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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月23日・UFO教の開祖の1人・アダムスキーの命日

1965年の4月23日は空飛ぶ円盤を信じる熱狂的な支持者からは教組のように崇敬されていたジョージ・アダムスキーさんの命日です。74歳でした。
以前は学校、職場、酒席だけでなくテレビや雑誌から国会でも空飛ぶ円盤の存在を巡って大真面目な論争が繰り広げられていましたが、証拠写真として紹介されていたのは小型の「アダムスキー型」か、巨大(研究者は母船と説明していた)な「葉巻型」でした。そんな空飛ぶ円盤と地球外生物の存在を世に広め、多くの人々にこの「アダムキー型」を信じさせたのがポーランド系アメリカ人のジョージ・アダムスキーさんです。
アダムスキーさんは1891年にドイツ帝国に領有されていたポーランドで生まれ、2歳の時に家族でアメリカのニューヨーク州に移住しました。
アダムスキーさんは宗教家気取りだったこともあり、経歴は真偽不明と言うよりもかなり胡散臭いのですが、8歳から12歳までチベットへ留学してダライ・ラマ13世(在位は1879年から1933年)に師事したと自称しています。しかし、当時のチベットは鎖国しており、それでなくても目立つヨーロッパ人の子供が立ち入ることは考えられず、ヒマラヤの峰を越えて入国するのは成人した探検家でも遭難することが多く、何よりもチベット語が話せなくては修行どころか生活も不可能です。ただし、この期間のアメリカでの足跡は抹消されているらしく、1913年にアメリカ陸軍に入営して騎兵隊に配属されたことが次の経歴です。しかし、1913年では22歳であり、当時は徴兵制が敷かれていたことを考えると不可解な経歴ではあります。
1916年に軍を除隊してから10年間はイエローストーン国立公園の管理人やポートアイランドの製粉工場、ロサンゼルスのコンクリート工事業などで真面目に働いたものの、その後はカリフォルニア州に移り、そこで東洋風オカルティズム(霊媒や除霊などのオカルト的相談業)を始めたことでチベット留学の経歴が必要になったようです。
同時期にロイヤル・オーダー・オブ・チベットと言う宗教団体を立ち上げましたが、実態は禁酒法の「宗教儀式での飲酒は除外する」と言う規定を悪用して「信者に酒を飲ませて金を取る商売だった」と本人が白状しています(佛教には不飲酒戒がありますが)。
そんな宗教団体が息詰まると第2次世界大戦終結後の1949年には「宇宙のパイオニア」と言うSF小説を発表しますがそれほど評判にならず、いよいよ切羽詰まったアダムスキーさんは1952年11月20日に「円盤状の飛翔体に遭遇した」、同年12月13日には「宇宙人と面会した」と言い出して新聞やラジオで紹介されました。そして1953年に「空飛ぶ円盤実見記」、1955年に「空飛ぶ円盤同乗記」を発表するとベスト・セラーになり、世界中に空飛ぶ円盤=未確認飛行物体と地球外生物=宇宙人を信じる者を発生させ、映画やテレビ・ドラマ、SF小説や漫画の定番にしてしまいました。
しかし、ノストラダムスさんの「1999年の7の月」の人類滅亡の予言が外れたことを契機にテレビや雑誌はオカルトから手を引き、同時に多くの人が語っていた神秘体験談も消滅したので、遠からずカップ焼きそばの「UFO」の商品名も意味不明になるでしょう。
アダムスキー型空飛ぶ円盤アダムスキー型空飛ぶ円盤
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  1. 2019/04/23(火) 10:30:38|
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