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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月25日・日向灘不審船事件が発生した。

昭和60(1985)年の明日4月25日に一連の北朝鮮の工作船による日本への接近事件の1つである日向灘不審船事件が発生しました。
この日の午前9時頃、宮崎県水産課の漁業取締船が日向灘で不審な動きをする船を発見して通常の職務権限の行使としての臨検を実施することにしました。そこで停船命令を発しながら接近すると漁船とは思えない高速度で逃走を開始したため追跡を断念した漁業取締船は第10管区海上保安本部に通報したのです。この時、確認していた船体の「第三十一幸栄丸」と言う船名は宮崎県の漁業協同組合に船籍を置いていても「漁船用としては大き過ぎるレーダーや方向探知機」を装備していることから不審船と断定して拿捕するべく他の管区に応援を要請して巡視船23隻、航空機4機を出動させました。
そうして約40時間にわたり全力で追跡を続けましたが40ノットを超える異常な高速度には太刀打ちできず、4月27日未明になって中国領海目前の東シナ海でレーダーからも消えたのです。この動きを察知していた韓国軍は強力な警戒態勢を敷いて不審船の動きを追い、その結果、中国領海をかすめるように北上して最終的には黄海を横切って北朝鮮の軍港・南浦に入港したことが判明しました。
この時期は朝鮮労働党の下部組織である日本社会党がまた健在で、朝鮮総連がマスコミに絶大な影響力を持っていたためニュースでも大きく取り上げられることはなく、一般国民が疑問を感じることもなく消えてしまいましたが(野僧は自衛官だったため防衛事例として教育を受けた)、日本海側であればまだしも九州を迂回して四国との内海・海峡とも言うべき日向灘にまで侵入された事態は重大かつ深刻であり、その後、発覚した昭和63(1988)年の宮崎県での日本人拉致の前兆として周知させるべきでした。しかし、自治労と日教組の労働闘争を指揮していた地方の社会党は中央からの指示で怠業や内部告発、情報漏洩などで知事に圧力をかけることを常套手段にしており、その反発をおそれて宮崎県や県警も迂闊に断定はできなかったのでしょう。現在も公式には「国籍不明の不審船」になっています。
ただし、海上保安庁だけは当時、保有している最新鋭の巡視船を投入しても追いつけなかった失策を最大限に利用して高速巡視船の導入に成功しました。この高速巡視船の最高速度は35ノットなので不審船には追いつけないのですが、強力なレーダーを装備しているため海上では先回りして待ち構えることができるのです。実際、2001年12月22日に発生した九州南西海域不審船事件では高速で逃走する不審船に執拗に追いすがったため、かえって銃撃を浴び、携帯型地対空ミサイルを発射されています。
この時は中曽根康弘政権なので小渕恵三政権が1999年の能登半島沖不審船事件で同様の事態に陥って初めて海上自衛隊に対して海上における警備行動を発令したのを先取りすれば良かったように思いますが、マスコミがニュースで「北朝鮮」と言った後、「朝鮮民主主義人民共和国」と言い直している時代でしたから無理はしなかったのでしょう。その前に警察官僚出身の後藤田正晴官房長官が反対したのかも知れません。
  1. 2019/04/24(水) 10:47:24|
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