出する閃光が恐ろしくて目を閉じていたのですが、毎日数百発の実弾を撃ち続けると次第に恐怖心が薄れ、意識と計算で動作していた照門の中央に照星を合わせて狙い、引き金を第1段階まで絞り、第2段階を落とすことが無意識で行うことができるようになり、やがて狙うことも忘れて照門と照星、的の中央が1つになった時、引き金を落とし、飛んでいく黒い弾丸を目で追うようになりました。射撃の名手・村田経芳少将は「引き金は 心で引くな 手で引くな 暗夜に霜の 降る如く引け」と詠んでいますが、その神髄の入り口を覗き見ることができたようです。
その後のヘイゲルさんはナチス政権下で大学教授に就任し、大学人として活躍したことで敗戦後は協力者との嫌疑を持たれ、苦渋に満ちた晩年を送ったようです。ヘイゲルさんは「苦難の中で私自身を支えたのは『葉隠』だった」と語り遺しています。
スポンサーサイト



  1. 2019/04/18(木) 11:22:14|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ1527(かなり実話です) | ホーム | 振り向けばイエスタディ1526>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/5325-7e1c32d2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)